026 見下ろす真実
「話が早くて助かるよ」
能見と陽菜が密着状態を解き、青春ラブコメっぽいひと時を過ごし終わった頃。
芳賀は荒谷たちに拳銃を突きつけ、こちらの要求を簡潔に伝えていた。
「僕たちが君ら二人に求めることは、二つある。一つはこの僕、トリプルセブンが率いるグループ傘下に入ること。もう一つは、知っていることを全て話すことだ」
「……知っていること?」
咲希が首を傾げる。
屋上から下りてきた荒谷の肩を借り、彼女はどうにか立っていた。
「匠、こいつらに何か話したの?」
「まあ、『この街からは出られない』くらいのことは話したけど」
白状したのち、彼は子犬のような目で咲希を見つめた。それが彼女の庇護欲を煽った。
「ごめんな。話しちゃダメだったか?」
「ううん、全然! 匠が可愛いから許すわ」
いわば敵の捕虜にされかけている状況なのに、このバカップルぶりである。
目をハートにし、荒谷にしなだれかかっていちゃつく咲希。彼女ら二人を見て、芳賀は迷惑そうな顔をした。咳払いをして仕切り直す。
「……で、どうなんだい? 僕らの要求を呑むのか、呑まないのか」
「もちろん、全面的に受け入れるぜ」
咲希を甘えさせたまま、荒谷はきりっとした表情で答えた。そのギャップが何だかおかしくて、能見は笑いを堪えていた。
「一つ目の条件についてだが、あんたらにさっき差し向けた雑魚ども含め、俺たちのグループと合併することで合意しよう。で、二つ目は」
少し考えてから、荒谷が口を開く。
「……まあ、実際に見てもらった方が分かりやすいだろうな」
「失礼するぞ」
言うやいなや、荒谷は能見の方へつかつかと歩み寄ってきた。
「な、何だよ」
思わず身構えた能見の腰へ、荒谷が手を回す。すると、荒谷が地面を蹴ると同時に、二人の体は宙に浮き上がってしまった。
パニックに陥りかけ、能見は叫んだ。
「おい、何するんだ。下ろせ。下ろせよっ」
「あんまり暴れるな。これから、この街の本当の姿を見せてやるんだから」
能見の体を引き寄せたまま、荒谷はどんどん高度を上げていく。あっという間に、地上にいる芳賀たちの姿が点にしか見えなくなった。
抵抗しても無意味だと悟り、能見が黙り込む。荒谷が何を考えているのかは分からないが、ここで暴れても振り落とされるだけだ。
アパートの屋上程度ならともかく、この高さから落ちればまず助かるまい。
「……の、能見くん⁉」
突然、彼が空の彼方へ連れ去られてしまったことに、陽菜も動揺を隠せなかった。咲希へ詰め寄り、わあわあとまくし立てる。
「ちょっと、どういうことですか。まさか、『高いところから落として倒そう』みたいな最低な作戦ですか⁉」
「違うわよ。あたしたちはただ、この街の秘密を教えようとしているだけ。今まで、あたしたち二人しか知らなかった秘密をね。……さあ、あんたも一緒に行くわよ」
「えっ、あ、あの」
とまどう陽菜の腰へ手をやり、咲希もまた、彼女を抱きかかえて飛び上がった。荒谷の後を追うようにして高度を上げる。
「……ひゃああああっ⁉ お、下ろしてください!」
「ダメよ。今から見せるものは、地上にいても見えないわ」
可愛らしい悲鳴を上げる陽菜を、咲希は冷静になだめた。
何がどうなっているのか分からず、残された芳賀は途方に暮れていた。
ほぼ同タイミングで、荒谷・能見ペア、咲希・陽菜ペアは上空五十メートルほどに達していた。街の四方を取り囲む壁と、ちょうど同じくらいの高さである。
「ここからなら、あの壁の向こう側が見えるだろう」
そう言った荒谷の顔は、なぜか疲れているように見えた。
「あんたたちも見てみるといい。それがこの街の現実だ」
「何だよ、もったいぶった言い方をして」
いきなりこんな高いところまで連れてきて、何を言い出すのか。乱暴な案内人たちに不満を覚えながら、能見は何とはなしに首を巡らせた。
そして、言葉を失った。
壁の外にあるのは海だったのだ。陸地は遥か遠くにぼんやりとしか見えず、青海原だけが広がっている。
「これで分かったでしょ?」
隣を見れば、陽菜も愕然としていた。能見たちに言い聞かせるように、咲希が続ける。
「この街は、周りを海に囲まれている。……いえ、街というより、海上都市に近いかもしれないわね」
最初にアパートの部屋から出たとき、潮の匂いを感じた。近くに海があるのかもしれない、とも思った。しかし、まさか街全体が海に浮かぶ孤島だったとは。能見の受けたショックは大きかった。
「俺たちも何度も確認したが、街の周囲に船やボートの類はまるで見当たらなかった。つまり、あの高さ五十メートルの壁を破壊できたとしても、その外には海が広がっているだけだ。脱出する方法はない」
荒谷がにじませていた諦めは、これに由来していたのだろう。悲しげな彼の言葉が、心を抉ってくるようだった。
「……で、でも、空からなら脱出できるんじゃないですか? 咲希さんたちの力を借りれば、何人かずつ逃がすことだって」
「それも無理よ」
自身に言い聞かせるように、陽菜は精一杯明るい声を出した。その儚い希望を、咲希が無慈悲にも打ち砕く。
「一度だけ試したけど、ダメだった。このすぐ上には電磁バリアが張り巡らせてあって、いくら飛行能力があっても突破できないのよ」
「あんたの雷よりも強烈だったぜ。数秒も浴びれば、たぶん冗談抜きで感電死するぞ」
能見をちらりと見て、荒谷が事実を述べる。
「とにかく、これで分かっただろう? この街から逃げ出すのは、絶対に不可能だって」
『俺と同じ景色を見て、本当の意味で俺のことを理解してくれた人だ。彼女にだけは、一度も勝てた試しがない』
咲希のことを、彼はこのように紹介していた。
あのときは何のことやら分からなかったが、今なら理解できる。荒谷の飛行能力をコピーし、二人は空を飛んだ。そして、咲希もこの街の真実に気づいたのだろう。
荒谷だけが感じていた絶望を、彼女も理解した。二人が強く惹かれ合い、結ばれたのにはそういった背景もあったのかもしれない。




