020 この街からは出られない
「確か、この近くのはずだよ。気をつけて」
不意に芳賀が足を止め、注意深く視線を巡らせる。能見と陽菜も彼にならった。
「……あっ、あそこ」
陽菜が小さく声を上げ、ある一点を指差す。立ち並ぶアパートの屋上に、一人佇む影があった。
青年は、首に赤いマフラーを巻いていた。そのためナンバーは確認できないが、芳賀は彼の正体を見抜いたらしい。建物近くへ歩み寄り、青年を見上げた。
「君がトリプルスリー、荒谷か?」
見たところ、このアパートの屋上へつながる扉は開けられた形跡がなかった。ドアを使わずにこの高さまで飛び上がれる者となると、飛行能力を持っているトリプルスリーにほぼ限定されるのだ。
ようやくこちらに気づいたのか、青年は気だるそうに能見たちを見下ろした。
整った顔立ちは、美形と呼んで差し支えないだろう。ただ、長く伸びた黒髪と覇気のない表情が、彼にやさぐれた雰囲気をまとわせてしまっていた。
「……誰だよ、あんたら。俺とやろうってのか?」
低い声には、すごみがあった。怯まずに芳賀が続ける。
「別に戦おうってわけじゃない。僕は君と手を組みたいんだ」
「手を組むだと?」
荒谷は馬鹿にしたように笑った。能見たち三人を、じろじろ眺めまわす。
「ふざけてるのか。俺たちは初対面だ。よく知りもしない相手に、どうやって背中を預けろっていうんだ」
「気持ちは分かるけど、まずは落ち着いて、話を聞いてくれ」
険悪なムードを払拭しようと、そこへ能見が割って入った。
「俺たちは、この街で行われているデスゲームを止めて、街の管理者と交渉したいと思ってる。そのためには、仲間を集めて団結することが必要なんだ。皆で協力すれば、いつかここから脱出することもできるかもしれない」
力を貸してくれないか、と語りかける能見を、荒谷は目を細めて見つめていた。やがて彼は口元を押さえ、笑い声を漏らした。
「……ははっ」
「何だよ。何がおかしいんだ」
能見としては、大真面目に考えを伝えたつもりである。笑い飛ばされる理由が分からなかった。
困惑する彼を見下ろし、荒谷は笑う。彼の笑みからは、諦観がにじみ出ていた。
「あんたらは何も分かっちゃいない。この街から出るなんて、絶対に不可能だ。俺はただ、残された時間をそれなりに楽しく生きられれば構わない」
「そんなの、やってみなくちゃ分からないだろ。勝手に諦めて絶望するなよ」
なおも言い縋る能見を前に、トリプルスリーは笑顔を消した。代わりに舌打ちし、左手を唇に近づける。
「――しつこい人たちだな」
ひゅう、と彼が指笛を吹くと、付近のアパートからわらわらと人が出てきた。十数名の男女が、能見ら三人を取り囲むように迫ってくる。
「俺のことなんか放っておいてくれ。これ以上粘るんなら、消すぞ」
「この人たち、荒谷さんの手下ですか⁉」
「そうみたいだな」
隣に立つ陽菜と囁き合いながら、能見は首を縦に振った。
芳賀と同様、自分が倒した相手を支配下に置くタイプのようだ。荒谷はあまり好戦的でないと聞いていたが、自分から戦いに行かないだけで、売られた喧嘩はむしろ積極的に買ってきたのかもしれない。
「おい、どうするんだ」
芳賀へ視線を向けると、彼は既にナイフを構えていた。
「決まってるじゃないか。ここまで来たら、とことん戦うまでだ」
「そう言うと思ったぜ」
能見は呆れたように呟いた。
回避能力を持つトリプルセブンにしてみれば、普通の戦闘で傷を負うことはまずあり得ない。芳賀の攻撃だけがヒットし、一方的に勝ってしまうからだ。ゆえに、乱闘になったところで何とも思わないのだろう。
何はともあれ、交戦は避けられそうにない。仲間たちへ振り返り、能見は言った。
「……作戦通り、俺が荒谷をぶっ飛ばす。陽菜さんと芳賀には、あいつの手下を頼みたい」
「うん、分かった」
「問題ない」
二人が静かに頷く。次の瞬間、三人はバラバラの方向へ駆け出していた。
ナイフと拳銃を構え、陽菜と芳賀が敵陣へ突っ込む。一方の能見は、手下たちの攻撃をくぐり抜け、屋上に立つ荒谷を睨んだ。そして、右腕を天へ掲げる。
紫電が降り注ぎ、アパートへ迫る。トリプルスリーはそれを、文字通り飛ぶことでかわした。
とん、と床面を軽く蹴るだけでよかった。それだけで体がふわりと浮かび上がり、無重力空間のように宙を漂う。
「……あんた、なかなか珍しい力をもってるな。こいつは手応えがありそうだ」
空中で静止したまま、彼は能見のことを興味深そうに見た。すっと突き出した右の手のひらの上に、紅の光弾が浮かび上がる。
「楽しませてくれよ。何せ、この俺が自ら相手してやるんだからな」
真っ赤な破壊光弾が連射され、能見へと迫った。




