016 管理者への疑念
(何が起きた? 能力の暴走か?)
目にしている光景が信じられず、芳賀は幾度となく瞬きした。
彼の脳裏をよぎったのは、昨夜戦ったトリプルシックスである。雷のパワーを制御し切れていなかった彼と、あるいは板倉は同じ状態なのかもしれない。
「ひいっ」
変わり果てた板倉の姿を見て、芳賀の部下たちはすくみ上がってしまった。
「……い、板倉さんが、化け物に」
逃げようとする彼らを追うつもりなのだろうか。ぶよぶよした太い腕を振り回し、板倉だったものが向かってくる。橙色の皮膚に身を包んだ彼はしかし、能見俊哉とは違い、人の領域を超えているように見えた。
部下を守るのがリーダーの務めだ。仲間たちを庇うように、芳賀は怪人の前に立ち塞がった。
「僕に刃向かうのがどういうことか、分かっているのか」
呼びかけても、返ってくるのは唸り声ばかりだ。怪人の繰り出した殴打を、芳賀は難なくかわした。
化け物へと変貌した板倉は、なるほど身体能力こそ上昇している。今の拳による一撃も、まともにくらえば骨が砕かれていたかもしれない。
だが、芳賀の回避能力を攻略するには及ばない。乱暴に振るわれる拳の雨を、芳賀は一度たりとも浴びなかった。体を沈め、素早く跳び退き、ノーダメージで凌ぎ切る。
自分からは攻撃せず、必死に語りかけ、説得するよう努めた。
「忘れたわけじゃないだろう。君を従えたとき、僕は君を殺すこともできた。けれど、命を取らない代わりに忠誠を誓わせた。君には、僕のために働く義務がある。反逆するなんてもってのほかだ」
「……グルル」
やはり、期待したような返答はない。板倉だったものが上げた咆哮は、獣と同じだ。自我を失っているのか、と芳賀は思った。
攻撃が当たらず、芳賀への興味を失ったのだろうか。橙色の怪人は急に向きを変え、再び段ボール箱へ向かった。大きな手でウィダーゼリーを掴み出し、パックごと喰らおうとする。
(まずいな)
板倉だったものへ疾駆しながら、芳賀は迷っていた。
(姿が変わっただけで実害がないならまだしも、彼は僕たちの食料を喰らいつくそうとしている。このまま放っておけば、いずれ皆飢えて死んでしまう)
芳賀の接近に気づき、怪人が素早く振り返る。放たれたパンチを、芳賀は横に跳んで避けた。
回避するのは容易かったが、容赦ない攻撃だった。紛れもない敵意と、殺意が込められた拳だと感じた。
「……仕方ない」
もはや、対話は不可能。覚悟を決め、芳賀はナイフを握った右手を振り上げた。
「許してくれ、板倉。仲間たちの未来のために、君を処刑する」
この決断を、芳賀はのちに悔いることになる。
刃が心臓部まで深く突き込まれ、怪人の動きが止まる。やがて彼は、ゆっくりと崩れ落ちた。
胸部からおびただしい量の血を流し、板倉だったものは息絶えていた。血の色は赤というより、茶色に近かった。
板倉の亡骸を見下ろし、芳賀は息を吐き出した。そして、なぜ彼が変わってしまったのかについて考えていた。
『ここは私たちの管理下にある人工都市だ。諸君らにはとある施術を行い、特殊な力を与えてある。首のナンバーは、その個体識別番号だ』
この街で目覚めたとき、部屋のスピーカーから聞こえた声を思い出す。管理者は自分たちに何をしたのだろう。板倉がおかしくなったのも、もしかしてその施術とやらが原因なのではないか。
今まで芳賀は、管理者へ刃向かおうなどと考えたことはなかった。彼らと争わずとも、上位の戦績を収めれば人工都市から出られる。高い能力を持つ自分なら、それは簡単に達成できることだと思っていた。
しかし、おそらくはその管理者によって、板倉は人でなくなってしまった。同胞を人外の存在へと変えられ、芳賀が動揺しないはずもなかった。
『言っただろ。俺は殺し合いなんかしたくない。俺の目的は、この戦いを止めて管理者をぶっ潰すことだ』
能見俊哉の言葉が、頭の中で反芻される。あのときは「夢物語だ」と内心馬鹿にしていたが、彼の主張もあながち間違っていない気がした。
(……やはり管理者は信用できない。たとえこのデスゲームに勝ち残ったとしても、僕たちの体をいじられたままでは意味がない)
板倉の一件もある。芳賀はついに、本当の敵が誰なのかを理解した。
怪人の遺体処理を部下に任せ、足早に倉庫を去る。彼にはやるべきことがあった。




