04 乙女たちのショッピング
「この上着、なかなかかっこいいな。……って、十万円⁉」
ハンガーにかけられたダークグリーンのジャケットに手を伸ばしたが、値札を見て飛び上がりかける。
渋谷から表参道へ移動し、通りを歩きながら気になった洋服店があれば覗いてみる。能見が立てたプランはそのようなものだった。
「馬鹿高いな。学生が来る店じゃないだろ、ここ」
何着か手に取って見てみるが、大学生の小遣いで買える範囲を余裕でオーバーしている。泣く泣くジャケットを諦めた能見を一瞥し、唯はため息をついた。
服の値段を見ては諦める、をさっきから繰り返しているので、店員さんからすれば自分たちは迷惑な客かもしれない。いわゆる冷やかしだ。
「能見、この辺に来たことないわけ? 表参道に出店してる店なんて、扱ってるのはブランド品ばかりでしょ。気軽に立ち寄って『これ下さい』って言えるわけないじゃない」
「しょうがない。ウインドウショッピングにしよう」
「最初からそうすればいいのに。ふふっ」
若干しょげた様子で、能見は店を後にした。その様子が何だかおかしくて、ついつい笑みがこぼれてしまう唯。
(……ハッ! いけない。ダメだよ私、これはデートとかじゃないんだから!)
能見には陽菜というパートナーがいる。自分がそこに割り込む余地はない――というか、唯は荒谷みたいに少し影のあるイケメンが好きなのであって、能見はタイプじゃない。今味わっている楽しさを、恋愛感情と錯覚してはいけないのだ。
自分の頬をぺちぺち叩いて自戒する。笑みを消し、真顔に戻る。
幸い、能見は唯の挙動不審に気づいておらず、「次はどこを覗いてみようかな」とのんびりしていた。
そう、彼の側を歩くのは、本来なら花木陽菜であるべきなのだ。ふと、罪悪感に似た思いを抱いた。
「ねえ、本当に良かったの?」
「何がだよ」
唯が背中越しに問いかけてみても、能見の調子は変わらない。
「だって能見、陽菜ちゃんとデート中だったんでしょ? 二人が食事中のところにお邪魔しちゃった上、陽菜ちゃんを和子の買い物に付き合わせちゃって良かったのかな」
おまけに、唯自身も能見とデートまがいのことをしている。あとで陽菜から何か言われたらどうしよう。
「陽菜ちゃん、やきもち焼いたり怒ったりしない?」
「いや、陽菜さんに限ってそんなことは……あるかも」
能見の言葉が宙をさまよい、やがて曖昧になって消えた。冷や汗が彼の首筋を伝う。
『オーガストと戦ったときも、今回も、能見くんは咲希ちゃんの力ばっかり借りてるし。私なんかもう必要ないのかなって思ったら、寂しくなっちゃって』
恋愛経験に乏しそうな陽菜だが、女の子らしい感情と縁がないわけではない。実際、能見が咲希の力を借りて戦っていたときは、思いっ切りやきもちを焼いていた。明確に「能見くんのことが好きだ」と意識していたわけではないだろうけれど、ぼんやりとした独占欲は持っていた。
ましてや今は、二人は正式に付き合っているのだ。単なるやきもちではすまない可能性もある。
「ま、まあ、たぶん大丈夫だろ」
悪い想像ばかり浮かぶが、考えても仕方のないことは考えないことにした。
空元気で歩き出した能見を、唯は心配そうに眺めていた。
(なんか私、「カップルの邪魔をする嫌な女」みたくなってないかな。今思えば、荒谷さんと咲希ちゃんにも迷惑かけたし。せめて、能見と陽菜ちゃんの邪魔だけはしないようにしなきゃ……)
当の本人は、そんなことちっとも気にしていないように見えた。
「わーっ、和子ちゃん、これ可愛いよ!」
「ありがとう。さすがは陽菜ちゃん、センスいいね!」
ファッションビルのランジェリーコーナーへ足を運んだ二人は、買い物に夢中だったのである。黒いレースのついたブラを指差して、きゃあきゃあと楽しそうにしていた。
完全に婦人向けの衣類しか取り扱っていない店で、店員も皆女性であるため、男性からの視線を気にしなくていいことも手伝っているのだろう――単純に「二人が天然すぎて周りの目を忘れている」のかもしれないが。
テンションが上がったからか、和子はちょっとプライベートな質問をしてしまった。下着を選ぶ手を止め、もじもじして尋ねてみる。
「陽菜ちゃんって、こういうのに詳しいの? つまり、その……どういうのが相手に好まれるか分かる?」
「えー、全然だよ? 何となく、感覚で選んでるだけだもん」
対して、陽菜はふるふると首を振った。あっけらかんとした口調で、ありのままを明かす。
「私、能見くんとはまだ、そういうことしてないから。下着姿を見せたこともないよ?」
「あっ、そうなんだ……」
「まだ」ということは、いずれするつもりなのかな――と邪推したりはせず、和子が納得したように頷く。彼女はただ純粋に、二人の幸せを願っていた。
「和子ちゃんにも気になる人ができたの?」
勝負下着を買いに来たということは、つまりそういうことではないのか。そう思って陽菜が聞いてみると、彼女は顔を赤らめた。
「え、えっと、その……うん」
「わあっ。おめでとう!」
ニコニコしてお祝いしてくれる陽菜の前だと、逆に照れくさくなってしまうらしい。和子は俯き、わけもなく両手の指を組み合わせたり離したりした。
「同じ大学の先輩なんだけど、すごく優しくて素敵な人で」
「うんうん」
「敬愛の意を込めて、『お姉様』と呼ばせてもらっているの」
「……うん?」
が、さすがの陽菜も、そのワードにはツッコミを入れざるを得なかった。戸惑っている彼女には気づいていないらしく、和子は恍惚とした表情を浮かべたままだ。
「――ああ、お姉様。私のことをもっと見てくれないかなあ」
両手を合わせて目を閉じ、うっとりして微笑む。
和子が小笠原美音へ憧れていたことは、陽菜も一応知っている。しかし、美音が倒された後も和子はその想いをしばらく引きずっていて(ゆえに咲希へ憧れかけたこともあった)、彼女なりに苦労していたことは知らない。
たぶん、和子は新しい恋を見つけたのだろう。決して美音のことを忘れたわけではないが、いつまでも過去にこだわるのではなく未来を生きようと決めたのだ。
陽菜には分からない。和子が元々そういう性癖を持っていたのか、それとも、美音と運命的な出会いをしたことで同性に惹かれるようになったのか。
ただ一つ分かるのは、今の彼女がとても幸せそうだということである。
「あっ! 和子ちゃん、これなんかどうかな? 派手すぎずお洒落だと思うけど」
陽菜の当惑の表情は消え、混じりけのない笑顔に変わる。
「うわあ、すごく可愛い! これに決めちゃおうかなあ」
「お姉様」を想ってぼんやりしていた状態から我に返り、和子も本来のペースを取り戻した。
管理者の脅威が去り、平和が取り戻された街には乙女たちの笑い声が響いていた。




