02 再会にパンケーキを添えて
「……幸福のパンケーキ、ねえ」
目当ての店は、駅からやや離れたビルの三階にあった。どこかの宗教団体みたいな胡散臭い店名だ、と思うけれど、これ以上詳しく書いたら誰かに消されそうなのでやめておこう。
土日の昼過ぎはやはり混むようだ。能見たちが着いたとき、前にはまだ数組の客が並んでいた。受付表に名前を書き、椅子に座って順番が来るのを待つことにする。
「そんなに有名な店なのか? ここって」
「能見くん、知らないの?」
隣に座った陽菜が目を丸くする。
「この店で食事をしたカップルは永遠の愛で結ばれるって言われてて、今大人気なんだよ。この前、テレビの特集でも取り上げられてたし」
「本当かよ。なんか、すごいな」
言われてみれば、他に並んでいる客もカップルばかりだ。そんな簡単に永遠の愛とやらが手に入ったら苦労しないと思うが、雰囲気をぶち壊したくないので黙っておいた。
能見はそういう非科学的な噂を信じないタイプだ。けれど、彼女が楽しんでいるなら自分も楽しい。
叶うか叶わないかは別として、人間には夢を見る権利がある。皆幸せそうなら、それでいいじゃないか。
十分以上待たされて、ようやく「能見様」と名前を呼ばれた。壁際の二人掛けの席に案内された後、店員がメニュー表を置いて立ち去っていく。
まず目を引いたのは、ハートや音符の模様が散りばめられたメルヘンチックな内装。若い女性にはこういう派手なのがウケるのだろうか。能見にはいまいち分からない。
(……陽菜さんも、この手のやつが好きなのかな?)
メニュー表を眺めるふりをしながら、何とはなしに様子を窺ってみた。
「わー、すごーい。キラキラしてる!」
後でインスタグラムに上げようかな、なんて言いながら、スマートフォンで写真をパシャパシャ撮っている。――うん、めちゃくちゃ楽しんでいた。やっぱり彼女も女の子なのだ。
つられて一緒に写真を撮りながら、何を注文しようかと考える。
「俺はこの『幸福のパンケーキ』にしよう」
「私は『いちごショートパンケーキ』がいいな。……能見くんも、もうちょっと高いやつにしてもいいんだよ? 私、能見くんの分も奢るから」
「これでいいよ。てか、奢らなくていいから。何なら俺が全部出すまである」
能見が選んだのは一番安いメニューで、この店の看板商品でもある。ふっくら焼き上げたパンケーキを、ニュージーランドから直輸入したマヌカハニー、北海道産の発酵バター、さらにはホイップクリームで飾りつけた一品だ。値段は千円ほど。
説明書を読むと贅沢な品のように感じるが、マヌカハニーやホイップクリームは他のメニューにも使われているので、この中では一番シンプルなパンケーキだ。
一方、陽菜が選んだのは千五百円ほどするパンケーキ。フリーズドライにした国産イチゴがクリームに練り込まれているらしく、想像しただけで美味しそうだ。二人で同じのを頼んでも良かったのだが、今回は別々のメニューにすることにした。
「俺、こういうのはさ、最初来たときに定番のメニューを食べることにしてるんだ。それで、次回以降に他のも開拓していく」
お金をケチったわけではない。能見には能見なりの考えやこだわりがあった。
「なるほど~。……ん? ということは、また次も一緒に来てくれるってこと⁉」
ふむふむと頷きかけてから、陽菜は目をキラキラさせてこっちを見た。
「もちろん。いつでも付き合うぜ」
「やったあ! 能見くん大好き!」
ニッと笑って返すと、陽菜は本当に嬉しそうにしていた。両手で小さくガッツポーズをする仕草も可愛らしい。
彼女の満開の笑顔を見ているだけで幸せだった。この時間がいつまでも続けばいいのにな、と思う。
「――大変お待たせ致しました。望月様、こちらのお席へどうぞ!」
頼んだパンケーキが運ばれてきて、陽菜はまた写真をパシャリ。ちょうどそれを食べ始めた頃、先ほど能見たちを案内したのと同じ女性店員の声がした。
望月。割と珍しい名字なのではないだろうか。能見が知っている人間の中で、その名字を持っているのはトリプルファイブ、望月和子だけだ。
(まさかな。この広い渋谷の街でばったり会うなんて、天文学的な確率のはずだ。別の人に決まってる)
しかし、続いて聞こえてきた声が予想を裏切る。
「ずいぶん並んだね、唯ちゃん。私、もうお腹ペコペコだよ~」
「私も。こんなに混むとは思ってなかった」
店員さんに誘導されて、二人の足音はこちらへ近づいてきた。
「……なあ、陽菜さん。さっきのって」
彼女たち二人組に視線を向けないまま、能見は囁いた。
「うん。私も同じこと考えてた」
真顔になり、陽菜がこくこくと頷く。が、イチゴパンケーキを頬張りながら喋っているので、緊張感ゼロである。
そして、よりにもよって、彼女らが案内されたのは能見たちの隣。一メートルと離れていない二人掛けの席だったのだ。
「よいしょっと」
椅子に腰掛け、荷物を下ろしてはじめて、彼女たちは能見と陽菜に気づいたらしかった。
「あっ、陽菜ちゃんと能見くん! 偶然だね!」
屈託のない笑みを浮かべ、ふるふる手を振っているのは望月和子。会うのは、皆で焼肉を食べに行って以来だ。
季節の変化に合わせたのか、ボブカットの黒髪が前より少しだけ短くなっている。水玉模様のブラウスには僅かに透け感があり、夏らしく涼しげである。
「な、何で、この二人がここに……」
そして、「信じられない」と言いたげにわなわな震えているのは清水唯だった。以前はパーカーにダメージジーンズ、グレーの布マスクという格好が主だったが、さすがに今の季節は暑いのだろう。灰色のチュニックに青のギャザースカートを合わせ、彼女らしさと夏らしさを両立させたコーディネートにしている。
「まあ、それはお互い様ってことで。せっかく会ったんだし、楽しくやろう」
和子と唯が、自分たちの関係をどう解釈したのかは分からない。あえて尋ねようとも思わない。もしかしたら「デートの邪魔をしてしまった」と思われたかもしれないが、能見としてはあまりそういうことを気にしたくなかった。海上都市での戦いをともに切り抜けた仲間として、友人として、一緒に楽しい時間を過ごしたい。
けれども、唯の反応は予想と違っていた。
「……べ、別に、彼氏がいないから和子を誘って来たとか、カップルひしめく中を一人で来る勇気がなかったとか、そういうのじゃないんだから。ただ何となく、行ってみたくなっただけ!」
能見へびしっと指を突きつけ、一気にまくし立てたかと思うと、彼女はすとんと席に座った。顔から火が出そうなほど頬が赤い。そんなに恥ずかしいのなら、わざわざ言い訳じみた台詞を口にしなくてもよさそうなものだが――一種の防衛本能みたいなものなのかもしれない。
確かに、カップルの聖地と化している場所に一人で来るのに抵抗があるのは分かる。女子会っぽい雰囲気を出せば多少行きやすくもなるだろう。
(たぶん、本当は彼氏と一緒に来たかったんだろうな。頑張ってくれ、清水)
台詞の端々から悲壮感が滲み出ている。能見は心の中で、唯へエールを送った。
「ねえねえ、和子ちゃんたちもイチゴのパンケーキ食べてみない? すごく美味しいよ!」
「わあっ、いいかも。唯ちゃんも早く決めようよ!」
「そ、そうね」
傍らでは、陽菜と和子が楽しそうにメニュー表を眺めている。
相変わらずの天然ボケで、本人も知らないうちに雰囲気を和ませてしまう陽菜。彼女とは別ベクトルの天然さを持ち、おっちょこちょいで時々空気を読めない和子。幸か不幸か、二人の活躍で気まずいムードはどこかへ行った。
「どれどれ。うーん、この『自家製グラノーラがけ』っていうのも気になる……」
和子に引っぱられるかたちで、唯も会話に参加する。真剣にメニューを見つめる横顔からは、だいぶ熱が引いていた。
何はともあれ、ナンバーズたちの再会は、こうした意外なかたちで起こったのである。




