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サウザンド・コロシアム  作者: 瀬川弘毅
外伝④ 唯と和子とパンケーキ
210/216

01 待ち合わせ、そして初デート

(……陽菜さん、まだかな?)


 腕時計に目をやったが、長針と短針が指し示しているのは午後二時四十五分。待ち合わせの時間まで、あと十五分もある。


 能見俊哉は今、渋谷駅前で彼女を待っていた。もう少し正確に言うと、ハチ公前である。


 待ち合わせ場所はあまりにもベタだし、無地のTシャツにジーパンという服装も「ザ・無難」(悪く言えば「無個性」)といった感じだ。おまけに、十五分前には待ち合わせの場所に到着している念の入りようである。



(大丈夫だよな、俺)


 ハチ公像の前に佇み、こうして待っている間にも約束の時間は近づく。何だか会う前から緊張してきて、能見はそわそわした。


(髪の毛、変な方向にはねてないよな? 汗臭くなってないか? 髭を剃り残したところはないか?)


 いてもたってもいられない。


 今からでも遅くはない。駅に戻ってトイレを借り、鏡の前で身だしなみの最終チェックをした方がいいかもしれない。が、彼女とすれ違いになってしまう可能性を考えると、それもためらわれるのだった。


 何といっても、大切な人との初めてのデートなのだ。落ち着かなくなってしまうのは自然なことだった。


 こうして一人悶々としながら、夏の日差しが降る中、能見はハチ公前で待ち続ける。彼の頬が僅かに赤らんでいたのは、炎天下のせいばかりではないだろう。



 ナンバーズ全員で焼肉を食べに行った日から数日が経ってから、能見は陽菜を食事に誘った。ただし、今度は一対一でだ。


 二人が向かったのはイタリアンの店。内装に高級感がある小綺麗なレストランだったが、ディナーの価格は大学生でも手が届くくらいに良心的だった。


 雰囲気が良く、値段が高すぎず、なおかつ、いかにも「カップルがデートで来る場所です」という感じがあまりしない店を探すのには苦労した。けれども、その甲斐もあったというものだ。


「美味しいね、能見くん!」


 パスタをちゅるっと口に運び、彼女が微笑む。やや暗めの照明が当たった表情はいつもより大人っぽくて、美しい。


 ベージュ色の、袖がふわっとしたブラウスを着た陽菜は、海上都市にいたときよりも大人っぽく見えた。能見から一対一で誘われたことに特別な意味を見い出している風でもなく、ただ純粋に料理を楽しんでいた。


「ああ。美味いな、これ」


 いつもの天然ボケが発動しているのか。あるいは、能見の気持ちを知りながら素知らぬふりをしているのか。判断がつかないまま、能見も笑みを返した。


 ただ一つ確かなのは、陽菜と過ごす時間がすごく楽しいということだった。たとえ想いを伝えて振られたとしても、後悔しないという確信があった。



 食事を終え、他愛ない話をしながら少し歩いた。やがてタイミングを見て、能見は足を止めた。そして告白した。


「陽菜さん、好きだ」と一思いに告げる。愛の言葉はシンプルだった。


 陽菜との間には、今まで本当に色々なことがあった。海上都市のアパートでとんでもない出会い方をしてからというもの、喜びも悲しみもともにし、力を合わせて管理者の野望を打ち砕いた。


 彼女への想いはいつのまにか、言葉にできないほど大きくて大切なものになっていた。


 告白された陽菜はというと、最初は驚いたように口元に手を当て、それからちょっぴり恥ずかしそうに笑って頷いた。


「……私も。私も、能見くんのこと大好きだよ!」


 たぶん、彼女も自分と同じことを考えていたんだろう。


 恋人たちは微笑し、宵闇の中でそっと抱き合った。



(でも、あの夜は結局、そのまま解散しちゃったんだよな)


 最初からガツガツいくのは悪手だろう、と判断した結果なのだが、何となくもったいないことをしたような気もする。問題は、今日のデートがどうなるかだ。


(陽菜さんはほぼ恋愛経験なさそうだし、慎重に行くに越したことはないと思うけど……状況次第では、そういうことにもなるかもしれない)


 いや、何を考えてるんだ、俺。「超」がつくほど天然な陽菜さんに限って、いきなり距離を詰めてくるわけないだろう。まさか、あの街で会ったときみたいに、同じ部屋で目が覚めるわけないじゃないか。まさかね。


 告白されたときの彼女の幸せそうな笑顔を思い返し、気持ちを落ち着かせようとしていると、「能見くーん!」と背中越しに声を掛けられた。



「お、おう」


 ヤバい、油断していた。完全に不意打ちである。


 緊張したまま振り向くと、そこには彼女の姿があった。


「えへへー、お待たせ!」


 ニコニコ笑って手を振っている姿は、真夏の太陽よりも眩しく見える。だがそれ以外にも、能見の目を引いたポイントがあった。


「陽菜さん、その服って……」


「あっ、気づいてくれた?」


 ロングスカートの裾を指でつまんで、その場でくるっと一回転してみせる陽菜。いや、可愛いけど、周りの注目を集めてるからやめてほしい。可愛いから許すけど。可愛い。


 花柄のブラウスにロングスカート。それは、初めて二人が出会ったときに陽菜が着ていたのと同じ服だった。



『も、もしかしなくても私たち、セックスしちゃいましたか⁉』


 あのときはインパクトの強すぎる台詞が耳に飛び込んできたものだが、時は流れ、彼と彼女の関係性も大きく変化した。


「出会った頃の気持ちを忘れずに、もっと能見くんと一緒にいたいって思ったから、このコーディネートにしたんだよ。改めてよろしくね、能見くん!」


 いやいや、これは反則だろう。こんなに健気に頑張ってくれる彼女がいるなんて、俺は何て幸せ者なんだ。あまりの可愛さに語彙力が死んでしまって、「俺もあのときの服着て来ればよかったなー、アハハ」みたいな平凡な返ししかできないのが情けない。美音さんを前にしたときの武智たちも、たぶんこんな気持ちだったんじゃないか?


「あっ、でも今はもう八月だもんね。ロングスカートだと暑いかも」


 ミニスカートにした方が良かったかなあ、と呟き、陽菜がスカートを軽くばさばさやる。能見は慌てて、小声で言った。


「おい、よせって。家の中じゃないんだから」


 言われて初めて、彼女は「ちょっとはしたないことをしてしまったかも」と気づき、赤くなった。スカートを元に戻して、しゅんとする。


「ご、ごめんね」



 前言撤回。一生懸命で可愛らしいけれど、やっぱり彼女は天然のままだ。季節感をあまり考えずに服を選んでしまう辺りも、いつもの陽菜さんだ。


「……そんなところも含めて好きなんだけどな」


「えっ?」


「何でもないよ」


 ボソッと呟いたのを聞きとがめられたが、能見は何食わぬ顔で受け流した。


「それより、早く行こうぜ。行ってみたい店があるんだろ?」


「うんっ!」


 彼に手を引かれた陽菜が、パッと顔を輝かせる。


 初々しさ溢れる一組のカップルが、今、渋谷の街へと繰り出した。


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