05 敗北とため息
『「564」を屠ったときのことを思い出せば、その答えにたどり着けるはずだ』
オーガストはこう言っていた。さっきは板倉のことに注意が向き、管理者の台詞の真意を読み取れていなかったけれども、彼は挑発すると同時にヒントを与えたのではないだろうか。
つまり、こういうことではないか。板倉を倒したときのように、一思いに心臓を貫けばよい、と。
(いくら再生能力が高くても、一撃で息の根を止められたら再生できないかもしれない。試してみる価値はある)
そう思い、ナイフを繰り出したのだが。
メアリーの胸へ刃を突き刺そうとしたとき、不意に板倉のことが頭に浮かんでしまったのだ。彼が変化したオレンジ色の怪人の面影が、目の前の灰色の怪人に重なって見えてくる。
『サンプル「564」がどんな姿になろうと、それが誰のせいであろうと、奴を殺したのは貴様自身だ。貴様が「564」の命を奪った張本人なのだ』
『トリプルセブン、貴様の回避能力は自分一人にしか適用できないようだな。自分が災厄から逃れることはできても、仲間を助けることはできない――所詮、貴様はその程度の存在。今の貴様に、「564」を救えるほどの強さは感じられない!』
オーガストの言葉を反芻する。
結局、自分には敵を倒すことしかできないのではないだろうか。この実験体に対しても、自分は板倉と同じことをやろうとしている。
(……ダメだ。戦闘中に迷ったら、こっちがやられてしまう)
迷いを振り払おうと、芳賀がかぶりを振る。再びナイフを繰り出したが、その先端は胸から大きく逸れ、人間ならへそがある辺りに刺さった。
もちろん、傷はすぐに塞がる。両腕を振り回して襲ってくるメアリーから、芳賀は横に転がって逃れた。
「どうした。できないのか?」
メアリーの背後から、嘲るようにこちらを見るオーガスト。
「以前よりも、攻撃のキレがなくなっているようだな。あのときは一撃で『564』を倒していたはずだが」
「黙れっ。君に、板倉のことを語る資格はない!」
怒りに任せ、なおもオーガストに斬りかかろうとする芳賀だったが、灰色の怪人に阻まれる。心臓を突こうとしても手が震え、切っ先が止まってしまう。
そんな攻防を何度か繰り返し、双方に疲れの色が見えてきた。芳賀も消耗してはいるが、能力の使用に支障をきたすほどではないようだ。事実、メアリーの繰り出す攻撃はすべて避けきっている。
「……今のままでは決定打に欠ける。やはり、追加投与による強化を促すべきか」
芳賀にとっては意味の分からない台詞を吐き捨て、オーガストはメアリーに近づいた。肩に手を置き、「一旦退くぞ」と告げる。
「近いうちにまた会おう、トリプルセブン。次に会うときが貴様の命日だ」
そう言い残して、二体の怪人は高く跳び上がった。アパートの屋上に着地したかと思うと、驚異的なスピードで屋根伝いに逃げていく。
「待て!」
芳賀は追おうとした。オーガストたちを追って全力で走った。だが、さすがに「管理者」の身体能力には敵わない。
結局追いつけず、立ち止まって荒い呼吸を整えながら、自分の非力さを噛みしめることとなった。悔し涙で視界が僅かにぼやけた。
アパートの部屋に戻った頃には、日が暮れかかっていた。
「お疲れのようですね。外の空気を吸いに行っただけではなかったんですか?」
控えていたスキンヘッドの浅沼が、心配そうに声を掛けてくる。
「ちょっと遠くまで足を伸ばしすぎた。変な連中に絡まれたよ」
芳賀は笑顔で応じたが、その表情はどこか物憂げである。付き人の浅沼から見ても、彼がリフレッシュできていないことは一目瞭然だった。
「トリプルセブン様。何か悩み事でも?」
「板倉のことで、少しね。君にも前に話しただろう?」
「ええ」
頷いた浅沼の顔は、強張っていた。
「俺は現場にはいなくて、あとであいつの遺体を見ただけなんですが……いまだに信じられないです。人間が、あんな化け物に変わってしまうなんて」
「最近、自分でもよく分からなくなってきたんだ。僕が板倉に対してしたことは、本当に正しかったんだろうか、とね」
管理者オーガストと遭遇したことは明かさず、芳賀はあくまで、彼と戦う中で生じた疑問についてのみ話した。
「――確かにトリプルセブン様は、板倉を手にかけたかもしれません」
浅沼は居住まいを正し、真剣な目でリーダーを見た。
「でも、もしもああしなければ、今頃俺たちは飢え死にしていました。あなたは、俺たち皆の命を救ったヒーローなんです。自信を持って下さい」
『……仕方なかったんだ。板倉は化け物になっただけでなく、僕たちが貯蔵していた食料を喰らい尽くそうとしていた。彼を倒さなければ、僕たちは全員飢え死にしていた』
奇しくも、それは先刻、芳賀がオーガストに投げかけた台詞とよく似ていた。そして、その言葉は既に否定されている。板倉の命を奪ったのは芳賀自身だ、貴様が弱かったから奴を助けられなかったのだと。
「君が板倉と同じ立場だったとしても、僕のしたことを称えられるかい?」
弱々しい笑みを浮かべ、芳賀は首を振った。
「ヒーローである前に、僕は一人の人間だ。どんな理由があろうとも、僕が板倉を倒したことは許されない。一生背負わなければならない罪なんだ」
「トリプルセブン様、しかし……」
「悪いけど、一人にしてくれないかな。今日は早めに休みたい」
疲労感こそあれど、眠気はなかった。けれども芳賀は、部下を追い払うための口実をつくるために小さな嘘をついた。
浅沼は渋々承諾し、一礼してから退室した。
部下と二人で沈鬱な雰囲気に呑まれるよりは、こうした方が良かっただろう。静かになった部屋で、芳賀は一人、長いため息をついた。




