04 貴様は弱い
もちろん、芳賀の回避能力が発動しないはずはなかった。
体を沈め、メアリーの薙ぎ払うような引っ搔きを難なくかわす。そのままナイフを振るい、すれ違いざまに怪人の脇腹を切り裂いた。
だが、傷口からの出血はすぐに止まった。斬られた皮膚が修復されていき、あっという間に無傷の肉体へと戻る。何事もなかったかのように、唸り声を上げて芳賀へ飛びかかってきた。
「ガルルルッ」
芳賀は右、左と華麗なバックステップで攻撃をかわしている。しかし、避けてばかりでは怪人を倒せないのは事実だった。かといって、ナイフで斬りつけても再生されてしまう。このままでは永遠に突破口が開けない。
「……規格外だね。こんな化け物じみた再生力を相手に、どう戦えばいいって言うんだい」
その呟きを聞いていたのだろうか。離れた位置でメアリーと芳賀の攻防を眺めていたオーガストの視線が、彼へゆっくりと向けられた。
「『564』を屠ったときのことを思い出せば、その答えにたどり着けるはずだ」
牙の並んだ口が、醜く歪んだ。深緑の怪人は笑っているのかもしれない。
「……『564』?」
ついこの間、部下に聞き込みをしているときに耳にしたナンバーだ。それが意味するものを理解して、芳賀は顔が熱くなるのを感じた。
あのとき、彼は怪人の心臓へ一思いにナイフを突き立てた。かつて人間だったものの命を奪った罪悪感と、刃を突き刺す嫌な感触がよみがえる。
「なぜ君が、僕が板倉にとどめをさしたことを知っている?」
板倉と戦った現場に居合わせたのは、自分の他に数名の部下だけだったはずだ。どこからか管理者も見ていたというのだろうか。
芳賀の悲痛な叫びに、オーガストは不気味な笑顔を浮かべたまま、沈黙で応じた。
「まさか、彼の遺体を持ち去ったのも君たちの仕業か?」
「……イエス、と言ったらどうする?」
「分かりきったことを聞かないでくれ。君を倒すまでだ!」
今や、芳賀は怒りに燃えていた。オーガストが板倉の体に何か細工をして、あんなおぞましい姿に変えてしまったのだと信じ込んでいた。爪で引っかこうとしてくるメアリーを無理やり押しのけ、オーガスト目がけて突進する。
「君だけは絶対に許さない。僕がこの手で倒す!」
勢いよく振り下ろしたナイフの一撃は、しかし、オーガストの腕で防がれた。頑丈な漆黒の皮膚は、刃で斬りつけられても傷一つつかない。
「なぜ我を憎む、トリプルセブン。本当に憎むべきは貴様自身ではないのか?」
「何っ?」
グッ、と腕に力を込め、オーガストがナイフを払いのける。だが自分からは仕掛けず、挑発するように手招きをする。
「サンプル『564』がどんな姿になろうと、それが誰のせいであろうと、奴を殺したのは貴様自身だ。貴様が『564』の命を奪った張本人なのだ」
我はすべて知っているぞ、と言わんばかりに、深緑の怪人はニヤリと笑った。その途端に、ナイフを握る手から力が抜けるような気がした。
「……仕方なかったんだ。板倉は化け物になっただけでなく、僕たちが貯蔵していた食料を喰らい尽くそうとしていた。彼を倒さなければ、僕たちは全員飢え死にしていた」
「違うな」
震える声で反論した芳賀。けれども、オーガストはそれすら一蹴する。
「それは貴様が弱いからだ。もし貴様に『564』を傷つけずに無力化できるような能力がそなわっていれば、殺さずに済んだはずだろう」
図星だった。今日、自室で一人思い悩んでいた内容を言い当てられて、芳賀は少なからず動揺していた。
「トリプルセブン、貴様の回避能力は自分一人にしか適用できないようだな。自分が災厄から逃れることはできても、仲間を助けることはできない――所詮、貴様はその程度の存在。今の貴様に、『564』を救えるほどの強さは感じられない!」
「……戯言を言うな!」
悔しさと憎しみが心の中でぐちゃぐちゃになったまま、芳賀は雄叫びを上げてオーガストへ向かって行った。しかし、その行く手をメアリーが遮る。
「グルルッ」
女性的な細い腕を広げ、彼女はオーガストを守るように立ち塞がった。
「邪魔しないでくれないか」
灰色の怪人へ、無我夢中で芳賀がナイフを突き出す。
メアリーを撃退し、オーガストを倒す。そして、板倉の仇を討つ。今の芳賀には、そのことしか考えられなかった。板倉を助けられなかった己の無力さを嘲笑され、彼は復讐に燃えていた。板倉をあの姿に変えた者を、許すつもりはなかった。
だが、ナイフの切っ先がメアリーの胸に届くか届かないか、というところで、芳賀の動きは止まってしまった。




