02 トリプルセブンは苦悩する
さて、当のトリプルセブンはというと、自分が「管理者」オーガストに危険視されていることなど知るよしもなかった。
むしろ逆だった。彼の方がオーガストを警戒していた。
「――僕の部下の、医療従事者だった女性についてはさっき話したよね。彼女の世話を、君たち二人にお願いしたい」
能見と陽菜へそう指示を出し、芳賀は二人を自室から送り出したところだった。ドアが閉まり、足音が遠ざかっていくのを確認してから、「ふう」と息を吐き出す。
(……怪しまれていないといいんだけどね)
板倉の体に起きた異変。そして、謎の怪人・オーガストの出現。怪事件が勃発し、能見も「お前の判断で何でも指示してくれていいぜ」と意気込んでいた中で、芳賀は「林愛海の世話をしてほしい」と命じた。
いくら芳賀がリーダーとしての仕事で忙しく、手が離せないからといって、何も能見たちに愛海の世話を任せる必要はなかったはずである。強い力を持つ彼らには、本来用心棒のような役目がふさわしい。二人よりも怪我人の手当てに慣れている部下だっていた。
それでも愛海の世話を頼んだのは、「能見たちがオーガストに狙われないように」と配慮した結果だった。
『不良品のナンバーズは、我々が処分する』
オーガストと名乗った怪人は、能見にこう言ったという。現時点では「ナンバーズ」が何を指すのか不明だが、能見と陽菜がそれに該当するであろうことはほぼ間違いない。どうやら管理者は、一定の条件を満たす被験者だけを襲っているようだ。
そして、もう一つ確かなことがある。今の芳賀たちの戦力では、オーガストには勝てない。
能見、陽菜、荒谷、咲希――四人がかりで挑んでもなお、あの深緑色の怪人には敵わなかった。三葉虫を思わせる紋様が刻まれた、黒光りする鎧のような皮膚。全力の攻撃をぶつけても、オーガストの肉体には傷一つつかなかった。
能見たちが不用意に出歩き、オーガストに倒されるようなことだけは避けなくては――そう考えた結果、彼らをなるべくアパートの外へ出さないような任務を与えたのだ。ついでに、芳賀のグループと同じアパートへ住まわせることにもした。
(不慣れな仕事だとは思うけど、よろしく頼むよ。能見)
なお、芳賀の心配をよそに、二人は引っ越しやら愛海の看病やらで忙殺され、「なぜこんな任務を与えられたんだろう?」と考える暇もなかったのは内緒である。
(おっと、いけない。僕としたことが、管理者が現れてから考え事をするのが増えたな)
ドンドン、と二回ドアがノックされて、芳賀は物思いにふけるのをやめた。
「入って構わないよ」
「失礼します」
玄関で一礼し、スキンヘッドの男が入室する。彼の名は浅沼といい、芳賀のボディーガードを務めている。この街に来て、芳賀が最初に従えた被験者でもある。
浅沼のナンバーは「544」。風を司る「4」番の力で空気の流れや酸素濃度を操作し、錬金術のような技術を司る「5」番の力で発火することで、手のひらから火球を放てる。また、彼は幼い頃から空手を習っているらしく、格闘でも無類の強さを誇っていた。その能力の高さを評価し、仲間にしたわけだ。
ちなみに、「管理者」オーガストの存在はまだ浅沼に明かしていない。下手に情報を拡散させて、不安を煽るようなことはしたくないからだ。能見と陽菜を部屋に上げて話し合いをしている間、彼には別の仕事をしてもらっていた。
「エリア防衛のための人員配置、完了しました。トリプルセブン様の指示通り、ある程度の人数は拠点に残し、いざとなればどこへでも援軍を送れる手はずになっています」
「ありがとう。ご苦労だったね」
ボディーガードの任務以外に、伝達役もこなしてくれている。純粋な戦闘力では能見や陽菜、荒谷、咲希に遠く及ばないだろうが、実質的に彼はグループのナンバーツーだった。
「もしものときは、僕も迎撃に向かうよ」
「本当ですか⁉」
たちまち、浅沼が目を輝かせる。どちらかというと強面な彼だが、尊敬するリーダーの前ではいかつい仮面が剥がれるようだ。
「助かります。無敵のトリプルセブン様が来てくれるのなら、百人力です!」
「褒めても何も出ないよ」
芳賀は苦笑した。自分が無敵とはほど遠い存在であることは、重々承知している。
『あなたが私の攻撃を全部かわすというのなら、その回避モーションをも予測してしまえばいい。この力があれば、私はあなたの動きを完全に見切れます!』
『僕の回避能力を、君の未来予測が相殺した。じゃあ、あとは純粋な格闘戦だ。……けど、傷を負って満足に動けない今の君が、僕を倒せるかな?』
トリプルワン・花木陽菜の予知能力によって、回避能力を破られたのが彼の最初の敗北だった。そのときは彼女が負傷していたこともあり、バトルは芳賀に有利に進んだ。が、自慢の能力を攻略されてしまった時点で「試合に勝って勝負に負けた」と言うべきだろう。
次に、トリプルシックス・能見のパンチをかわせずに負けた。いや、パンチそのものは避けたけれども、拳に纏っている紫電を「攻撃」だと認識できなかった。
『……俺がトリプルシックスで、彼女がトリプルワン。合わされば『777』、お前と同じトリプルセブンになる。お前の誇ってる幸運ってやつに、俺たちが勝てない道理はないんだよ!』
そして、能見の稲妻を「攻撃」だと再定義して臨んでも、敗北を喫した。芳賀の回避動作を陽菜が予知し、それを能見へ伝える。軌道修正されたパンチをかわすことができず、芳賀は無様に倒れることになった。
芳賀の迷走は、その後も続いていた。
『おそらく、綾辻咲希の力は「相手の能力をコピーする」というものだ。荒谷だけじゃなく、彼女は僕の回避能力までコピーしたんだ』
荒谷・咲希のタッグを迎え撃ったとき、彼は調子に乗って自分の回避能力のことをべらべら喋ってしまった。おかげで咲希に回避能力をコピーされ、苦戦を強いられた。結局、能見の雷を陽菜が照準補助することでバトルを制した。
では芳賀は何をしていたのかというと、光弾をかわしながら拳銃で応戦していた。もっとも、光弾と銃弾の威力の差を考えると、焼け石に水みたいなショボい攻撃である。
空から無数の光弾をぶつけてくる相手に対し、芳賀は避けることはできても反撃する手段を持たなかった。あの一戦において、芳賀は無能以外の何者でもなかったのだ。
(それだけじゃない。板倉がああなってしまったときだって、僕は彼を助けられなかった)
思考はどんどんネガティブな方向へ進んでいく。
原因不明の変身を遂げ、ぶよぶよとしたオレンジ色の皮膚を持つ怪人になってしまった板倉。かつて自分の部下だった男を、芳賀は傷つけずに無力化することができなかった。そのための手段を持たなかった。
板倉だったものの心臓へナイフを突き立てたときの、嫌な感触を忘れることはないだろう。思い出すだけで気分が悪くなり、吐き気が込み上げてきそうだ。
「――トリプルセブン様?」
はっと我に返ると、浅沼が心配そうにこちらを見ている。
「気分が優れないのですか?」
「すまない。少しぼうっとしていたみたいだ」
気まずいムードを払拭するように、芳賀は無理に笑った。立ち上がり、そのまま玄関へと向かう。
「疲れてるのかもね。外の空気でも吸ってくるよ」
「では、俺も一緒に……」
「大丈夫、支配下に置いているエリアから外へは出ないさ。すぐに戻る」
腰を浮かしかけた浅沼を制し、トリプルセブンは颯爽と歩き出す。
中性的で美しいその顔立ちは、しかし、憂いによって歪んでいた。
本当は、彼も薄々気づいていたのだ。最近物思いにふけりがちな原因は、オーガスト出現によって不安材料が増えたことだけではない。真の原因は、度重なる敗北、そして板倉を手にかけた罪悪感により、強さへの絶対的な自信が揺らいでいたことだ。
(――僕は弱い。どうしようもなく弱い)
少し外を歩いたくらいで、自信を取り戻せるはずもなかった。
「049 荒谷の機転」にて、芳賀が武智相手に苦戦したとき、部下たちが助けに来ていました。
そのとき火球で攻撃していたのは、もしかしたら浅沼だったのかもしれませんね。




