08 ゼロとの出会い
アパートとアパートに挟まれた細い道を抜け、いくらか開けたところに出る。
道の両側に、見知った顔が倒れていた。昨夜菅井たちに敗れ、仲間になって一緒に行動することを誓った男たちだ。
側に屈み込み、様子を見る。
「おい、大丈夫か」
「しっかりせえや!」
「……う、うーん」
菅井に続き武智も呼びかけたが、返ってくるのは曖昧な返答ばかり。皆、意識が朦朧としているようだ。気絶とまではいかないにしても、そこそこのダメージを受けてのびているらしい。
(誰の仕業だ?)
心当たりはなかった。少なくとも、さっきの青年ではないだろう。彼の能力はネバネバした糸を出すというもので、直接的に相手を痛めつけるタイプではない。
何者かがこの男たちを叩きのめしたのだ。それも、かなりの短時間で。
「あっ。菅井さん、あれ!」
そのとき、ある一点を指差して武智が言った。
「あいつらなんか、怪しいんと違いますか」
彼我の距離は五十メートルほどだろうか。
先ほどの青年が、三人の女性と話している。菅井たちから見て左斜め前に立つアパートのエントランスに、その四名はいた。
「……あの、リーダー。ぼ、僕、変な奴らに会って。それで追い詰められて、もう少しでやられるところでした」
唾を飛ばさんばかりの勢いで、小太りの男が訴える。目には涙まで浮かんでいて、菅井は「ちょっとやりすぎたかな」と反省した。
「よしよし、もう大丈夫だからね! 長谷川くんが頑張ってくれたことは、よーく伝わったよ☆」
ニキビ面の青年――長谷川という名字らしい――の相手をしているのは、黒髪ロングの女性。フレームの細い眼鏡を掛けた彼女は、天使のような優しい笑みを浮かべていた。おっとりした口調が可愛らしい。
カットオフショルダーのニットがよく似あっていて、どことなく色気もある。「たぶん自分たちよりも少し年上だろうな」と感じた。このゆるふわっとした雰囲気は、年齢相応に成熟した女性にしか出せない類のものだ。
「リーダー」と呼ばれているということは、長谷川は彼女の率いるグループに属しているのだろうか。菅井に退けられてから何があったのか知らないが、彼は彼なりに頑張って生き残ろうとしているのかもしれない。
「近くに他の被験者がいないか、偵察してきてくれてありがとう。私に言われた通り、危なくなったらすぐ引き返してきたんだね。偉いぞっ☆」
ゆるふわな女性はニッコリ微笑み、長谷川の頭を「よしよし、辛かったね」と撫でてやった。
長谷川が清潔感のある男性だとは、お世辞にも言い難い。どちらかというと汚く脂ぎっていそうだし、髪もボサボサだ。そんな彼の頭に触れながら、彼女は嫌な顔一つしなかった。
「大切なのは、皆がこの街で生き延びられること。長谷川くんが無事でいてくれて、私はとっても嬉しいよ!」
「……リ、リーダー。ありがとうございます!」
とうとう、長谷川は感極まって泣き出してしまった。本当に何なんだろう、こいつ。
というか、自分たちは一体何を見せられているのだろう。
菅井と武智に気づいた素振りもなく、長谷川とゆるふわ女性は妙にドラマチックなやり取りを続けていた。まるで握手会で出会ったアイドルとオタクみたいに、二人はアンバランスだった。
さて、ゆるふわ女性は長谷川に優しく接していたが、残りの二名はそうとも限らない。
「――うわ、キモっ」
パーカーにダメージジーンズ。さらに灰色の布マスクをつけ、フードまで被るという出で立ちはなかなか独特だった。
ポケットに両手を突っ込んだ彼女は、長谷川がデレデレしている様子を見て顔をしかめていた。
「ありえないんだけど。いや、まじで」
首筋には「888」の数字が刻まれている。偶然なのか必然なのか、菅井や武智と同じゾロ目だ。
「長谷川って、私たちのグループの中でダントツで役立たずだよね。めちゃくちゃキモいし。偵察一つまともにこなせないのに、美音さんに慰められた程度で泣くとかキモすぎ」
話し声を聞いた限りでは、ゆるふわ女性の名は「美音」というようだ。綺麗な名前だな、と菅井は思う。
自分たちのいるところまで彼女たちの声が聞こえるということは、長谷川にも悪口はばっちり聞こえているはずだ。その辺りは大丈夫なのだろうか。
「デュフフフ……」
いや、何も問題はなかった。彼は今、完全に美音と二人の世界に入っていた。うっとりした表情で、彼女のことだけを見つめている。
美音の笑顔も、作り笑いには見えない。彼女が仲間を思いやる気持ちは本物だった。
「やめなよ、唯ちゃん」
フードの少女を、ボブカットの内気そうな女の子がたしなめる。
「キモい、キモい、って言いすぎだよ。確かに長谷川くんはキモいオタクかもしれないけど、私たちの大切な仲間なんだから。悪口を言ったらダメ!」
「和子もまあまあ酷いこと言ってない⁉」
なるほど、ボブカットの女性は「和子」という名前なのか。そして、もう一方が「唯」。
「そうかなあ?」
唯にツッコまれても不思議そうな顔をしている辺り、かなりマイペースな人物なのかもしれない。
しかし、いつまでも彼女たちを眺めているわけにもいかない。
周囲に他の被験者が見当たらない以上、菅井の仲間を無力化したのは美音ら三人でほぼ間違いないだろう。彼女たちがサポートしていたからこそ、菅井は妨害されずに路地を出ることができたのだ。
つまり、あの三人は自分たちと敵対関係にある。向こうがこちらに気づき、さっきの男の仲間だと察したら、戦いに発展しかねない。
(こちらは俺と武智の二人だけ。対する向こうは、長谷川も入れて四人か)
多勢に無勢だ。ここは退くのが最善だろう。
「どうする、武智?」
一応、相棒の意見も聞いておこう。そう思って、菅井は声を掛けたのだが。
「……ええなあ」
「は?」
隣を見ると、武智は目をハートにしていた。彼の視線は今、美音に釘付けである。
「美しく整った顔立ち。メリハリのあるプロポーション。おまけに、自分の魅力を理解しているがゆえの、あざと可愛い言動! 肩をちょっと出して、色香を漂わせとるところもたまらんなあ。これこそまさに、パーフェクトヒューマン。人類の宝や!」
「……は?」
菅井はあんぐりと口を開けていた。何がパーフェクトヒューマンだ、ふざけるな。
興奮した武智は、オタク特有の早口で美音の魅力を並べ立てている。
今の彼は、長谷川と同類。長谷川が武智か、それとも武智が長谷川か。キモオタとキモオタが並んだとき、そこに大した違いはないのである。推しの尊さに身悶えしているのは、どっちも同じなのだから。
ともかく、武智は美音という女性に一目ぼれして大興奮し、菅井の話なんか聞いていなかった。そして、彼が推しに捧げた「魂の叫び」が通りに響き渡ったがゆえに、美音たちもようやくこちらに気がついたのである。
「あら、こんにちは。もしかして、あなたたちが長谷川くんをいじめたの?」
ちょっぴり悲しそうな表情で、美音が二人を見やる。長谷川を下がらせ、一歩前に出る。
「だとしたら、お仕置きをしないといけないかもね☆」




