07 異常事態、発生?
名前も分からない青年の能力は、「粘着質な糸を生成する」というものだった。これによって敵の動きを封じ、隙ができたところをナイフや拳銃で倒すつもりなのだろう。
彼に与えられたナンバーは「245」。最も多く投与されているのは、「2」番の薬剤だ。別のものに変化する性質が、青年の糸に反映されている。
紡がれた直後の糸は硬いが、熱に反応して少しずつ溶ける。空気中の熱でも溶けるし、ターゲットの体に付着すればその体温でドロドロになるのだ。
風を司る「4」番の力で気流を操作し、糸を狙い通りの軌道で放つ。そして「5」番の力は、空気中の水分をはじめとする周囲の物質を利用し、糸を生み出す過程に関わっている。
「君たち二人とも、い、一網打尽にしてやる!」
いちいちどもるせいで、青年の台詞にはいまいち迫力がない。
予期せぬ攻撃に驚きこそすれ、武智と菅井のタッグは冷静に対処した。
「……まあ、そんなことやろうと思ったわい」
無造作にナイフを一薙ぎし、眼前に迫っていた糸の束を切断する武智。
粘着質な糸を斬り捨て、だるそうに首を軽く鳴らす。トリプルフォーの攻撃力は、名も知らない男を圧倒していた。
「この場合は、『二兎を追う者は一兎をも得ず』と言った方がいいんじゃないか?」
奇襲を受けるのにはもう慣れた。
残りの糸に向けて、菅井が指を鳴らす。宙を漂っていた白い束は、ぴたりと動きを止めてしまった。
「う、嘘だろう⁉」
途端に男が慌て始める。能力が全く通じず、どうすればいいか分からなくなっているようだった。
「僕の糸が、こ、こんなにあっさり防がれるなんて」
「……もう諦めた方がええんと違うか?」
今度こそ決着はついただろう。ナイフを構え直し、武智が再び問いかける。
これ以上抵抗するようなら、彼の繰り出すかまいたちと、自分の停止能力のコンボであっけなく無力化できるはずだ。
などと考えていると、武智はこちらをくるりと振り向いた。
「どうする。こいつを倒したとして、菅井さんは仲間に加えたいんか?」
「……正直なところ、気は進まない。少なくとも、信用に足る男ではない」
誰だって、卑怯な手しか使わないような人物を側に置きたくはないだろう。菅井は渋面をつくった。
今思えば、追っている相手があのときの男だと、もう少し早い段階で気づくべきだった。屈服させたのに仲間に加えないのであれば、彼と交戦したのはほとんど無駄足だったことになる。
「俺も同意見や」
武智が苦笑する。それから男へ向き直り、「しっ、しっ」と追い払うように手を振った。
「そういうことやから、早うどっかに消えてくれ。これ以上俺らが戦う理由はない」
「……こ、殺さないのか? ここで僕を逃がせば、いつかまた君たちに、き、牙を剥くかもしれないのに」
だが、青年はすぐには立ち去らなかった。
武智の真意が分からなかったのだろう。両手を挙げて降参の意を示しながら、おどおどした様子で尋ねる。
「このゲームの主催者は、『戦績上位の百名を街から出す』と言っていた。あの言葉が本当なら、別に相手を殺す必要はない。叩きのめして、力の差を証明すればいいだけだ」
トリプルフォーに代わって答えたのは、菅井だった。
「リベンジしたいのなら好きにしろ。お前が何度挑みかかってきたところで、俺たちには勝てないと思うがな」
「……く、くそっ」
挑発気味の台詞を付け足すと、青年は怒りでたちまち真っ赤になった。だが、今の彼は実力差を思い知っている。逆上し、考えなしに襲いかかってくるとは考えにくかった。
そこまで計算した上で、菅井は言ったのだ。バーでのアルバイトで、人間観察力はそこそこ鍛えられたと自負している。
「覚えてろよっ」
情けない捨て台詞を吐いて、小太りの男はふらふらと走り去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、武智が「あ」と呟く。
「そういえば、さっきの奴を逃がさんように二、三人を先回りさせといたんやったな。すっかり忘れとった」
菅井と武智が追いかけるのと同時に、仲間の野郎どもを路地の出口まで行かせていたのである。もし、彼らがまだ向こうで待機していたら、立ち去ろうとしている青年と出くわして乱闘になるかもしれない。
「まずいな」
敵を取り押さえるので頭がいっぱいで、失念していた。こめかみを押さえ、菅井は素早く思考を巡らせる。
「あのニキビ面と俺たちの仲間が衝突したら、『見逃してくれるはずだったのに、約束を破られた』と思われるかもしれない。逆恨みして、本当に俺たちに復讐しようとするかもしれないぞ」
「うわ、それはあかんわ」
早く追いかけよう、と武智が駆け足のポーズで主張する。男よりも先に野郎どもの元へたどり着き、攻撃を中止するように呼びかけるつもりだ。
「何事も情報伝達をきちんとして、行き違いがないようにせないかん。あの真珠湾攻撃だって、アホな日本人のせいで宣戦布告するのが遅れたから、全世界から非難されたんや」
「真珠湾攻撃については諸説あるけどな。……いや、戦争の話をしている場合じゃない。とにかく奴を追うぞ」
「へいへい」
男を追って、二人が路地を駆けようとしたときだった。
はるか先を行くニキビ面の青年は、何事もなく路地を抜け、そのまま左へ折れていく。誰に妨害されることもなく、ただひたすら逃げていく。
「……おかしい」
菅井は首をかしげた。
自分たちが思っていたより、小太りの男は道を急いでいたらしい。あっという間に路地の出口に到達し、難なくそこから去っていった。
「仲間にはまだ、攻撃をやめろと命じていなかったはずだ。なのに、奴が出口で待ち伏せされなかったのはどうしてだ?」
「見張りをサボってたんと違うか? それか、相手が弱そうだったから戦う気もなくなったとか」
武智が冗談めかして言う。だが、目までは笑っていなかった。
「何かあったのかもしれない」
二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。そして真相を探るべく、路地の出口に向かって疾駆した。




