05 頼れるアタッカー
アパートの部屋を出る前に、菅井は能力をコントロールする術を会得していた。
部屋の中の段ボールを放り投げ、その動きを自分の力で止める。このような練習を何度か繰り返す中で、力の特性を理解した。
まず、能力の対象にするものを決める。目ではっきりと認識できるものならば、止める対象は何でも構わない。
次に、何らかの動作をトリガーとして意識を集中させる。力を発現させ、動きを封じる。
ニキビ面の青年を停止させたときは掌底を繰り出すような動きをしたが、毎回あれをやるのは手間がかかりそうだ。それに、敵が遠くに立っているときにもシャドーボクシングならぬ「シャドー掌底」をやるなんて、ちょっと不格好な気もする。もっと手軽にできるアクションが好ましい。
特定の動作と能力発動を結びつけることは、発動スピードの向上にもつながるかもしれない。そんなわけで色々試しているうちに、菅井はフィンガースナップを気に入った。
「停止」の効果は五秒ほどしか持続しないようだが、それでも十分だ。五秒あれば、動けない敵の隙をついて決定打を与えられる。
はたして、菅井の狙い通り、ナイフを構えた青年の動きは完全に止まった。刃が菅井の髪に触れる手前で、彫像のように固まってぴくりとも動かない。
「……??」
あんぐりと口を開けるも、動きを完全に封じられているため、驚愕の声も出せない。
二階からジャンプして襲いかかってきた男は、固まったまま、ずっこけたみたいなポーズで落下した。地面へしたたかに腰と頭を打ちつける。何だかギャグマンガのワンシーンのようで、ちょっとおかしい。
やがて「停止」の効果が切れ、動けるようになると、彼は痛そうに呻き始めた。
「あいたたた。な、何やったんや、今のは」
「俺の能力さ」
さて、勝負はついた。今ならこの男を楽に倒せる。落下の衝撃で体が痺れている状態であれば、体格でやや劣る菅井でも負けはしないだろう。
けれども、このときの菅井には、「他の人間を殺してでも生き延びてやる」というほどの強い覚悟はなかった。名前も知らない小太りの男を退けたときも、とどめは刺さなかったし、あくまで正当防衛をしただけだった。
ゆえに、目の前にいる関西弁の男を殺したくはなかった。ジャケットの内側から取り出しかけた拳銃を、再び懐へしまう。
「……どうしたんや? 情けなんかいらん。やるなら早うやってくれ」
力なく横たわった青年が、怪訝そうにこちらを見てくる。彼の首には「444」のナンバーが刻まれていた。自分と同じ、ゾロ目の数字だ。
「お前、名前は」
「武智将次や」
「そうか。俺は菅井颯だ」
周りに他の被験者がいないことを確認し、菅井は続けた。
「武智。さっきのお前の攻撃、なかなか筋が良かった。あと一瞬でも反応が遅れていたら、今ごろ俺の首は飛んでいただろう」
「おおきに。……って、礼を言うところじゃなかったわい。命を奪うつもりで仕掛けたりして、すまんかったな」
ひょうきんにセルフボケツッコミをする武智の目を、菅井がじっと見つめる。
「謝らなくていい。確かに不意を突かれたのは『卑怯なやり方だ』と思ったが、この街で生き残るためには必要なことだ」
「お、おう」
いまいち話の本筋が見えてこず、武智が首をかしげる。彼の様子を見て、菅井は「さっさと本題に入った方が良さそうだ」と思った。
「お前の強さは本物だと、俺は思う。どうだ、コンビを組んで戦ってみないか?」
そして不敵な笑みを向け、リアクションを待った。
「……コンビで戦う?」
意外な提案をされて、武智はオウム返しに言うのが精一杯だった。あるいは、馬鹿なのかもしれない。
「そうだ。このデスゲームに、自分一人で戦わなきゃいけないなんてルールはない。仲間を増やせば増やすほど、生存できる確率は上がる」
「せやけど、仲間が増えたら裏切られる可能性も上がるで? ……菅井とか言うたな。お前、本当に俺のことを信用しとるんか?」
だとしたらとんだお人好しや、と武智は苦笑した。
「俺はついさっきまで、お前の首を狙っとったんやぞ。そんな奴を信用して仲間にするなんて、どういう風の吹き回しや?」
「いや、お前が裏切ることはない。俺には分かる」
が、菅井はきっぱりと言い切ったのだった。
「どうしてや?」
「お前は馬鹿だからさ」
「……な、何やと。失礼な」
武智の頬に赤みが差す。勢いに任せて起き上がり、菅井に一発見舞おうとしたけれども、それは無理というものだ。落下のダメージが抜けておらず、上体を起こしかけたところでまた倒れ込んでしまう。
腹筋を鍛えようとして失敗した人みたいで、傍から見ている分には面白い。
「あ、あかんわ。まだ腰が痛い」
「危なっかしい奴だな。やっぱりお前には、ちょっと抜けてるところがある」
ため息とも咳払いとも分からない吐息を漏らし、菅井は言った。
「俺の能力は、あくまで敵の動きを止めるだけだ。この先も勝ち残っていくためには、お前のようなアタッカーが必要になる」
「俺が相手の身動きを封じて、お前がその隙に勝負を決めれば、向かうところ敵なしだ。悪い話じゃないだろ?」
「言われてみれば、そんな気がしてきた」
難しい顔をして、考え込む武智。もはや清々しいまでの手のひら返しは、馬鹿だからこそだろうか。
「……そういえば、お前の能力をまだ聞いていなかったな」
ふと思い出して、菅井が呟く。コンビ結成してアタッカーを務めてもらうのであれば、相棒の能力を知っておくのも大切なことだ。
「さっきはただ単に斬りかかってきたようにしか見えなかったが、まだ自分の力が何なのか分かっていないパターンか?」
「チッチッチッ、甘いなあ。目に見えるものだけ信じとったらあかんで」
途端に、武智はドヤ顔で人差し指を振り始めた。人によってはかなりストレスになりそうなリアクションである。
「俺は風を操れる。ナイフを振ったり、腕や足を動かしたりする動作に合わせて、かまいたちを発生させて敵を斬れるんや」
彼がそう言ったとき、はらり、と菅井の頭から何かが落ちた。
それは髪の毛の束だった。先刻、武智が振るったナイフ自体は菅井へ届かなかったものの、刃の周囲に発生したかまいたちは頭部へ届いていたのだ。
幸いにも斬撃は毛髪を切り裂くだけにとどまっていたが、あと一秒でも菅井の反応が遅れていれば、出血を伴う深い傷になっていたかもしれない。改めて、武智の戦闘力の高さを思い知らされる。
「他にも、『戦闘が長引くほど一撃の威力が上がる』っていう特性もあるかもしれん。まあ、戦ってる中で何となく『あれ、なんか今の攻撃えらい強かったな』って自分で感じてるだけなんやけどな」
飾らない言葉で語る武智だったが、やはり彼の強さは本物のようだ。「俺の目に狂いはなかった」と菅井は確信した。
「……まったく、大した奴だな」
腕組みをして、武智の様子を窺う。
「それで、結局お前はどうしたいんだ。手を組むか? それとも今まで通り、気ままなソロプレイを続けるか?」
「せやなあ。ソロプレイも悪くないかもしれんなあ」
武智はにやりと笑った。
「でも、お前と組むのも面白そうや」
ややあって、菅井が片手を差し出した。その手を取って、武智が大儀そうに立ち上がる。
固い握手を交わし、二人は笑い合った。




