006 陽菜の奮闘
均衡を破り、最初に突っ込んできたのは板倉だった。銃を捨て、代わりにナイフを振り上げて突進してくる。
「こっちのお嬢ちゃんは、俺がたっぷり可愛がってやるよ」
下卑た笑みを浮かべ、月光にきらめく刃を振るう。
芳賀に叱られたことを反省し、名誉挽回だとばかりの威勢の良さであった。力の弱そうな女性から狙う辺り、彼の卑しい根性が透けて見えるようだ。
だが、板倉の放った斬撃は、虚しく空を切る。
彼の攻撃モーションが、陽菜にはスロー再生のように見えた。一瞬のうちに、最適な回避行動及び反撃パターンを割り出す。
「……そっちがその気なら、仕方ないですね」
寸前で横に飛び退いた陽菜は、右手に握ったナイフを素早く振るった。手首をごく浅く斬りつけられ、板倉が悲鳴を上げる。
「こ、このアマっ」
得物を取り落とし、よろよろと後ずさる。痛そうに腕を押さえながら、板倉は後退していった。
「畜生、覚えてろよ。このままで済むと思うな」
その情けない後ろ姿を、陽菜は呼吸を荒くして見つめていた。ナイフに付着した血が、やけに生々しかった。
刃物を振るうのは生まれて初めてだったし、自衛目的とはいえ、人を傷つけるのは心が痛む。けれども、無抵抗でいればこっちがやられてしまうのだ。
混乱と戸惑いの中で、運命に翻弄されるようにして、彼女は戦う選択をしたのだった。
横で戦っている陽菜の奮闘ぶりが、視界の隅に入る。能見は内心、かなり驚いていた。
彼女は天然っぽいし、どちらかと言えばのんびりしたタイプに見える。殺し合い上等の無法地帯へ、これほど早く適応できるとは思っていなかった。板倉の他にも数名を相手取り、陽菜は鮮やかに無力化している。
やはり、予知能力によるものだろう。敵の動きを先読みし、それに対する最適な対処法を見つけ、効率よく倒す。
さっきの板倉との決闘でもそうだ。相手を正面から迎え撃ち、刃をぶつけ合うのではなく、隙を突いていなす。板倉がナイフを振るうより前に、陽菜にはその軌道が読めていたに違いない。
(なかなかやるじゃん、あいつ)
自分の方へ向かってくる相手を避け、振り下ろされる刃をナイフで受け止める。ギリギリの立ち回りを演じながら、能見は彼女へ賞賛を送った。
しかし、互角の形勢がいつまでも続いたわけではない。五人目の敵を無力化した頃から、陽菜の動きにはキレがなくなっていた。
「……っ、はあ」
息も切れ気味だ。斬りかかってくる相手を躱すのに精一杯で、なかなか反撃に移れないでいる。
彼女の能力はあくまで、「これから先に起こる出来事を予測する」というもの。いくら攻撃を予測できても、それを回避するのは彼女自身である。余裕をもって回避できるだけの体力を削られれば、追い込まれるのは必然だ。
元々、陽菜は運動が得意なわけではなかった。大柄な男たちに次々に襲われ、対処していくうちに、彼女のスタミナはかなり削られていたのだ。
痩せた男が振るったナイフを、自らのナイフで払いのける。呼吸を荒げ、顔を赤くした彼女の表情が、恐怖に強張った。
逃げようとしたが、疲れ切った足は思うように動かない。中距離から放たれた銃弾が、陽菜の大腿部へ命中した。
「うっ」
くぐもった悲鳴を漏らし、陽菜が倒れる。それに気づいた能見は、我を忘れて駆け寄ろうとした。
「おい、大丈夫か。しっかりしろ」
「……う、ううん、大丈夫。ちょっとかすっただけだから」
激痛に顔を歪めそうになりながらも、陽菜は無理に笑顔をつくった。
何が「ちょっとかすっただけ」だ。気丈に振る舞ってみせた彼女の、その太腿からは結構な量の血が流れていた。貫通はしていないようだが、無視できるダメージではない。
「待ってろ。俺が必ず助ける」
自力で立つことも難しそうだ。陽菜へ手を貸そうとした直後、能見は頭部に強い衝撃を感じた。
「――てめえ、よそ見してんじゃねえぞ!」
苛立ちを露わにし、スキンヘッドの男が殴りかかってくる。不意を突かれ、能見は防御することすらできなかった。視界に火花が散り、意識が一瞬飛びかける。
能見くん、と陽菜が悲鳴を上げたのが聞こえた気がした。
「……能見くん。能見くんっ」
泣き叫ぶ彼女を、男たちは左右から羽交い締めにした。そのまま体を持ち上げ、芳賀の元へ連行しようとする。
「離して。離して下さい」
「そうはいかねえなあ」
じたばたともがく陽菜の鳩尾へ、スキンヘッドの男性は容赦なく拳を叩き込んだ。華奢な身体が痛みに震え、彼女の目が潤む。
そうやって獲物を無理やり黙らせ、男は続けた。
「女だからと思って油断したぜ。散々手こずらせやがって。このツケは、きっちり払ってもらうぞ」




