01 再会、渋谷にて
二人が再会した場所は、渋谷のスクランブル交差点だった。
別に待ち合わせていたわけではない。女の方はリクルートスーツに身を包み、スマートフォンの画面へ視線を落としながら歩いていた。
赤い眼鏡のレンズの奥で、瞳が悲しげに揺れている。何か良くない知らせを受け取ったのかもしれない。
男の方は、物珍しそうに周りをきょろきょろと見て歩いていた。要するに、二人ともよく前を見ていなかった。
「きゃっ」
「わっ」
大勢の人々が、機械的に整然とすれ違っていく。そんな中、この若者たちだけはスムーズに交差点を通過できなかった。互いの肩と肩とがぶつかり、反射的に歩みを止める。そして、何とはなしに相手を見やる。
「あら、あなたは」
「げっ、てめえは」
互いが誰であるかを認識し、男女は驚いたように目を見開いた。数秒間そのまま見つめ合ってから、ようやく信号が赤に変わり始めていることに気づく。
「奇遇ね。こういうのを、感動の再会と言うのかしら」
目を瞬き、緑川冴は困ったように微笑む。
「とりあえず渡ってしまいましょう。どこか喫茶店にでも入って、落ち着いて話をしたいわ。……あなた、この後時間はある?」
言うが早いか、冴はヒールを鳴らしてつかつかと歩き出した。長い黒髪が風になびく。
「ちょうど暇を持て余してたところだ。俺は構わないぜ」
二つ返事で頷き、永井大和が彼女を追いかける。
相手に拒否権を与えないかのような、図々しいともいえる冴のペースにも、彼は慣れっこだった。幸か不幸か、二人は海上都市のデスゲームを生き延びた仲なのだ。
あの戦いが終わってから、約二か月が経とうとしている。八月中旬、季節は夏真っ盛りだ。
彼らがこの大都会で再び巡り合ったことは、ちょっとした奇跡だろう。
都会の喫茶店は、やけに値段が高い。一番安いアイスコーヒーのSサイズを頼んだのに、五百円も取られた。
「ぼったくりじゃねえか、これ」
繁華街を見下ろせる窓際の席へどかりと腰掛け、不平を漏らす永井。黒っぽい液体の注がれたカップに口をつけ、「うへえ」と顔をしかめた。
「しかも、とんでもなく苦いぜ。ひでえ。人間が飲むものじゃないだろ、このコーヒー」
「……ちょっと、声が大きいわよ。店員さんに聞こえちゃうじゃない」
その隣の席に座り、眉をひそめて注意する冴。周囲の客から冷ややかな視線が集まっているのではないかと想像すると、あまり良い心地ではなかった。むしろ、ひやひやする。
「緑川、店のチョイス間違えたんじゃねえのか? さっさと二軒目行こうぜ、二軒目」
「だから、声が大きいって言ってるでしょう⁉ それと、二次会に行くみたいなノリで誘わないでもらえるかしら」
不満そうな永井を、冴が慌てて注意する。
彼のコーヒー批評はそれから十分あまり続いたが、最終的に「まあ、別にこの店でもいいぜ」と折れた――シュガースティック、ガムシロップ、コーヒーフレッシュを全て二個ずつ投入する、という条件付きで。
ひとしきりコーヒーの味について話し合ってから、二人はようやく本題へ入った。つまり、再会を懐かしみ、お互いの近況を聞いてみた。
「それにしても、緑川って本当に堅苦しい奴だな。一周回って尊敬しちまうかもしれねえ」
「すごく微妙な褒め方ね……。リアクションに困るわ」
藪から棒に何なのよ、と言わんばかりに、冴が頬を膨らませる。一方で永井は、スーツ姿の彼女を無遠慮に眺めていた。
「いや、私生活でもフォーマルなスーツを着てるのかと思ってな。てめえ、もしかしてそれが私服扱いなのか?」
「馬鹿言わないで」
とがめるような視線を投げかけ、永井を黙らせる冴。
「私は今短大の二年生で、就活中なのよ。今日渋谷に来ていたのも、会社の面接を受けるため。あなたみたいに、ただフラフラと遊び歩いていたわけじゃないのだけど」
「別に遊んでたわけじゃねえよ。なんかこう、街が復興した様子を見たくなっただけだ。……てか、それより」
ずいっ、と身を乗り出し、永井が興味深そうに冴の顔を覗き込む。仔細に表情を観察され、冴は何だか恥ずかしくなった。
「何かしら?」
「緑川、俺より年上だったんだな。同い年か年下かと思ってたから、ちょっと意外だぜ」
ちなみに俺は大学一年だ、と悪びれずに永井は笑う。
対して、冴はコーヒーカップを握る手をわなわなと震わせ、耳まで真っ赤になっていた。はたして怒っているのか、照れているのか。半々かもしれない。
「……あ、当たり前でしょう⁉ あなたのような馬鹿が私より年上だなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないんだから」
「ひでえ言われようだ」
あっさりと顔を遠ざけ、永井がしかめっ面をする。
「からかってるわけじゃねえぞ。実際、緑川は全然若く見えるし。何なら、背伸びして頑張ってスーツを着てるようにも見える」
「台詞の後半がからかってるように聞こえるのは、私だけかしら……」
確かに冴は女性にしては長身だが、永井と比べれば背が高いわけでもないし、スタイルが特別良いわけでもない。顔立ちも、どちらかというと幼さが残っている方だ。それでも精一杯の威厳を示そうと、眼鏡をくいと押し上げ、薄い胸を張る。
さっきメールで受け取った不採用通知――いわゆる「お祈りメール」による落胆はどこへやら、彼女は意地の張り合いに全力投球していた。普段は真面目な冴にしては、珍しいことである。
「あなたは信じてないのかもしれないけれど、私が就活生なのは本当よ」
「八月にもなって、まだ就活してるのか?」
「しょうがないでしょう。あんなことがあったんだから」
「あんなこと」とはもちろん、管理者のクローン体による日米両国への同時攻撃だ。戦乱の影響を受け、企業の採用活動は長らくストップしていたのである。
最近になって徐々に採用活動が再開され、冴もまた本来の日常へ回帰しようとしていた。
「そうか。緑川も緑川で、大変なんだな」
うんうん、と訳知り顔で頷く永井だが、たぶんあまり理解していない。
「俺はまだインターンに参加したこともないし、就活のことはよく分かんねえけどよ。まあ、とにかく頑張ってくれよな。応援してるぜ」
やっぱり分かっていなかった。
「はあ」とため息をこぼし、冴が困ったように微笑む。永井の目の錯覚でなければ、彼女の頬はまだ熱を帯びていた。
「――あなたのことは本当に馬鹿だと思っているけれど、裏表がないのは良いところね。一応、ありがとうと言っておくわ」
「おう。恩に着ろよ」
「謎の上から目線は相変わらずなのね……」
三度、冴はこめかみを押さえた。
この男と一緒にいると、どうも調子が狂う。クールで知的な自分のキャラが崩れてしまう。その都度ツッコミを入れないと、彼との会話が成り立つかどうかすら怪しい。
けど、なぜだろう。こうして隣り合って座っているだけで、心がじんわりと温かくなってくるのだ。
千人の被験者が殺し合うデスゲームを生き延びた結果、今や冴と永井の間には奇妙な感情が横たわっていた。同じグループの仲間たちに対して抱くのとは、また異なった種類の想いだ。
腐れ縁なのか、友情なのか、あるいは淡い恋心のようなものなのか。まだ判別不能な温かい気持ちが、双方の胸に宿っている。
氷を溶かすようにゆっくりと、それを育てていきたい。
正体不明の感情を自覚して、冴の心臓の鼓動が速まった。




