163 恋模様と浪人時代
陽菜の悪気ない発言のせいで、周りの目が痛い。特に、二人の事情に詳しくない菅井たちは、「まさかこいつ、純粋な陽菜さんをたぶらかしてたんじゃ……」と言わんばかりの疑惑の眼差しを向けてくる。
「悪い、ちょっとトイレに」
どうにも気まずいので、能見は少しの間席を外すことにした。ほとぼりが冷めた頃に戻ってこよう。
「僕も行こう」
しかし、ほぼ同じタイミングで芳賀も腰を上げた。
能見が先に靴を履き、廊下の突き当たりにあるお手洗いを目指す。その後に芳賀が続く、という格好になった。
あいにく、この店の手洗いは狭かった。個室のトイレが一つあるのみで、中に長時間こもって時間を潰したりはできない。ましてや、後ろで芳賀が待っているのならなおさらだ。
仕方なく、能見は用を足してすぐに個室を出た。そのまま芳賀の脇をすり抜けようとすると、ぐいっと腕を掴まれる。
「何だよ」
驚いて彼を見やると、やけに真剣な表情をしていた。
「話があるんだ。少し時間を貰えないかな」
「藪から棒にどうした? ……ていうか、お前トイレに行くんじゃなかったのか」
「あれは単に、君と二人になる建前が欲しかっただけさ」
さすがに、便所の前で立ち話というわけにもいかない。芳賀に連れられるがままに、能見は店の奥まった通路へ行った。
「とりあえず来てくれ」
「お、おう」
彼の真意が分からず、戸惑いを隠せなかった。
不意に足を止め、芳賀が振り返る。
「――単刀直入に聞こう。君は、陽菜さんのことをどう思っているんだい?」
「どう思っているって……」
何を聞かれるのかと思ったら、これである。能見は呆れていた。
「別に付き合ってたりとかはないし、何もないぞ。日本に戻ってからはお互い忙しくて、あまり連絡も取れてなかったし」
「そうか。僕はてっきり、君が彼女を好きなんだと思っていたよ」
ふむ、と顎に手を当て、考え込む芳賀。ずばり本心を言い当てられて、能見はどきりとした。
陽菜への好意を自覚したことは、これまで何度もあった。ともに力を合わせて戦う中で、能見はだんだんと彼女に惹かれていった。
ただ、陽菜は男性経験がなく、恋愛にも疎そうだ。もしかすると、あまり興味がないのかもしれない。そんな彼女へアプローチをかけることを、ためらう自分がいたのも事実である。
『……あ、ちなみに私は、女子大の一年生だったんですよー。華やかで男の子にモテそうなイメージがあったので、文学部にしました。すごいでしょ!』
本人はああ言っていたし、異性を求める気持ちがまったくないわけではないのだろう。が、女子大へ入学した直後に「サウザンド・コロシアム」計画に巻き込まれ、まともな学生生活をほとんど送れていない現状を鑑みると、陽菜は「脳内がお花畑」のままなのかなあと思う。
「吊り橋効果って知ってるかな。男女が一緒に怖い出来事を体験することで、心理的な距離が縮まるっていう、あれだよ。海上都市でずっと一緒に暮らしてきた君たちは、そういう効果を存分に受けているはずだ」
「いや、効果を受けても何も起こらなかったんだけど……」
能見の反論は聞こえなかったらしい。気を取り直して、芳賀が持論を展開する。
「実際、女子大生というのは、合コン等のイベントで男性から高い人気を誇る。もし君にその気があるのなら、チャンスは無駄にしない方がいいんじゃないかな。早くしないと、他の男に取られてしまうかもしれないよ」
それに、と彼は微笑を浮かべて付け加えた。
「陽菜さんのようなド天然と上手くやれるのは、たぶん君くらいだ」
「余計なお世話だよ」
認めたくないが、芳賀は頭が切れる。しかも弁が立つ。このままでは劣勢になることを意識し、能見は話題の転換を試みた。
「てか、意外だな。お前がその手のことに詳しいなんて。芳賀も案外、合コンとかに興味あったりするのか?」
「まさか。浪人時代に、先輩からそういう噂を聞いたことがあるだけだよ」
「……お前、浪人してたのか? それは初耳だぜ」
能見は目を丸くした。
今年の四月上旬、ちょうど大学の入学式くらいの時期に、あの怪人たちは日本へ現れた。能見たち千人の被験者に、大学一年生が多かった理由はおそらくそれだと思われている。芳賀や美音は、その中で二歳ほど上だったわけだ。
道理で大人びた言動が多く、妙に達観していたわけだ。グループのリーダーを務めていたのも、人生経験の豊かさに起因していたのだろうか。
「うん。ちなみに、二浪だ」
「自慢するようなことでもないけどな⁉」
キメ顔で「二浪だ」と明かされたので、リアクションに困った。
やはり芳賀は、スペックが高いのか低いのかよく分からない。




