162 エイトの救いとシックスの不幸
(……ど、ど、同棲? 同棲ってあの、一つの家で一緒に暮らすっていう、あれで合ってる⁉)
誰もがそれなりに驚いていたが、最もショックが大きかったのは唯だろう。
アイザックに囚われていたところを助けられて以来、彼女は荒谷に夢中だった。「彼には咲希さんというパートナーがいる、自分が割り込まない方が彼は幸せなのだ」と一度は諦めたものの、久しぶりに荒谷に会うと、懐かしい感情が湧き上がりそうになる。
(二人とも、そんなに進んじゃってたなんて)
大学生の同棲は割と珍しいが、あり得ない話ではない。
彼らの会話に耳をそばだてていると、荒谷の出身は東海地方らしいと分かった。地方出身で、元々一人暮らしをしていたのなら、咲希を呼び寄せるのも難しくなかっただろう。
二人は同じネックレスを身につけていた。十字架をかたどった、金色の小さな装身具。お揃いで首元にかかったそれが、彼らの愛の深さを物語っていた。
自分には手の届かない幸せ。叶わない夢。現実の残酷さに打ちのめされるようで、唯は苦しかった。
しかし、彼女はクールなキャラを維持した。心の内を見せず、焼き上がった肉を何食わぬ顔で取り皿へ移す。
(フン。こうなったら、やけ食いしてやるんだから)
無言で箸を進めていたが、誰かの視線を感じて顔を上げる。気がつくと、荒谷がこちらをじっと見ていた。
「……え、ええと。荒谷さん?」
一体どうしたのだろう。わけが分からず、唯は赤くなった。
パンツスーツ姿の自分が珍しいのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。海上都市にいた頃だって、スカートを履くことはほぼなかったのだから。
「ああ、すまない」
我に返ったように、荒谷が頭を掻く。
「清水さんがマスクを外してるところ、久々に見たような気がして」
唯は普段から、グレーの布マスクを愛用している。
なぜ、と聞かれても、理由を答えるのは難しい。昔からちょっと崩れた感じのファッションをするのが好きで、その一環としてマスクを取り入れただけだ。
一度だけ、荒谷の前で素顔を晒し、いつもとは違う清楚な服装で迫ったことがある。あの街でスカートに足を通したのは、その一回きりだ。荒谷の気を引くためとはいえ、我ながらずいぶん思い切った作戦に出たと思う。
(……覚えていてくれたんだ。荒谷さん)
じわり、と胸の奥が温かくなる。
食事の席ではマスクを外さないわけにもいかず、今はスーツのポケットにしまってあった。何だか急に恥ずかしくなって、唯は口元を手で覆った。そして、上目遣いに荒谷を見た。
「ありがとう。でも、ちょっと恥ずかしいかも」
本人は意識していなかったが、なかなかの破壊力である。あざと可愛い仕草に荒谷は目を奪われ、絶句していた。
「……匠?」
くいくい、と彼の袖を引っ張る咲希。笑っているのに、笑顔が怖い。
「あたし以外の女に、色目使わないでって言ったよね?」
「いや、今のは別に、そういうのじゃなくてだな⁉」
あたふたと言い訳を並べる彼が面白くて、唯はつい「ふふっ」と微笑んだ。
結論から言うと、彼女の恋は成就しない。咲希と荒谷が強い引力で惹きあっている限り、永遠に片想いのままだ。
けれど、叶わない恋にだって意味はある。荒谷を好きになったことを、唯は一度も後悔していなかった。
恋人がいるにもかかわらず、自分のような相手にも優しく接してくれる。そんな素敵な人だからこそ、彼のことを好きになったのだ。
(荒谷さん、幸せになってね。私、あなたのことを一生応援してます)
自分の気持ちに一区切りついて、雲一つない夏の空のようにすっきりとした心地だった。照れ隠しに髪の毛の先を弄ぶ唯は、いつになく美しかった。
「同棲かあ」
一方で、陽菜はさほど驚いていないようだった。肉を口に運びつつ、にこにこ笑って言う。
「街にいた頃は、私たちも同棲してたね。ねっ、能見くん!」
「……ゴ、ゴホッ」
思わず口の中のものを吹き出しそうになって、能見はむせた。何度か咳き込み、ようやく落ち着いてくる。
「あ、あれは不可抗力みたいなものだろ。荒谷と咲希さんのケースとは、また別だ」
「そうとも言い切れないんじゃないかな?」
追い打ちをかけてきたのは、あろうことか芳賀だった。涼しい顔で、能見にとっては都合の悪い事実を並べ立てる。
「僕が率いていたグループに加わり、同じアパートで暮らすようになった時点で、君たちには別々の部屋で寝るという選択肢もあったはずだ。余っている部屋もあったからね。けど、そうしなかった」
「だって、能見くんと一緒が良かったんだもん。ねー!」
「ねー」じゃねえよ、とツッコミを入れたいのを我慢する。能見は頭が痛くなりそうだった。これでは、ますます皆から二人の関係を誤解されるばかりだ。
『今までずっと一緒に戦ってきたし、楽しいこともつらいことも二人で経験してきた。だから、これからもそうしたいなって思って。ダメかな?』
実際は、陽菜からこう言われて同棲を続けることになったのだが。首のナンバーはレーザー照射で消せても、獣の数字「トリプルシックス」の悪運はついて回るらしい。
(……やっぱり、不幸だ)
生温かい視線が全身に突き刺さるようで、能見はため息をついた。
唯のファッションセンスの謎については、外伝④「唯と和子とパンケーキ」で詳しく描いていきます。
ナンバーズたちの日常を中心とした、ほのぼのする短編になる予定です。
こちらもよろしくお願いします。




