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サウザンド・コロシアム  作者: 瀬川弘毅
12.「鎮魂と再出発」編
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159 弾いてみてもいいですか

 さて、線香を立てて黙祷を捧げ、一通りやるべきことは終えた。


 そろそろお暇すべきだろうか、と菅井が考えた折だった。


「そうだ。せっかくだから、美音の部屋も見ていくといい」


 大吾に勧められるがまま、一行は二階へ上った。二階には三つほど部屋があり、そのうちの一つのドアを大吾が開く。残りは夫婦の寝室なのかもしれない。


「女の子らしい部屋だな」というのが、第一印象だった。ベッドの上には、クッションやらぬいぐるみやらが所狭しと置かれている。


 一方、勉強机はきちんと整理整頓されており、化粧品はこの棚、ステーショナリーグッズはここという風に、どこに何があるのかがパッと見で分かるようになっていた。リーダーシップを発揮していた美音らしいと言えるかもしれない。


 だが、何よりも目を引いたのは、部屋の奥に鎮座しているアップライトピアノだった。黒く美しく光るそれは、見る者を惹きつけてやまなかった。



「このピアノは、美音がまだ幼稚園生だった頃に買ったんです」


 懐かしいな、と大吾が目を細める。


「昔から音楽が大好きな子で、『ピアノを習いたい』と言い出したのも自分からでした。それから練習を欠かすことはなく、コンクールで入賞したり、大学でもピアノを専攻したり……大好きなことに全力で打ち込んでいる姿は、とても輝いていました」


 部屋の主が去ってから、四か月弱が過ぎている。けれどもピアノは埃を被っておらず、むしろピカピカに磨き上げられていた。美音の両親が欠かさず手入れしているのだろう。


「少なくとも当分の間は、あの子の遺品を処分する気にはなれません。このピアノはもっての外です。もっとも、私も妻も音楽に関しては素人同然で、埃を払ったり、たまに調律を頼んだりするのがせいぜいですがね」


 困ったように笑う大吾と、ピアノとを見比べ、菅井は何事かを考えているようだった。顎に手を当て、過去に思いを馳せている。


「――小笠原さん。少し弾いてみてもいいですか?」



「ちょ、ちょっと、何言ってるんやリーダー……じゃなかった、菅井の兄貴」


「兄貴とは何だ。普通に呼べないのか、お前は」


「さん」付けにするとか、色々あるだろうに。呆れ顔の菅井に、武智は詰め寄った。


「美音さんのピアノを勝手に弾いたりしたら、罰が当たるで」


「そうですよ! お化けが出ちゃいます!」


「いや、和子はビビりすぎだから」


 唯に冷静にツッコまれても、和子は「そうですかあ?」ときょとんとしている。ナンバーズの中でも、(陽菜の次くらいに)彼女は天然に違いなかった。



「お前たち、静かにしろ。小笠原さんも困ってるだろ」


 ショートコントじみた会話が始まったのを横目に、菅井は軽く咳払いをし、仕切り直した。


「ガキの頃、少しピアノを習っていたことがある。簡単な曲なら俺にも弾ける。それに、誰も演奏しないまま放っておくのも、ピアノが可哀想だと思ってな」


 ホストを連想させる垢抜けた外見が特徴的なだけに、菅井がピアノを弾く姿はなかなか想像できなかった。昔は可愛げがあった、のかもしれない。


 見た目と中身のギャップ、そして「美音のピアノを弾いてみよう」という、やや唐突にも感じられる提案を前に、他の三人は戸惑っていた。


 しかし、菅井が鍵盤蓋を開け、白鍵の上に指を走らせると、皆ははっと息を呑んだ。


 演奏自体は拙いものだ。右手のみの、主旋律だけの演奏だし、練習すればこれくらい誰でも弾けるだろう。


 けれども、音程やリズムに誤りはなかった。ファソラ、から始まる哀愁漂うメロディーが、美音がかつて使っていた部屋に響いていく。



 歩き疲れ たたずむと

 浮かんでくる 故郷の街

 丘をまく 坂の道

 そんな僕を 叱っている


 その曲こそ、「カントリー・ロード」に他ならなかった。あのダンスパーティーの日、美音と一緒に歌った歌だ。



(美音さん。最後にこの曲を弾いて、祈りを終えようと思います)


 演奏を続けながら、菅井は心の中で亡きリーダーへと語りかけた。


(心配することはありません。あとのことは俺たちに任せて、安らかに眠って下さい)


 ピアノ椅子に座った彼の後ろで、すすり泣く声が聞こえる。パーティーのときのことを思い出したのか、和子と唯はまた泣き出してしまったらしい。いや、武智の声も混じっているような気がする。


(俺たちの手で、美音さんが願っていた平和な世界を取り戻します)


 美音とは対照的に、菅井は親に勧められるがままピアノを習い始めた。元々体を動かす方が性に合っていたため、長続きせずにやめてしまった。


 だから、ピアノを弾くのは「やらなくちゃいけないから」だった。親や先生に怒られたくないがために、嫌々練習を重ねた。自分自身で「ピアノが弾きたい」と強く思ったことは皆無で、ただ周囲の期待に応えるためだけに弾いていた。


 彼の人生において、今日は記念すべき日になったかもしれない。


 この演奏は美音に捧げるものだ。菅井は初めて、誰かのために純粋な想いでピアノの音色を奏でていた。



 カントリー・ロード

 この道 ずっと行けば

 あの街に 続いてる気がする

 カントリー・ロード


 管理者を倒して海上都市を脱出し、自分たちは故郷へ帰ってきた。


 できることなら、美音にも同じ景色を見せたかった。両親や友人、彼氏に再会して喜ぶ姿を見たかった。


(ありがとう、美音さん。……そして、さようなら)


 思い出の曲を弾き終えたとき、菅井の目からも涙がこぼれていた。


作中で引用した楽曲:「カントリーロード」本名陽子 1995年、初版リリース。

アメリカの歌手ジョン・デンバーが1971年に発表した「Take Me Home, Country Roads」(邦題:故郷へかえりたい)を日本語に訳してカバーしたもの。

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