157 トリプルゼロへの祈り
瀟洒な洋風建築の一戸建て、といった趣である。ガレージ付きの広い庭は、居住者の経済的豊かさを容易に想像させた。
ここで生まれ育った子どもは、きっと何不自由ない生活を送っていたに違いない――「管理者」を名乗る、現代科学が生んだ悪魔さえいなければ。
インターホンを鳴らすと、白髪交じりの頭が覗いた。
「……この前、連絡してくれた子たちかね?」
ドアの隙間から、中年男性は興味深そうに四人を見ていた。
額に刻まれた深い皺とやつれた顔が、彼が味わった悲しみの大きさを物語っている。
「はい」
四人を代表して、菅井が返事をした。そして、頭を下げた。
「あの街で、俺たちは美音さんとともに過ごしていました。どうか、彼女のために祈りを捧げさせていただけないでしょうか」
「構わないよ」
鷹揚に頷き、男性は彼らへ「入りなさい」と促した。礼服の男女がそれに続く。
一行はブラックスーツに身を包んでいた。和子のみスカートタイプのもの、他の三人はパンツスーツである。
居間に通されると、お茶と和菓子が出てきた。
関東に出てきたばかりの武智には馴染みがなかったが、ここ埼玉の「川越」というところで作られた菓子らしかった。包み紙に生産地が書いてある。
「リーダー、川越って何や? そんなに有名な街なんか?」
「関西で言う京都みたいなものだ。京都ほど規模がでかいわけじゃないが、昔ながらの街並みが残っていて、割と有名な観光名所だな。……あと、ここでは『リーダー』呼びはやめてくれ」
「あら、埼玉は初めてなのかい?」
二人が小声でやり取りを交わしているのを見て、夫人はにこにこして声を掛けた。
「わざわざ東京から来てくれて、どうもありがとう。あの子も喜んでいると思うわ。ゆっくりしていってね」
ふくよかで、人のよさそうな夫人がお盆を下げる。
「ご丁寧にありがとうございます」
あまり長居しても迷惑かもしれない、とは思うが、今は夫人の好意に甘えることにした。
礼を述べ、菅井たちは茶の注がれたカップに口をつけた。久しぶりに敬語を喋り、熱い茶を飲んだせいか、舌がひりひりした。
海上都市から日本へ戻り、クローン体の残党を倒してからおよそ一か月。その間、菅井たちは小笠原美音の遺族を探していた。
彼女の遺体は見つかっていないし、あの街へ連れ去られたという証拠もない。したがって「行方不明」扱いだったのだが、それはほぼ死亡したのと同義だった。
死亡した被験者の多くは、美音と同様のケースだった。気が遠くなりそうな行方不明者情報の中から、美音に該当しそうなものを探し当て、どうにか遺族とコンタクトすることに成功したのである。
一人娘を亡くし、夫婦だけが住む家はがらんとしていた。
先ほど、菅井たちを通した男性は小笠原大吾。お茶菓子を差し入れたのは、小笠原凛子だ。二人とも五十代半ばくらいかと思われた。
お茶をカップの半分ほどまで飲んでから、四人は大吾に案内され、仏壇のある和室へ通された。
仏壇には、フォトフレームに収まった一枚の写真が立てられている。カメラへ笑顔を向け、ピースサインをする美音の姿が映っていた。
今の菅井たちと同じく、彼女もスーツ姿だった。背景には大きな看板が映り込んでおり、「江戸川音楽大学 入学式」と、黒く太い文字ででかでかと書かれている。
「三年前の写真だね」
大吾がぽつりと言った。
「もう少し新しい写真があれば、その方がよかったと思うよ。でも、あの子は友達も多かったし、交際相手もいたみたいだからなあ。……大学に入ってから、なかなか一家団欒の時間が取れなくなってしまってね。おかげで写真もろくに撮れなかった」
「うっ」
武智が小さな呻き声を漏らした。幸い、大吾には聞こえなかったらしい。
(美音さん、彼氏おったんか……。ううっ、俺の夢が、幻想が、全部ぶち壊れてもうた。あんなに綺麗な人やったら当然って気もするけど、やっぱりショックやなあ)
唇を噛み、苦々しげな表情を浮かべた彼を、大吾は「美音の死を心から悲しんでいるのだろう」と解釈した――まあ、それもあながち間違ってはいないのだが。
菅井も、武智も、唯も、和子も。ここにいる全員が、美音のことを大好きだった。いつも明るく振る舞い、皆に元気を分け与えてくれた彼女を、実の姉のように慕っていた。
あれほど社交的な性格で、しかも容姿端麗となれば、交友関係は広かったろう。自分たちのように美音の死を悼んでいる人々は、少なくないに違いない。
仏壇の前に並んで正座し、四人は黙祷を捧げた。
(……美音さん、あなたを殺した管理者は倒されました。戦いは終わったんです)
目を閉じ、両手を合わせ、菅井は彼女へ語りかけた。
(あなたに託された通り、俺たちは戦いました。グループの誰一人欠けることなく、あの街を出ることに成功しました)




