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サウザンド・コロシアム  作者: 瀬川弘毅
11.「英雄・トリプルシックス」編
164/216

152 その頃、二人は

「押さないでもらえるかな。ちゃんと全員に行き渡るだけの分があるから、皆落ち着いて、列になって並んでほしい」


 街の北端、下がった防波壁の前で、芳賀は声を張り上げた。


 彼の後ろには、携帯食料の詰まった無数の段ボール箱が積まれている。そして彼の前には、配布される食料目当ての長蛇の列ができていた。


 誰かが食料を独り占めしてもいけないので、当分の間はナンバーズが中心となってそれを管理し、被験者たちへ平等に配っていくことにしていた。一人につき一箱分ずつ、食料品を渡していく。



 その列の最後尾に、猛ダッシュで近づいている影があった。


 彼が両腕で抱えているのは、巨大な段ボール箱であった。どうやら、いくつかの段ボール箱を展開して継ぎ合わせ、化け物じみたサイズに改造したらしい。一辺が三メートルはあろうかという箱を掲げた姿は、異様だった。


「……フッ。我ながら、完璧な計画だぜ」


 汗に濡れた額を拭い、永井大和は不敵に笑った。否、かっこつけて笑った。


 管理者のクローン群と遭遇し、必死で逃げ、彼はしぶとく生き延びていたのだった。


「一箱分しか食料をもらえないのなら、とびきりでかい一箱を作ってしまえばいい。『そっちじゃなくて、これに入れてくれ』って交渉してやる」



「あなた、本当に馬鹿なのね。そんな申し出が認められるわけないでしょう」


 はあ、と呆れたようなため息が後ろから聞こえた。永井は反射的に怒鳴り返す。


「馬鹿とは何だ。やってみなくちゃ分からねえだろ。スーパーにエコバッグを持参するのが良くて、何で食料配布に段ボールを持参するのがダメなんだ」


「どうしてその二つを比較するのかしら……。比べる対象がおかしいと思うのだけれど」


 またしても、ため息。


「いえ、あなたのやっていること自体、明らかにおかしいわ。自分だけ他の人より多くの食べ物を得ようだなんて、あさましい考えよ。人間として醜いもの」


「てめえ、言わせておけば」


 カッとなって言い返して初めて、永井は「自分は誰と言い争っているのか」を把握していないことに気づいた。はっと振り返ると、そこには見知った顔がいる。


「げっ、てめえは」


 苦虫を嚙み潰したような顔の永井。


 黒髪ロングに、フレームの細い眼鏡。ビジネススーツを纏ったクールな女性――緑川冴は腕を組み、げんなりした表情で彼を見つめていた。



「何かしら? まさかとは思うけれど、今の今まで私だと気づいていなかったの?」


「そんなわけねえだろ、ボケナス」


「小学生レベルの罵倒ね……。あなたの脳は、その頃で既に成長をやめてしまったのかしら」


「少なくともてめえよりはましだ。いつもいつも偉そうに、俺たちのことを馬鹿にしやがって。そのふざけた脳天、今日こそ勝ち割ってやるぜ!」


 正確には、冴が馬鹿にしているのは永井が率いるグループ全体ではなく、永井個人だけなのだが。


 巨大段ボールを地面に下ろし、永井が身構えた。革ジャンの内ポケットから取り出した拳銃が、光を帯び、ショットガンへと変化する。


「こっちの事情も知らずに、勝手なことを言うんじゃねえよ。俺は別に、自分一人のために食料をもらいに来たんじゃない。これは仲間たちの分だ。分かったか、クソボケ!」



「ちょ、ちょっと、落ち着きなさい」


 さすがに慌てた様子で、冴は彼を手で押しとどめた。


「確かに私たちは今まで、何度も戦ってきた。でも、もう戦いは終わったのよ。デスゲームの主催者は倒されて、平和な街になったのよ」


「……ああ。そうだったな。何だか、まだ実感がなくてよ」


 ふと冷静になり、永井はショットガンを再び拳銃へと戻した。冴から視線を外し、遠い目をする。


「あの日、俺たちが街の北側で決戦を挑んだとき――妙な化け物が湧いてきやがった。あいつらが俺たちを扇動していたってことなのか?」


「多分、そうだと思うわ」


 冴も否定せず、こくりと頷く。


 管理者やそのクローン群を見たことがない者も少なくない中、彼らはある意味、貴重な生き証人と言えるかもしれない。もっとも、管理者の誕生した経緯など、詳しい事情を知っているのはナンバーズに限られるけれども。



「とにかく、私たちが争うのは無意味よ。大人しくしてちょうだい」


「へいへい、分かりましたよ」


 大きな段ボールを拾い上げかけて、永井は思い直したらしい。もう一度それを地面に置き、冴をじっと見た。


「ま、これからは仲良くやろうぜ。何だかんだで俺たちは長い付き合いというか、腐れ縁なわけだしな」


 にっと笑い、右手を差し出す。嘘偽りのない澄んだ瞳に、冴は戸惑ったようだった。


「……え、ええ。そうさせてもらうわ」


 永井が予想外に素直だったためか、彼女のペースは崩れていた。なぜか朱が差している頬を見せないよう、うつむき気味に右手を伸ばす。


 こうして、二人は初めて握手を交わした。互いの手の温もりを交換し合うと、心まで温まったような気がした。


 戦績上位百名に入ることだけを目標に、生き残りをかけた殺し合いが行われていた非日常。殺伐とした日々で冷え切った心が、ゆっくりと癒されていく。



「ねえ、永井くん」 


 ややあって、冴が口を開いた。手を繋いだまま、彼を見上げる。頬は赤く染まっている。


「な、何だよ」


 今度は、永井が動揺する番だった。彼女から一切敵意のない眼差しを向けられるのは、ひどく新鮮な体験だった。


「上手く説明できないのだけれど、私はこの街で、あなたに出会えて良かったのかもしれない。そんな気がするわ」


 いつになく優しい笑顔で、冴は言った。



「まあ、良くも悪くも退屈しなかったよな。どっちのグループも強さが拮抗してて、決着つかなかったし」


 もごもごと口にしつつ、永井はわけもなく頭を掻いたり、目を逸らしたりした。


「てめえらとやり合うのに夢中になってたせいで、他の奴らと戦う暇もなかった。結局、俺は誰一人殺してない。もし管理者の計画通りにデスゲームが進められていたら、俺らは間違いなく脱落してたな」


「あら、偶然ね。私もよ」


 冴が目を丸くする。


「けれど、結果的にはそれで良かったんじゃないかしら。管理者は倒されて、私たちは自由を取り戻したんだから」


「……そうだな」


 ずっと冴の手を握っていたことに気づき、急に恥ずかしくなったのだろう。たちまち永井は赤くなり、長い握手を終えた。照れ隠しなのか、両手を革ジャンのポケットに突っ込んで「もう二度と手なんか握らねえぞ」と言わんばかりだ。


 そして、彼はしんみりと呟くのだった。


「本当に良かったと思うぜ。ここで人を殺して、越えてはならない一線を越えていたら、俺は何か大切なものを失っていたんじゃないか。そんな気がするんだ」


「今回ばかりは、私もあなたに同意よ」


 ようやく取り戻された平和の味を、二人は噛みしめていた。



「……ねえ」


「何だよ」


「私たちが日本に帰れたとして、またどこかで会えるかしら?」


「さあな」


 何かに縋るように問う冴へ、ぶっきらぼうに永井は返す。


「先のことなんざ分からねえ。第一、無事に日本へ戻れるかどうかすら、現時点では何とも言えねえ」


 でもまあ、と多少のぎこちなさを伴って続ける。


「気が向いたら会ってやってもいいぞ。同じ街で生き抜いた仲だしな。話し相手くらいにはなるだろう」


「どうしてこう、上から目線なのかしら……。あなたの喋り方、控えめに言ってめちゃくちゃイライラするのだけれど」



 こめかみを押さえ、冴は悩ましげな表情である。彼女の中では、「控えめ」の定義がとても緩く設定されているのかもしれない。


 彼女が顔を上げた拍子に、永井と目が合う。ほどなくして二人は吹き出し、おかしそうに笑った。冴に至っては、笑いすぎて目に涙が滲んでいる。


「不思議ね。あなたみたいに馬鹿な人と一緒にいると、退屈しないわ」


「一言多いんだよ、この野郎」


 まんざらでもなさそうな調子で、永井は彼女を小突いた。


 なお、大声で騒ぎすぎたために目をつけられて、彼が列から外されたのはこの数分後の出来事である。かつて自分たちを圧倒した菅井に呼び止められ、永井は情けないほどガクガク震えていた。


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