151 十字架と祝福
「じゃーん!」
満面の笑みで、「どうだ」と言わんばかりにステッキを見せつけてくる。
「……ええと、それは杖か?」
一方、荒谷はとっさにどうリアクションすべきか判断に窮した。ごく平凡で、分かりきったことを質問するのみにとどまった。
「うん」
「俺のために?」
「そう」
こくこくと頷く咲希の返事は、とても簡潔だった。「それくらい見れば分かるでしょ」と思っているのかもしれない。
「ありがとう」
差し出されたステッキを受け取り、荒谷は感慨深げにそれを見つめた。
骨折した自分のためにこんなものまで用意してくれるとは、何と優しい人だろう。やはり、咲希と出会って結ばれたことは間違いではなかった。運命、いや奇跡とすらいっても良いくらいの邂逅だ。
「しかし、よくできてるな。望月さんに作ってもらったのか?」
嬉しそうな表情を変えぬまま、荒谷は咲希に聞いた。
彼がこう思ったのも当然だ。望月和子は物質を分解し、別のものとして再構築できる。原材料さえ揃っていれば、制作過程をすっ飛ばして、いきなり完成品を用意できるのである。この海上都市にはその道の職人もいないことだし、手っ取り早く杖を用意するのならば、和子に頼むのがベストだろう。
「……ううん。あたしが作った」
目を伏せ、かあっと頬を染めて、咲希が小さな声で言う。
「咲希が? これを全部?」
「うん」
驚いて、荒谷は二、三度瞬きをした。
咲希は相変わらず、恥じらうようにもじもじしている。いつも堂々としていて、隙あらば荒谷の主導権を奪おうとしてくる彼女にしては、かなり珍しいことだ。
「街のあちこちを回って、木材を探したの。で、それをナイフで削って、どうにか杖っぽいかたちにしたってわけ」
言われてみれば、表面が若干ざらついているようにも感じる。やすりの類がないため、細かい加工ができなかったのだろう。
だが、全体的にはとてもよくできている。何より、愛する女性が一生懸命に作った杖であるということが、じいんと心に響いた。
「すごいな。俺のために、ここまでしてくれたのか」
「まあね。匠が眠ってる間に、ちょっとずつ作ってたの」
照れ笑いを浮かべる咲希は、美しかった。荒谷の失敗は、あまり深く考えず、彼女へ質問を投げかけてしまったことかもしれない。
「……でも、何で自分で全部作ったんだ? 望月さんに頼めば、一瞬で形にできたと思うが」
若きカップルは、部屋でだらだらと過ごしていたわけではない。フェリーに乗って海上都市を出る予定日は、すぐそこにまで近づいている。それまでに必要なものを段ボールに詰め、荷造りを終えなければならない。
忙しい時期に、あえて自分のためにステッキを作ってくれた咲希。嬉しい反面、その心理が分かりづらいような気もした。
「そんなの、決まってるじゃない」
ちょっぴり恥ずかしそうに、咲希は微笑んだ。
「この杖は、匠のためのものだから。他の誰でもない、あたしが世界で一番大好きな人のためのものだから。和子ちゃんたちの手は借りずに、あたし一人の手で作りたかったの」
「ダメ、だった?」
荒谷が無言のままなので、咲希もつられて不安そうな表情になる。
もっとも、彼はただ見惚れていただけだったのだが。
「そんなことはない。……全く、いじらしいところがあるな、咲希は」
我に返り、軽く咳払いをしてから、荒谷は優しく彼女を抱きしめた。
「ありがとう。すごく嬉しかった」
「あっ、匠、そんなの反則。もう無理、可愛すぎて死んじゃいそう……」
咲希にとって荒谷は「国宝級のイケメン」であり、それはいつまでも変わらないのだろう。この街で出会い、同じ景色を見て、海に囲まれた監獄の真実を知ってから、ずっと。
荒谷の腕の中で、彼女は幸せそうに目を閉じた。
ついばむような短い口づけを交わし、ひとしきり愛し合ってから、ようやく二人は体を離した。
「このステッキ、一生大切にするよ。咲希が作ってくれたものだからな」
「やだ匠、もうやめて。あたしのライフはもうゼロよ」
先ほどからハートを射抜かれ続け、咲希はうっとりした顔つきで首を振っていた。それから、思い出したように付け足す。
「……ていうか、単純に、和子ちゃんのところに行くのに抵抗があったっていうのもあるかも」
「さっきまでの流れを台無しにするなよ。あいつと仲悪かったのか?」
「いや、和子ちゃんのことは嫌いじゃないんだけど」
咲希が言葉を濁す。
むしろ、二人の関係は良好に思えた。以前、アイザックの雷撃から咲希は和子を庇い、そのとき負った傷を和子が癒した。咲希には荒谷、和子には唯というパートナーがいるものの、咲希と和子もそれなりのチームプレーができるタッグだったと言えよう。
「唯ちゃんが、匠のこと狙ってるように見えたことがあったから」
その瞬間、空気が凍った。
「……へ、へえ。妙なこともあるもんだな」
ぎこちない笑みを浮かべ、荒谷は曖昧に返す。まさか気づかれていたとは思わなかった。
監視カメラ破壊のために二チームで動いたとき、唯から超積極的なアプローチを受けたのは忘れない。咲希という恋人がいなければ、その魅力にノックアウトされていたかもしれなかった。
「気のせいじゃないか?」
「匠がそう言うのなら、あたしの勘違いかもね」
意外にも、咲希はあっさり引き下がってくれた。ひとまず安心しつつ、荒谷が彼女の肩を軽く叩く。
「安心してくれ。俺が浮気するなんてありえない。俺たちはずっと一緒だ」
脇に置かれた木製のステッキが、日光を受けて明るく輝く。十字架を思わせるそれは、まるで二人の将来を祝福しているようだった。




