150 デスゲームの終焉
『簡単だよ。ゼリーを食べさせず、能力も使わせなければいい』
能見が問い詰めたとき、スチュアートはこのように答えた。
ごく当たり前の、分かりきったことしか言わない怪人に、能見は怒りさえ覚えた。この街には、管理者が配布したウィダーゼリーの他に食料がない。それを食べなければ飢え死にするだけで、たとえ怪人化を防げても被験者は衰弱してしまう。
けれども、深緑の怪人は一つの真実を伝えていたのだ。「ゼリーを食べさせなければいい」とはすなわち、「ゼリー以外のものを食べさせればいい」ということでもある。そして彼らは実際、促進剤の入っていない食料を保管していたのだろう。
答えに近づけたような気がした。一つの確信を得ていた。
(……俺が管理者の立場なら、モニタールームから離れた位置に食料貯蔵庫を作ったりしなかっただろう。すぐに食べ物を手に取れる場所に置くはずだ)
屈み込み、能見は夢中で床をまさぐった。間もなく、小さな取っ手が指に触れる。
部屋が薄暗いせいで今まで気づかなかったが、床の一部が跳ね上げ戸になっている。タイルに偽装した扉には、それを引っ張って開けるための取っ手がついていた。
鍵はかかっていないようだった。一思いに跳ね上げ戸を引き上げ、能見は中を覗き込んだ。そして、息を呑んだ。
「――これは」
貯蔵庫に収められていたのは、大量の携帯食料だった。カロリーメイトに代表されるような栄養機能食品もあれば、チョコレートなどの菓子、シリアルや飲料水と多種多様である。一辺が五メートルほどの、ほぼ正方形に近いかたちの地下室には、長期保存が可能な食品群がぎっしりと詰め込まれていた。
ラベルも何も印刷されていなかったゼリーとは異なり、海上都市に来る前、スーパーやコンビニで見たことのあるものばかりだ。袋を切り、中身に細工をしたような形跡もない。管理者が薬品を入れていない、安全な食べ物であることは保証されていた。
「わあ、すごい」
能見に続き、陽菜も扉へ駆け寄った。中にある膨大な食料を見て、歓喜に叫ぶ。
「これで、咲希ちゃんの症状も止められるよ」
「……それだけじゃない。この量なら、被験者全員に分配して行き渡らせることも可能だ」
すぐに外へ運び出そう、と芳賀は力強く言った。反対する者などいなかった。
一旦アパートへ戻ってから、空の段ボール箱をありったけ持ってくる。その中へ食料をいっぱいに詰め、能見たちは手分けして運び出した。
ついにウィダーゼリー以外の食べ物が発見され、被験者たちの怪人化は完全に止まることとなった。管理者の企みは頓挫し、彼らの種族は滅びへ向かうこととなる。
ただし、やるべきことはまだ山積している。「これから忙しくなりそうだ」と能見は思った。
数日後。
各エリアに散ったナンバーズの手で、次の四つの事項が被験者たちへ伝えられた。
一つ、デスゲームを主催していた管理者が倒されたこと。
二つ、もうこれ以上戦う必要はないこと。
三つ、管理者が配布したゼリーには危険な物質が含まれており、それに代わる食料が見つかったこと。
そして四つ。街の北側の防波壁が下がり、その外にある海にはフェリーが一隻泊まっている。全員の準備が整い次第、船に乗って日本へ戻れるであろうということ。
最初はナンバーズたちの説明に半信半疑だった者も、北エリアに転がっているクローン群の死骸を見ると考えを変えた。管理者の姿を目撃したことのある者はさほど多くなかったのだが、今その比率は逆転した。自分たちを苦しめていた者の正体を知り、人々は大いに驚き、衝撃を受けた。
能見たちの呼びかけは少しずつ、だが確実に浸透していった。
戦乱の日々は終わりを告げ、海上都市に平和が訪れた。
窓から陽の光が差し込み、二人を穏やかに照らし出す。
「……何だか、今までとは真逆だな」
外の陽気のせいか、少し眠ってしまっていたらしい。おもむろに上体を起こし、目をこすりながら、荒谷は呟いた。
強化体になったスチュアートと戦った際に、彼は高所から地面に叩きつけられ、左足を骨折していた。大怪我には至らなかったものの、ここしばらくは自室で療養している。
「真逆?」
首をかしげ、不思議そうに聞き返す咲希。
やつれ、頬がこけていた頃が嘘のように、彼女はすっかり元気になっていた。顔色も良く、表情は溌溂としている。能見たちがゼリー以外の食料を発見し、配布したことで、咲希は栄養失調の状態から完全回復したのだ。
「ほら、今までは咲希が寝たきりになっていて、俺が看病していただろう。それが今では正反対だ。歩くのもままならなくなった俺を、咲希はいつも助けてくれている。申し訳ないというか、何というか」
「もう、匠ったら。そんなこと気にしなくていいの。困ったときはお互い様でしょ」
くすくすと笑みをこぼし、咲希は荒谷へすり寄った。愛する人の腕を取り、うっとりと目を細める。
「匠のためだったら、あたしは何でもするよ。トイレからお風呂まで、全部手伝ってあげる」
「いや、そこまではしなくていいぞ⁉」
赤面した荒谷の頭を、咲希はぽんぽんと撫でた。ペットを可愛がるような仕草だった。
「あたしたち二人の仲なんだし、別にいいじゃない。裸なんて見慣れてるわ」
「まあ、確かに……って、そういう問題か?」
勢いに押されて納得しかけたが、荒谷はちょっと考え直した。割とどうでもよさそうなことを大真面目に検討しているのが、何だかおかしい。
「あっ、そうだ」
出し抜けに、咲希が立ち上がった。荒谷に密着していた体を離し、玄関口の方へ向かう。
てててっ、と彼女が戻ってきたとき、その手には木製のステッキが握られていた。




