149 モニタールームで推理せよ
一時間ほどが経っただろうか。
それらしいものは見つからず、作業には徒労の色が濃くなってきた。次第に、焦りが募り始める。
(こうしている間にも、咲希さんの症状は進んでいる。俺たちが何とかしないと、彼女は……)
半ばやけになって、能見は正面にあった壁を殴りつけた。が、ドン、と鈍い音がしただけだった。その横も叩いてみたけれども、同じ音が響くのみである。
こういうとき、推理ドラマでは大抵隠し部屋が用意されているものだ。壁を叩いてみると、一箇所だけ音が違う。そこを探ると扉が見つかって、犯人のトリックが暴かれる。
しかし、現実はベタな推理劇のようにはいかない。どこからも同じ反応しか返って来ず、能見は途方に暮れた。
「くそっ。どうしたらいいんだ」
意味もなくモニタールームの中を歩き回り、唇を噛む。
(俺の力をコピーしたせいで、咲希さんは怪人化の症状が出た。だからある意味、俺の責任でもある。責任を果たして、俺が彼女を助けなくちゃいけないんだ。なのに)
症状の進行を止められなかったら、荒谷に合わせる顔がない。そのときばかりは殴られても仕方ないとさえ思う。
「もう少し冷静になったらどうかな。急いては事を仕損じる、というよ」
口ではそう言いつつも、芳賀の顔は冴えない。
彼もやはり、手がかりを掴めていないようだった。ナンバーズに踏み込まれたときのことを想定し、スチュアートは機密情報をどこかに隠したのかもしれない。
「これが落ち着いていられるかよ。仲間の命がかかってるんだぞ――」
そう言ったとき、能見は何かにつまずいた。
「おわっ⁉」
ぐらりと前に倒れかけた体を、慌てて元に戻す。どうにか転倒は避けたが、仲間たちから向けられた視線は冷ややかなものだった。
「やれやれ、さすがは『獣の数字』だけあるね。何もないところで転びかけるなんて、僕にはちょっと考えられないよ」
フッ、ときざな笑い方をして、芳賀が前髪をかき上げる。
自然発火能力を受けた際に、彼の髪は一部が焦げて短くなっている。元々は金色に染められていたそれは、大幅に色落ちした感がある。
したがって、お世辞にも「様になっている」とは言い難かったのだが、能見はあえて指摘しなかった。自信過剰なナルシストは、そのままでいるのが幸せなのかもしれないと思った。
「ふふっ。能見くん、今のちょっと可愛かったよ」
褒められているのか、遊ばれているのか分からない。天然な陽菜のことだから、思ったことを素直に言っただけなのかもしれない。こちらを見て、彼女はくすくす笑っていた。
「お、おう。ありがとう」
とりあえず陽菜にだけコメントを返してから、能見はまじまじと足元を見つめた。
別に、芳賀の嫌味をスルーしたわけではない。彼の発言に引っかかりを覚えただけだ。
(……「何もないところで」転びかけた?)
いや、そんなはずはない。現に今さっき、能見の足先は何かに当たったのだ。様々な推測が、脳内を駆け巡った。
「なあ、芳賀」
はっと顔を上げ、能見は聞いた。
「仮に管理者がずっとここに潜伏していたんだとして、あいつらは何を食べて生きていたんだと思う?」
「何で急に、そんなことを聞くんだい」
やや面食らったようではあったが、芳賀はさほど回答に時間を要さなかった。少しだけ考え、自説を展開する。
「自分たち用の食料を用意するのも手間だろう。たぶん、僕たちと同じようなウィダーゼリーを食べていたんじゃないかな。その方が時間もコストも抑えられる」
なるほど、一理ある。
何も書かれていない銀のパッケージは、明らかに市販のものではない。そして中には、怪人化を促進する物質が含まれている。管理者がどうやって千人分のウィダーゼリーを用意したのかは、スチュアートの口からもついに語られなかった。
海上都市の住人のために準備されていた携帯食料へ、薬品を混入させた説が有力かもしれない。それなら一定数の促進剤さえあれば用意できる。
真相がどうであれ、計画の下準備には少なくない労力が必要だったはずだ。さらにひと手間かけてまで、無味乾燥ではない、管理者専用の食料をわざわざ用意しておくだろうか。芳賀はそうは思わなかった。
「――いや、それは違う」
だが、能見は彼の意見を否定した。
『薬剤を過剰に投与すればどうなるのかは、この私にさえも未解明だ。被験者がサンプルに覚醒したときのように、私の自我は失われるのかもしれない。あるいは私は、私自身を造った科学者さえ想定していなかった、人知を超えた究極の存在へ至るのかもしれない。リスクが大きすぎるから、できればこういう手段は取りたくなかったのだがね』
「『0』番を追加投与して強化体になったとき、スチュアートはぎりぎりまで投与をためらっていた。一定以上の薬剤の投与は、管理者にとって大きなリスクだったんだ」
「つまり、どういう……?」
きょとんとした表情を浮かべたのち、陽菜が「あっ」と小さく声を上げた。彼女にも、能見の言わんとするところが分かったらしい。
「過剰投与を恐れていた管理者が、俺たちと同じゼリーを食べて、促進剤の効果を受けようとするはずがない。あいつらは何か別の、薬剤に汚染されていない食物を摂取していたんじゃないか」




