004 トリプルセブン
結局、能見たちが動いたのは、辺りが暗くなってからだった。
あれから何度か、能見はタイミングを見計らって外へ出ようとした。だが、その都度陽菜が「まだ危ないかも」「もうちょっと待った方がいいです」と引き止めていたのだ。
未来予知に似た力に覚醒した彼女は、少し先に起きることを予測できるらしい。陽菜がいなければ、能見はとっくに死んでいただろう。
(……それに比べて、俺は)
一方、彼はまだ力に目覚めていなかった。体の内側から込み上がるようなものは、何も感じられない。
情けない話だった。戦いを止めたい、街の管理者の計画を潰したいなどと大言壮語しながら、自分は何の能力も得ていない。むしろその逆で、同じ部屋で目覚めた女の子に助けられ、生きながらえている。戦う力も、戦いを止める力も、今の彼にはなかった。
力さえあれば、と能見は強く願った。
この状態で外に出ても、陽菜の足手まといになるかもしれない。それでも能見は、勇気を振り絞って扉を開けた。支給されたナイフと拳銃をそれぞれ手に持ち、油断なく周囲に視線を走らせる。
「大丈夫みたいだね」
声をひそめて、陽菜が言う。廊下に誰もいないことを確認して、二人は部屋を後にした。
廊下には鮮血が飛び散っている。日中、ここで乱闘していた男たちのものも、その中に含まれるのだろう。
人の気配はない。自分たちが何もできずにいる間に、一体何人が死んだのだろう。能見は三度、自らの無力を呪った。
足音を忍ばせ、そろりそろりと階段を下りていく。階数を数えてみたところ、自分たちがいた部屋は五階建てアパートの三階らしいことが分かった。管理者が作った人工都市とやらは、かなり大きな規模なのかもしれない。
無事に一階へ辿り着き、能見は陽菜と頷き合った。慎重に、音を立てないように出入り口のドアを押し開ける。
ドアが開いていると、何者かが出入りしたと悟られるかもしれない。念のため扉を閉めてから、二人はようやく外界へ意識を向けた。
月明かりに照らされる街並みは、ひどく殺風景だった。能見らがいたアパートとほとんど同じ外観の建物が、ずらりと並んで建っている。内装と同じく白一色に塗られた外壁は、見る者を飽き飽きさせた。
その建物群の遥か先には、高い壁のようなものが見えた。四角いかたちをした人工都市の四方を、見上げるほどの壁が取り囲み、封鎖している。おそらくあの壁を壊さない限り、脱出は不可能だろう。
少し気になったのは、風に乗って潮の匂いが流れてきたことだ。
(ひょっとして、海が近いのか?)
もしそうなら、船やボートを探して逃げられるかもしれない。微かな希望を抱きつつ、能見と陽菜は付近の散策を始めた。
昼間は怒鳴り声や悲鳴が飛び交っていたはずの街も、今はしんと静まり返っている。人気のない通りを、二人は忍び足で進んだ。
「誰もいないね」
陽菜が囁いてくる。同年代だと分かって安心したのか、彼女は徐々に敬語を使わなくなっていた。
耳元で喋られるとくすぐったいのだが、能見は我慢することにし、小声で返した。
「ああ。けど、油断は禁物だ。まさか、皆してぐっすり寝てるわけじゃないだろうからな」
夜襲を受けることを警戒し、睡眠時間を削って起きている者も少なくないだろう。そう思い、能見が前方へ目を向けていたときだった。
「……あっ、危ない!」
横を歩いていた陽菜が顔色を変え、出し抜けに突き飛ばしてくる。折り重なるようにして、二人は地面に倒れた。
「痛いな。何するんだよ」
転んだ拍子に、頭を軽く打ったらしい。愚痴の一つや二つ、いやもっと出てきそうなシチュエーションだが、今回の能見は例外だった。
体を起こしかけた彼の頭上を、弾丸が通り過ぎていく。風を切り裂いた鉛玉は、背後のアパートの外壁にぶつかって止まった。
一気に冷や汗が噴き出るのを感じる。状況を理解した能見の体には、微かな震えが走っていた。
未来予測を使い、陽菜が危険を察知したのだろう。そして、咄嗟に自分を突き飛ばしたのだ。
天然でふわふわした雰囲気の彼女も、今だけは張り詰めた表情をしていた。素早く身を起こし、辺りを見回す。
「誰ですか。出てきて下さい」
「……出てきて下さい、だってさ」
げらげらと耳障りな笑い声が聞こえ、闇の中から暗殺者らが姿を現した。
先頭に立っているのは、髭面の太った男。ひょろりと痩せた下っ端たちが、彼を取り巻いている。
「トリプルセブン様のテリトリーに足を踏み入れるとは、なかなか度胸のあるお嬢ちゃんだ。けどな、ただで帰すわけにはいかねえよ」
大きな体を揺らすようにして、髭面の男は笑った。
発砲した後の彼の拳銃から、うっすらと煙が立ち昇っている。
いつの間にか、太った男を中心に人だかりができていた。彼らは団結し、協力関係を結んでいるように見えた。
能見からすれば、意外な状況だった。もっと無秩序な殺し合いが行われているものと思い込んでいたが、彼らはチームを結成し、力を合わせて外敵を排除しようとしている。これも生き残るための戦略なのだろうか。
立ち上がった能見は、陽菜を庇うように前へ出た。
さすがに敵の数が多すぎる。まともにやり合っては勝ち目はない。もしものときは彼女だけでも逃がそう、と彼は心に決めていた。それが、力を持たない自分にできる唯一のことであると思えた。
時間稼ぎの意味も込めて、質問を投げかける。
「トリプルセブンというのは、お前のことか?」
能見に尋ねられ、髭面の男はオーバーリアクションをした。すなわち、手を叩いて大爆笑してみせた。
「こいつは傑作だ。あの方のことも知らないとは、世間知らずにも程がある。いいか、俺たちのボスはな……」
「――何をしている、板倉」
太った男の肩に手を乗せ、青年が静かに問う。彼がいつそこに現れたのか、能見たちにはまるで分からなかった。
「敵に遭遇したら、自分たちだけで対処せず、すぐ知らせろと言っただろう。僕の言いつけが守れないのか?」
あくまで優しい声音なのに、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを内包している。髪を金色に染めた若者は、「板倉」と呼ばれた髭面の男をじろりと見た。
「そ、そんなつもりじゃありませんよ」
しどろもどろになりながら、板倉が後ろへ下がる。先刻までの偉そうな態度が、嘘のようだった。
それに一応満足したようで、青年はこちらを向いた。品定めするように、能見と陽菜を眺め回す。
遠目に見れば、女性と見間違うかもしれない。中性的な美しさを秘めた顔立ちだった。
「さて、このエリアは既に制圧し終えたと思ったんだが。討ち漏らした獲物がいたようだね」




