147 ともに笑い合える日々
彼女の懸命な祈りが、天上の神へ届いたのだろうか。
次の瞬間、怪人は動きを止めた。すっと立ち上がり、束の間、その肉体を白い光が包んでいく。
眩い光のシャワーの中、紫色の皮膚が徐々に溶け、朽ち果てるようにして消えていく。代わりに、その下から新しい皮膚が現れた。それは紛れもない、人間の肌だった。
能見俊哉という一人の人間の姿が、再構築されていく。怪人化したときとは真逆のプロセスをたどり、彼は人の姿を取り戻した。
「……陽菜さん?」
やがて光が止んだ。閉じていた目をうっすらと開き、能見は呟いた。
「……能見くん?」
信じられない、と言いたげに、陽菜が両目を涙でいっぱいにする。一度は人の姿を完全に失った能見は、今目の前にいた。戸惑ったような表情でこちらを見つめる彼に、陽菜は抱きつこうとした。
「良かった。能見くんが無事で、本当に良かったよっ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、陽菜さん」
だが、芳賀が彼女を止めた。後ろから羽交い締めにし、能見の元へ行かせまいとする。
「気持ちは分かるし、僕も嬉しいけど、今ハグするのは少々問題がある。後にしてくれないかな」
「えー、何で? 芳賀くんの意地悪! お馬鹿! あんぽんたん!」
「我ながらひどい言われようだね。ていうか、そこまで言う必要あるのかい……?」
むうっと頬を膨らませ、陽菜は猛烈に抗議しようとした。が、なぜか能見から目を逸らしている芳賀に、違和感を覚える。
「あ」
それから、かあっと赤くなってうつむいた。
能見が奇跡的に復活したことで、一時的な興奮状態に陥っていたのだろう。かけがえのないパートナーの顔ばかり見つめていて、他の部分に注意が向かなかった。
肉体は元の状態に戻ったが、変身を遂げる際に溶けてしまった服までは修復されていなかった。つまり、今の能見は全裸だった。
「……やっぱり俺、不幸なのかもしれないな」
体の前を手で隠し、ヒーローはちょっと気まずそうに笑った。
ひとまず、拠点に戻った。
特に怪我がひどかった菅井、武智、荒谷の三人を、芳賀と和子、唯が協力して連れて行く。能見も部屋に戻り、急いで服を着た。
「能見くん」
「何だ?」
「もう目を開けていい?」
「いいよ」
着替えている最中、陽菜は反対側を向き、両手で顔を覆っていた。シャツに袖を通し終えて声を掛けると、彼女はくるりと振り向いた。
そっと手を下ろす。心なしか、まだ顔が赤い。
「……えっと、さっきはごめんね。私、どうかしてたのかも」
「いや、俺の方こそ」
陽菜が裸体を見て赤面していたように、能見もまた、ありのままの姿をさらけ出してしまったのは恥ずかしかった。照れたように頭を掻く。
一種の事故のようなものだった。気づいたときには人間の姿に戻っていたのだから、対応のしようがなくて当たり前である。
ハプニングとはいえ能見の裸を見てしまったことに、陽菜はきっとやましい気持ちを抱いているのだろう。どぎまぎしつつ、上目遣いにこちらを見る姿は可憐だった。
(純粋なんだな、やっぱり)
天然でぶっ飛んだ言動が目立つが、根本的なところでは、彼女は普通の女の子なのだろう。と、能見がお気楽な想像をめぐらせたのも束の間だった。
「もしかして私、いけない子なのかも」
「えっ?」
「能見くんの裸を見ちゃってから、興奮……じゃなくて、ドキドキしちゃって。それが止まらなくて。今も、顔から火が出そうなくらいなの!」
きゃー、と可愛らしい悲鳴を上げて、陽菜は両手を頬に添えた。ぱちーんとウインクするのも忘れない。謎にあざと可愛いのが、また罪深い。
「今、絶対『興奮』って言おうとしただろ」
引きつった表情で、能見は曖昧に笑った。
前言撤回である。陽菜は純情なわけではなく、その手のことへの興味は人並みにあるようだ。経験こそなくても、憧れは抱いているということか。
まあ、そんなところも魅力的と言えなくもないのだが。
「言ってないもん!」
「いや、言った」
「言ってないってば!」
「絶対言った」
ひとしきり主張をぶつけ合ったが、お互いに譲歩しない。小学生レベルの言い争いをしていることに気づいたのか、やがて二人はおかしそうに笑った。
「ふふっ。なんか能見くんって、馬鹿みたいだね!」
「ニコニコ微笑みながら、ひどいこと言うのやめろよ。てか、陽菜さんにだけは馬鹿って言われたくないんだが……」
他愛のないお喋りは、きっとこれからも続くのだろう。
何はともあれ、二人が笑い合える日々は守られた。
管理者との長い戦いは終焉を迎え、残された被験者を救うべく、彼らは最後の仕事に取りかかるのだった。




