141 隠された通路
互いを殴り合うも、双方ともに倒れない。
形勢が動いたのは、能見を襲っていた炎が消し飛んでからだった。
紫電に全身を包み、電磁波のバリアを展開することで火を吹き飛ばす。稲妻の圧倒的な威力に任せ、彼は力技で業火を打ち破った。
炎の呪縛から逃れた能見が、よりスピーディーに、より高電圧の拳をスチュアートへ見舞っていく。しだいに戦況は紫の怪人へ傾き、彼が優勢を築いていった。
「これでどうだ!」
何度目かの攻防の果てに、能見が大きく踏み込む。すくい上げるようなアッパーが、スチュアートの顎へクリーンヒットした。硬いはずの深緑の皮膚がひび割れ、着実にダメージが刻まれる。
「くっ……」
痛みに顔をしかめ、スチュアートがよろめいた。その隙を逃さず、さらに紫の怪人は回し蹴りを放った。スパークを帯びた足先を、敵の胸部へ叩き込む。
電撃で体が麻痺し、戦闘に支障が出ている――地面を引きずられるようにして吹き飛ばされ、スチュアートは否応なしに劣勢を意識させられた。何とか大地へ手を突き、踏みとどまる。
想定外の事態が起こりすぎている。まさか、トリプルシックスが自我を保ったままサンプルに覚醒し、これほどの強さを見せつけるとは思わなかった。
「致し方ない。ここは一旦退くとしよう」
スチュアートは口元を曲げた。
彼にしてみれば、面白くない事態だった。ナンバーズ全滅を目論んで出撃したのに、能見一人にここまで手こずっているなど認めたくなかった。
けれども、彼は一時の感情に流されるタイプではない。ここで撤退せず、あくまで敵の殲滅にこだわれば、破滅を招きかねないと理解していた。
アイザックをたった一人で屠り、今もなお進化を続けているトリプルシックス。その力は底知れず、警戒してもしすぎるということはない。
「君との決着は、後日に持ち越しだ。そのときこそ、完膚なきまでに叩きのめしてあげようじゃないか」
能見の追撃が来るよりも先に、スチュアートは蜃気楼を使った。彼そっくりの虚像が離れた位置に現れ、本体は姿が見えなくなる。
横へスライドするようにして、虚像が分身していく。六体に増えたスチュアートの影は、能見を取り囲んだ。
(蜃気楼だけじゃない。立体映像との合わせ技か)
おそらく自分を戸惑わせて、逃げる時間を確保するためだろう。能見は瞬時にそう解釈した。
(スチュアートの姿はどこにも見当たらない。光学迷彩も使って、入念に身を隠したのかもしれないな)
「もはや必要ない」とまで言い切っていた、武装ガジェットのアビリティーまで持ち出してくるとは。深緑の怪人は、よほど追い詰められていたようだ。
「――逃がしてたまるか」
目をかっと見開き、紫の怪人が呟く。
ここでスチュアートに逃走を許せば、彼はさらなる強化体となって現れるかもしれない。一方、能見は彼のように気軽に薬剤を追加投与できない。被験者に与えられているのは、肉体変化を促すウィダーゼリーだけだ。薬品そのものを直接摂取し、自らを強化することはできない。
もしそうなれば、次こそ能見は負けるかもしれない。スチュアートにパワーアップの手段があり、こちらにはない以上、何もせずにいたら形勢は逆転しかねない。
そもそも、今の戦いで優勢を築けたのだって偶然に近いのだ。自我を失わずに怪人化したことは、自分でもあまり信じられない。「奇跡が起きた」としか思えなかった。
が、奇跡はそう何度も起こるものではない。とりわけ、トリプルシックスという不吉な数字を刻まれた者にとっては。
能見の自我がいつまで保たれているのかは、誰にも分からない。自我を失えば、彼は敵も味方も分からなくなる。本能のまま暴れる、冷酷な殺戮マシンと化すのだ。
(スチュアートを倒す。俺がまだ、人の心を持っているうちに)
それが能見俊哉に課せられた、最後の使命だった。
彼は決意を固め、すう、と息を深く吸い込んだ。
周囲から漂う微かな香りを、研ぎ澄まされた嗅覚で嗅ぎとる。目を閉じ、意識を極限まで集中させる。
深緑の怪人が残した匂いを、能見の鼻は捉えていた。それが流れてきた方向、風向きなどの諸情報が、脳内で瞬時に処理されていく。
「……そこか」
やがて能見は、ターゲットのおおよその位置を補足した。瞼を開け、屈み込んだかと思うと、地面に思い切り拳を叩きつける。
「わわっ」
稲妻を伴った一撃は、メガフロートの地盤さえ揺らしたようだった。足元が震え、陽菜が転びかける。
「あいつ、何やってるわけ?」
「能見さん、どうしちゃったんでしょう……?」
唯と和子は怪訝そうな表情だった。
いきなり地面を殴りつけて、何をしようというのか。まさかとは思うが、自我を失って暴れ出したのだろうか。
その数秒後、答えは明かされた。
怪人の拳が触れた地点を中心として、地割れが広がっていく。同心円状に衝撃が伝わり、まもなく、周辺部に亀裂が走って陥没した。メガフロートの表層部を覆っている人口土、さらにはその下の人工地盤にまでもひびを入れ、最奥部に隠されていた構造物を露出させる。
それは、細長い地下通路だった。銅色のチューブのようにも見える通路が、網の目のように広がっている。




