138 俺は絶対に負けられない
「……限界だと? ふざけるなよ」
能見の呼吸は荒く、滝のような汗が体を伝い落ちている。必死で高熱に耐え、彼はなおも立ち上がろうとしていた。
「俺はまだ戦える。多少熱があったって、それが何だって言うんだ。お前をぶっ飛ばして、陽菜さんたちを助けるまでは、倒れるわけにはいかないんだよ」
「……もうやめて、能見くん!」
そのとき、陽菜が彼の元へ駆け寄った。
今でも彼女は怖かった。スチュアートに殺されるのではないかと思うと、震えが止まらない。けれども、彼に挑み、能見がボロボロになっていくのを見るのはもっと辛かった。
震えて座り込んでいたはずの陽菜が、我を忘れて駆ける。ただ大切な人を思うがゆえに、能見のところへ走る。
側に屈み込み、彼女は能見の額へそっと触れた。あまりの熱さに、はっとして手を引っ込める。
「やっぱり、能見くんは」
「ああ。どうやらそうみたいだ」
陽菜の肩を借りて、能見はゆっくりと立ち上がった。弱々しく微笑み、せめて彼女を心配させまいとする。
「少しくらいなら、能力を使っても耐えられると思ったんだけどさ。ごめんな。愛海さんと同じ症状が出たらしい」
それでも陽菜を振り切って、能見は戦いへ臨もうとした。あえて彼女と視線を合わさないまま、スチュアートと対峙する。
「……けど、俺がやるしかないんだ。ここで俺が倒れたら、全部スチュアートの思い通りになってしまう。俺たちの今までの戦いも、全部無駄になってしまう。そんなこと、あってたまるかよ」
「だからって、自分が人間じゃなくなってもいいの? そんなの、絶対おかしいよっ」
一度は止まりかけた涙が、再び溢れ出していた。能見の体が持つ熱に負けないくらい、陽菜の頬を伝う液体は熱かった。
「お願い、能見くん。行かないで。行かないでよっ」
陽菜は嗚咽交じりに訴えた。スチュアートとは戦わせまいと、背中に抱きついて一歩も動こうとしない。
自分を死なせたくなくて、彼女は必死で止めようとしている。陽菜の気持ちが辛いくらいに分かって、能見は思わず、自分まで泣いてしまいそうになった。
だが、決して涙は見せない。無理に明るい笑顔をつくって、彼は半身で振り返った。
「なあ、陽菜さん。覚えてるか? 俺たちが、最初に力を合わせて戦ったときのこと」
「……えっ?」
やや唐突に話題を振られた、と感じたのだろう。陽菜はとっさに、気の利いた返事ができなかった。
『オカルトじみた解釈なんて、気にしなくていいの。正しい心をもって使えば、どんな力だって正義になるから。……あのとき、能見くんは私を助けてくれた。能見くんは、私にとってヒーローなんだよ』
「あのとき陽菜さんは、俺のことを『ヒーロー』だって言ってくれたよな。俺、すごく嬉しかったし、めちゃくちゃ励まされたんだ」
「……何、で。そんなこと、今さらっ」
泣きじゃくる陽菜の頭を、そっと撫でる。
この最終決戦に臨む前から、能見の覚悟は決まっていた。今でもそれは変わらない。
「皆を守って戦うのが、ヒーローってものだろ。――俺はさ、陽菜さん。陽菜さんが信じてくれたヒーローとして、最後まで戦い抜きたいんだ」
たとえこの身が滅びようとも、管理者の脅威から人々を救う。それこそがトリプルシックス、能見の覚悟だった。
「止めてくれてありがとな。陽菜さんならきっと、そうすると思ってた」
陽菜の腕を取り、ゆっくりと自分から引き剥がす。抵抗はされなかった。
最後に一度だけ、軽く抱きしめてから、能見は彼女から体を離した。この街にいる間、ついに伝えることのなかった思いの一部だけでも、伝わればいいなと思った。
それから、倒れたまま動かない戦友を見た。意識があるのか、聞こえているのかも分からなかったが、彼は二人に語りかけた。
「……芳賀。もし俺がスチュアートと同じ存在になって、自我を失って暴れたら。そのときは、お前が俺を倒してくれ」
あるいは、これが彼らに対しての最後の言葉になるかもしれなかった。
「陽菜さんの照準補助がない状態じゃ、俺はお前を一発殴ることすら難しい。お前なら、確実に俺を仕留められるはずだ」
「そ、そんなこと頼んでも、芳賀さんが了承するはずがないですよっ」
あわわわ、と和子が青くなった。
しかし、能見が話しかけているのは彼女ではなく、トリプルセブン、芳賀賢司だった。まるで彼に意識があると信じているように、能見は言葉を紡ぎ続ける。
「俺たちが最初に出会ったときのことを思い出せ。お前、俺を殺そうとさえしてたじゃないか。あれをもう一度やるだけだ」
彼の台詞には、冷酷な響きがなかった。突き放したような印象も受けない。むしろ、そこにあるのは優しさと思いやり、これまでのことへの感謝の気持ちだった。
「芳賀は今までずっと、グループの皆をまとめ上げてくれていた。お前の力なら、俺は信じられる」
悲しげな笑みを浮かべた青年は、皆に後を託し、最後の戦いに臨もうとしていた。
次に視線を投げかけたのは、和子の処置で一命を取り止めた彼だ。
「いくら力が強くなったとしても、俺はスチュアートのようには姿を消せない。もしものときは、お前の停止能力で俺を止めてくれ。……色々任せちゃって悪いな。その代わりにってわけじゃないが、美音さんの無念は俺が晴らしてみせる」
目を閉じたままの菅井へ、静かに語りかける。
「それじゃ、行ってくる」
「……うん」
陽菜はもう、能見を止めなかった。遠ざかっていく背中を、目で追うだけだ。
彼の決意を、覚悟を受け止めた今、それを阻むことはできなかった。
「……能見くん!」
けれど、もう一度だけ呼び止めずにはいられなかった。驚いたように振り向いた彼へ、儚げに笑って伝える。
「絶対に、勝ってね。生きて帰ってきてね」
「任せろ」
ややあって、能見も微笑んだ。軽く手を振り、歩き出す。
「俺は絶対に負けられない。陽菜さんのためにも、皆のためにもな」




