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サウザンド・コロシアム  作者: 瀬川弘毅
9.「決戦前夜の波乱」編
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119 それぞれの愛のかたち

「……ごめん。あたし、匠に迷惑かけてばかりだよね」


 布団に横たわった咲希が、弱々しい声で囁く。


 濡らしたタオルを額に載せているが、熱が下がる気配はない。熱くなったタオルをしょっちゅう取り換えなければならないほどで、彼女の体調は思わしくなかった。


 ゼリーの摂取をやめたことにより、怪人化にはまだ至っていない。だがその一方で、栄養素の不足によって体力を失っていた。つまり、じわじわと進行する肉体の変化に、彼女の体があまり抵抗できなくなっているのである。


「気にするな、咲希。今はゆっくり休んでくれ」


 彼女の側に腰を下ろし、見守っているのはもちろん荒谷だ。なお先刻、能見と喧嘩になったことはどうにか許してもらえたらしい。


「残る管理者はスチュアートだけだ。あいつ一人くらい、俺たちだけで何とかするさ」



 最終決戦はもうすぐだろう。被験者全員の運命がそれにかかっていると言っても、過言ではない。


 荒谷の微笑からは、そうしたプレッシャーが感じられなかった。恋人を安心させようと、気丈に振る舞っているのだろう。奇しくも、能見に対する陽菜の態度に通じるもものがある。


「……咲希を怪物になんかさせない。俺が守る」


 そう言って、能見は真剣な眼差しを彼女へ向けた。ややあって、照れたように視線を逸らす。


「悪い。ちょっとキザだったよな、今のは」


「ううん。あたし、すごく嬉しかった」


 恐る恐る恋人を見やる。さて、咲希はというと、とろけるような笑顔を浮かべていた。もう少し体調が良かったら、布団から起き上がって「もう、匠ったら。照れてるところも超可愛い!」と抱きついていただろう。


「そ、そうか。なら良かった」


 幸せそうな咲希の様子に、荒谷はまんざらでもなさそうだった。顔が真っ赤である。



「……ねえ、匠」 


 ややあって、咲希が再び唇を開いた。


「いつか戦いが終わって、元いた街に帰ることができたらさ。あたしたち、向こうでも一緒にいられるかな?」


「当たり前だ。俺が浮気するわけないだろう」


 ふっと微笑み、荒谷が体を屈める。燃えるように熱い咲希の頬へ、短く口づけした。


「約束する。何があっても、俺たちはずっと一緒だ」


 唇を離した彼は咲希と見つめ合い、どちらからともなく、照れくさそうに笑った。



 その夜、芳賀は布団に潜り込んでもなかなか眠れなかった。


 何度も寝返りを打ち、眠りにつきやすい体勢を模索するも、成果は上がらない。諦めて枕と掛け布団を脇へ押しやり、芳賀は腕枕をした。


 部屋で一人になると、考えることは決まっていた。この街に来てから得たもの、そして失ったものについてだ。


(……ここに来てから、一か月半くらいが経ったのかな。カレンダーも時計もないから実感が湧かないけど、思えば色々なことがあった)


 街に連れ去られてからというもの、芳賀にはリーダーとしての役割が求められてきた。幸か不幸か「ナンバーズ」として強い力を得てしまった彼は、たちまち大人数を従え、一大勢力を築いた。ゆえに皆をまとめ上げ、的確な指示を出して統率していく必要があった。のちに能見たちを出会い、管理者と戦うことになった際にも、彼は司令塔的なポジションについていた。


 リーダーは常に冷静でなければならない。可能な限り主観や私情を切り捨て、最も合理的な方法を取るべきだ。芳賀はそう考え、その通りに行動してきた。



 だが、さすがの彼も人間だというべきか。たまに反動が来て、色々なとりとめのないことを考えたくなる。


 管理者によって海上都市へ連れてこられてから、芳賀には多くの仲間ができた。その大半は彼に挑み、一発も攻撃を当てられずに敗北した被験者だったが、皆芳賀のことを尊敬し、慕ってくれている。彼らを怪人化させないため、管理者の手から守るために、自分たちはここまで戦い続けてきた。


 けれども、得たものばかりではない。失ってきたものも数知れない。たとえば、板倉と愛海のように。

 忠実に命令に従っていた板倉は、ある日突然、人が変わったようになって暴れた。そしてウィダーゼリーを大量に摂取し、管理者に似た怪人へと変貌した。


(許してくれとは言わない。仲間を守るためとはいえ、僕が君にしたことは本来、許されるようなことじゃない)


 あのときの芳賀には、板倉を殺さずに無力化するだけの力がなかった。暴走した彼を手にかけたことは、今でも悔やんでいる。


(けど、君の死を無駄にするつもりはない。必ずスチュアートを倒して、君のような運命を辿る者が二度と現れないようにする)



 愛海のことも忘れられない。


 いつもおどおどしていて、自信なさげな彼女。板倉の遺体が消えたときには驚いて気絶してしまったりと、おっちょこちょいな一面が目についた。


 だが愛海もまた、芳賀にとって大切な仲間だった。彼女が持っていた医療知識はとても役に立った。

芳賀は彼女を信頼していた――板倉が怪人化したことでおびえる愛海に、「僕が君を必ず守り抜く」と約束するほどに。その約束を守れなかったことを思うと、今でも胸が締めつけられる。


(……なあ、愛海さん)


 彼女が時折見せた、照れたような表情。熱を帯びた視線。その仕草の一つ一つが、コマ送りの動画のようにゆっくりと、鮮明に思い出された。


(もしかして君は、僕のことが好きだったのかい?)


 一見すると、ナルシストのような考えである。いかにも自信家の芳賀がやりそうなことだ。


 けれども、彼は当時から全く気づいていないわけではなかった。ただ「リーダーとして、部下と接する際にそんな感情を交えるべきではない」と思い、あえて素っ気ない態度を取っていた。


 結果としては、まずかったかもしれない。芳賀への淡い恋心を成就させること叶わず、愛海はこの世を去ったのだから。



(もしそうだとしたら、何と詫びればいいのかわからない。僕は君の想いに気づき、応えてやることができなかった)


 芳賀の悔恨は続く。


(君は僕にとって、とても大切な部下だった。いつも一生懸命で、医療の知識が豊富で、人を思いやる優しい心を持っていた。あんなことになってしまったのが、残念でならないよ)


 しかし、後悔と謝罪だけでは未来は変わらない。忌々しい過去を乗り越え、先へ進むことを決意し、芳賀は目を開けた。


(君のような悲劇を繰り返さないためにも、必ずスチュアートを倒してみせる。――見ていてくれ、愛海さん)


 曖昧模糊とした闇の中に、微かな光が見えたような気がした。


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