117 謎の通信相手
いささか突飛な考えにも思えるが、スチュアートがこう思ったのには根拠があった。
まず第一に、彼だけでナンバーズ全員を相手取るのは難しい。さらに菅井たちが光学迷彩を破ろうとしてきたように、敵はこちらの戦い方を知っており、その攻略法を模索している。
つまり(能見は戦いに加わらないとしても)八対一ではさすがに不利だし、向こうが対スチュアート用の作戦を練っている可能性も高いのだ。ならば、むやみに戦いを挑むのは得策ではない。
第二に、自分たちの目的はあくまで「サンプルの回収」だということだ。
千人の被験者を閉じ込めたこの海上都市には、水とウィダーゼリー以外の食料が存在しない。
鋼材から成る人工地盤の上には、ごく浅く人工土が盛られているのみだ。したがって野菜などの食物を育てられるような土壌ではないし、そもそも植物の種自体が街では入手できない。
街の四方を防波壁で囲まれているため、魚を釣って食べることもできない。高さ約五十メートル、厚さ数メートルもある壁は非常に硬く、被験者が能力を使ったとしても破壊するのは困難だろう。
ゆえに被験者たちは、生き延びるためにゼリーを食べるより他にない。そして、ゼリーには肉体変化を促進する物質が含まれている。スチュアートが何もしなくても、被験者の怪人化は進んでいくのだ。
自分たちに近い体組成の怪人を生み出すことを、管理者は目的としている。ナンバーズと戦うこととなったのは、彼らがきわめて怪人化しづらい特殊体質であり、グループを形成して活発なバトルファイトを阻害していたからだ。
しかし、仮にナンバーズによって被験者同士の戦いが減ったとしても、完全に怪人化を食い止められるわけではない。日々ゼリーを摂取することによって、彼らは着実にゴールへ近づいていくからだ。
だからこそスチュアートは、「サンプルを回収するだけなら、ナンバーズをすぐに排除する必要はないのではないか」と考えかけた。
「……いや、それはまずいな」
否定は即座に行われた。深緑の怪人は再び、円を描くように室内を歩き始めた。
瞬間的に熱された頭が、今は冷え切っている。彼はすっかり冷静さを取り戻していた。
「ナンバーズを放置すれば、彼らは私の目が届くことを恐れ、残りの監視カメラをも破壊しようとするだろう。機能するカメラの数がこれ以上減れば、実験の継続自体が難しくなる」
被験者がサンプルに覚醒しても、それを把握できないのでは意味がない。回収が間に合わないようなことがあれば、自分たちの目的は達せられない。
「それに、ナンバーズの勢力範囲が今より広がっても困る。彼らが一大勢力になればなるほど、その傘下に入った被験者は戦いに加わらなくなる。サンプルへの覚醒が大幅に遅れるだろう」
焦燥がスチュアートを駆り立てる。
彼を焦らせていたのは、手駒が減ったことだけではなかった。タイムリミットが近づきつつあったからでもある。
『街の至る所に設置された監視カメラが、諸君らの戦いを克明に記録してくれている。三か月後、そのデータに基づいて戦績上位者百名を選出し、その者たちは街から出ることを許されるだろう。残った不良品は、全て処分されることとなる』
実験を開始した記念すべき日に、スチュアートはこのようなアナウンスをした。ここで示された「三か月」という期間は、適当に決めたものではない。ある切実な事情により、四人の管理者が協議を重ねたうえで決定されたものだ。
今現在、デスゲームが始まってから一か月半ほどが経過している。三か月のタイムリミットまで折り返し地点である。
だが、有用なサンプルはまだ手に入っていない。それどころかナンバーズの度重なる妨害を受け、今や実験の継続そのものが危うくなっていた。
「――あまり気は進まないが、致し方ない。かくなる上は、最終手段に踏み切るしかなさそうだ」
状況を打破するため、スチュアートは腹をくくった。歩調を速め、デスクへと真っ直ぐに戻る。
デスクの引き出しの奥から、彼は一台の無線機を取り出した。菅井たちへ指示を出すのに使っていたものとは違う。一回り大きく、より広範囲と通信可能なタイプだった。
それを口元に当て、深緑の怪人は呼びかけた。
「こちらはスチュアート。応答願う」
「……スチュアート様、ですか。どうか、されたんですか」
少し間が空いて、返事があった。やけにのんびりとしていて、滑舌の悪い話し方だった。
「兵をこちらに回してくれ」
「……分かり、ました。何体ほど、送りましょうか?」
相手の男は、すぐに承諾した。
「そうだな。できれば百体ほど、と言いたいところだけども、そちらの戦況も考慮しなければね。そっちはどうだい?」
「侵略は、順調です。ただ、以前ほど素早く動けない者も、中にはいます。動きが、やや鈍くなっているのが、分かります」
「……そうか。報告ありがとう」
苦虫を嚙み潰したような顔で、スチュアートは呟いた。兵士たちに課せられた宿命は、じわじわと彼らの体を蝕んでいるようだった。やはり猶予はないのだ、と思い知らされる。
「では、体の衰えていない者を八十体ほど寄こしてもらおうか。少々長い航海になるから、それに耐えられるだけの兵でなくては困る」
「分かり、ました。さっそく、手配します」
うやうやしく言って、男は通信を終了した。スチュアートほど明晰でない頭脳で、彼はぼんやりと作業に取りかかった。




