090 約束と笑顔
(……陽菜さんのやつ、どこに行ったんだ?)
アパート中を探し回り、外にも出歩いてみたが、それらしき人影はどこにもなかった。
能見は疲れ果て、肩を落として部屋に戻った。ここまで探しても見つからないということは、思った以上に彼女を傷つけてしまったのかもしれない。自分が取った態度に、ショックを受けたのかもしれない。
ドアを開けると、中は薄暗かった。
電気がついていないのだから、当然、誰もいないものと思い込んでいた。靴を脱ぎ、無警戒に足を踏み入れた能見は、ようやく違和感に気づく。
人の気配がした。
「陽菜さん? いるのか?」
声をかけてみると、影がもぞもぞと動いた。彼女は布団をかぶり、明かりも点けずに横になっていたようだ。
散々歩き回ったが、結局は部屋に戻っていたとは。ほっとしたような、肩透かしを食ったような複雑な気持ちで、能見は彼女へ駆け寄った。
「どうしたんだよ、そんなところで」
「……見ないで」
しかし、陽菜は拒んだ。掛け布団にくるまったまま頭を出さず、籠城戦の構えをとる。
「さっきのことは謝るよ。だから、もう拗ねるのはやめてくれ」
能見はそれを、「拗ねているんだろう」と解釈した。布団を掴み、腕に力を入れて引き剥がす。
「あ」
掛け布団を払い除けられ、陽菜は束の間、ぽかんとした表情を浮かべていた。その表情のまま、涙を流していた。
ややあって、かあっと顔を赤らめる。ぷいっとそっぽを向き、ブラウスの袖で目尻をぐいぐい拭う。
「……恥ずかしいよ。能見くんには、私が泣いてるところ見せたくなかったのに」
「ご、ごめん」
全くの解釈違いだったことを悟り、能見は気まずかった。平身低頭で謝罪する。
ひょっとして、彼女が話し合いの場から出て行ったのも、「泣き顔を見せたくない」という理由が主だったのだろうか。だとしたら、「怒らせてしまったかもしれない」という能見の心配は杞憂に終わったわけだが。
はたして、涙を拭い終えると、陽菜は能見をじっと見つめた。瞳はまだ潤んでいた。
「能見くん。一つだけ、約束してくれる?」
「何だよ、約束って」
「もうこれ以上、戦わないで」
彼女は真剣だった。
「能見くんは今まで、私たちのことを何度も助けてくれた。だから、これからは私たちが能見くんを守りたい」
「……分かった」
ゆっくりと能見が頷く。
「でも、どうしても助けが必要なときは言ってくれよ。すぐに体が変わってしまうわけじゃないだろうし、多少無茶した程度じゃ響かないと思うぜ」
能見たちが撃破した管理者は、オーガスト一人のみ。それも致命傷を与えるには至らず、とどめをさしたのはアイザックだ。
菅井によれば、「この街を支配する管理者は四人」だとスチュアートは語っていたそうだ。彼の言葉を信じるなら、残る管理者はスチュアート、アイザック、ケリーの三名。能見抜きで彼らを倒せるのかは、正直なところ分からない。
ゆえに、能見はこう提案したのだが。
「……ダメだよ」
再び目をうるうるさせて、陽菜の声音が僅かに濡れる。
「お願いだから、もう戦わないで。能見くんが人じゃなくなるなんて、私は嫌だよ。愛海ちゃんみたいにならないでよ」
「ごめん。俺が間違ってた」
愛海の名前を出されて、強く言い返せるはずもなかった。能見は潔く謝った。
それでようやく満足したのか、陽菜が儚げに微笑む。すっと差し出された細い手を、能見は戸惑いながら見つめた。
「ええと、陽菜さん?」
「……約束してくれる?」
最初は暗くてよく見えなかったが、彼女は親指から薬指までを折り、小指を伸ばしているのだった。
「もう戦わないって、約束してくれる?」
「……ああ。約束するよ」
管理者を倒したい気持ちよりも、彼女を悲しませたくない想いが上回る。能見も片手を差し出し、陽菜の想いに応えた。
指を絡め合い、二人が照れたように微笑む。
薄闇の中で、ほのかに笑顔の花が咲いた。




