97 バルログは山猫のボスと再会する
「あれ?」
ルシアの部屋の扉を開けたカイトは困惑の声をあげた。
早朝、ルシアに状況の説明をしておこうと情報収集のついでに宿に戻ってきたところだった。ちゃんと留守番をしておくように釘を刺しておくつもりだったのだが、すでに部屋はもぬけの殻である。
念のために自分の部屋も確認するが、やはり誰もいない。カイトはルシアの部屋に戻り状況を確認する。
窓は開けっ放しで少し乱れたベッドのシーツは熱を失いひんやりとしている。小さなテーブルの上にはたこ焼きを包んでいた竹皮の包みが置かれ、手荷物などは残されていなかった。いつでも動けるように必要最低限の物以外はマジックバッグに入れておくように言ってあるので、これはべつに不自然なことではない。部屋には争ったような形跡も見られない。
「これは……散歩かな?」
カイトは腕組みをしながら首を捻る。
「ったく、あいつは……勝手に出歩くなと言っておいたのに」
この町にルシアをどうこうできる者は存在しないだろうとは思うが、大きな騒ぎを起こさないかが心配だ。世間知らずで天然なうえに魔王だ。なにより、あの容姿は都でも注目を集めてしまう。
気がかりではあるものの、カイトものんびりしている暇はない。しばらく待ってみるがルシアが戻る様子はなく、テーブルの上に質素なレターセットが置かれているのを見て書き置きを残すことにする。念のためフロントで一週間分の部屋代を前払いしてカイトは宿を後にした。
◇◆◇◆◇
バルログが二人の女と両手を縛られたグレコ、サム、バクシーの三人を引き連れて姿を現すと『山猫』のアジト前の広場はざわめきに包まれた。
大きな鍋で少女たちが炊き出しをしていて、少年たちがスープを受け取り思い思いの場所で朝食をとっていたところだ。
その横を静かに通りすぎるバルログをその場にいる全員が困惑の顔で注視している。
バルログがチームを出て五年が経つが、ここにいるほとんどの者は顔見知りである。それでも遠巻きに見守るだけなのは、無表情で先頭を歩くバルログが今や冷酷さで恐れられたリカルド率いるAランクパーティーのアサシンであることが知れ渡っていることと、その後ろを苛立った表情で続くグレコたちが拘束されている様子からなにやら剣呑な雰囲気を察したからである。
チャオとルシアに挟まれて最後尾を歩くポルトは、目つきの悪い不良少年たちの視線が自分に集まりつつあるのを感じて青い顔でルシアの手を握っていた。それらの視線は二人の見目麗しい女性に向けられたものだったがポルトにはわからない。チャオとルシアはリラックスした様子で少年少女たちの様子を物珍しそうに観察している。
バルログはかつての仲間を前に緊張しているせいか無意識に猫背になっていた。顔を伏せ気味に細い目の奥で眼球を動かしてそれぞれの顔を確認していく。
あれは、ディロスか。あそこで給仕しているのはダンの妹のリンかな? みんな大きくなったなあ。あっちの小さい子たちは俺の後に入ってきたんだろうな。どうして誰も話しかけてこないんだろう? 久しぶりだし、俺だと気付いてないのかな。子どもたちとはうまくやってたつもりなんだけど、ちょっと寂しいな。
そんなことを考えながら数人で集まってこちらを見ていた少年に近づいて声をかける。
「ボ、ボス……は、どこ……に、いる?」
バルログは囁くような小さな声で尋ねる。バルログとしてはできるだけ流暢に言葉を絞りだそうとしているのだが、その試みが上手くいっていないどころか妙な威圧感を醸し出していることに気付いていない。
少年は震える手で奥の建物を指さす。
やっぱり俺だと気付いてないんだな。
バルログは一人でそう納得すると、小さな子どもだった頃の少年の顔を思い浮かべながら奥にある幹部用の宿舎を目指した。
宿舎と呼んではいるが、ここら一帯はすべて廃墟である。かつて両開きの扉が嵌まっていたであろう入り口や窓枠には何もなく風が吹き込むのに任せてある。
下っ端だったバルログは、ここに足を踏み入れたことがほとんどなかったことを思い出す。
入り口をくぐると中は薄暗い大きな部屋だった。床は石畳なのだろうが、吹き込んだ白い砂が堆積して外とたいして変わらない。大きめの窓枠から陽光が射し込み照らされた砂埃が煙のように揺らめいていた。
大きなテーブルの席について食事をしている者や壁にもたれかかっている者、いくつかの人影が見えるが目が慣れていないので顔はよくわからない。
バルログが足を踏み入れたとたんにピシリと空気が張り詰めたのがわかる。昔ならこれだけで身動きもできなくなっていただろう。
グレコたちは入り口の前で立ち止まるがチャオに蹴り飛ばされて渋々とバルログの後に続いた。
拘束されたグレコたちが姿を現すと殺気に近い気配が膨らむ。それでも大声で騒ぎ立てる者がいないことにバルログは感心した。
少年たちはゆっくりと臨戦態勢に入りながら、何人かは指示を仰ぐように部屋の奥に目を向ける。
その視線の先には乱雑に置かれた大きな木箱の上で片膝を立てて座る少年が居た。
細身に見える少年の顔は金色の粒子に煙ってよくわからない。
バルログがそちらに向かって歩を進めると少年たちはその進路を塞ぐようにゆっくりと動く。
「いいよ、かまわない」
ボスらしき木箱の上の少年が軽く手を上げると道が開けた。
眩しい光の筋を通り抜けて、バルログはボスと対峙した。隣の箱に腕を組んでもたれかかっていた体格のいい少年が、いつでも割って入れるように身構える。
「久しぶりだな、バルログさん」
(これが、いまのボスか)
バルログは顔を上げて少年を見つめた。
少年はやけに整った中性的な顔立ちをしていた。だが綺麗な青い眸の奥には抜き身のナイフのような鋭い光が灯り、引き締まった体は野生の狼のような精悍な印象を受ける。
「ずいぶんと物々しいけど、そいつらが何か?」
「あ、うん……」
物静かで貫禄のある少年の雰囲気にバルログが言葉を詰まらせる。
バルログは少々焦っていた。グレコより年下であろうこの少年が誰なのか、まったくわからなかったのだ。向こうはバルログを知っているようなので知り合いであることは間違いないのだが、五年前の顔を色々と思い浮かべても該当する人物がなかなか出てこない。仕方がないことだがいまさら「誰ですか?」とは聞きづらい空気なのだ。
「お、俺、は……こ、こ、このスラムで、お、起こって、い、いる……失踪、の、ち、調査、を、して……いる」
「うん」
どうにかして自然に名前を聞き出せないかと気になって話に集中できない。
「で、この三人が檻囚棟とかいう場所の連中とつるんでこの子の妹を誘拐したから、あなたたちに話を聞きに来たってわけよ」
見かねたチャオが話を引き継ぐ。少年は鋭い目をほそめてグレコたちを見下ろした。
「いまの話は本当なのか、グレコ?」
少年の口調は変わらないが、部屋の温度が下がった気がした。たいした威圧感だ。
「いや……その……ちょっとした小遣い稼ぎなんだ。街の連中を数人、案内しただけだ。勝手なことをしたのは悪かったよ」
「俺たちは、グレコに誘われて……」
「たしかに多少の小遣い稼ぎは黙認しているが、こいつは……」
「チームのなかで、行方不明になった者はいないか?」
バルログがいきなり淀みのない言葉で口を挟んだ。
「この山猫のなかでか?」
「おい! ふざけたこと言ってんじゃねえぞ!? 俺はそんなことはしてねえ!」
グレコが怒りの形相でバルログに食ってかかる。
「グレコ、おまえさっき、『ボスに殺されちまう』って言ったよなあ。あれは、どういう意味だ?」
「そ、それは……」
グレコが言い淀むとボスの隣に控えていた体の大きな少年がいきなりグレコに飛びかかった。
「グレコッ!!」
少年は両手を縛られたグレコを殴り倒して馬乗りになる。
「てめえが俺の弟を拐ったのか!!」
「スタン、やめろ!」
その振り上げた手にナイフが光り、ボスの制止の声が響くがスタンの耳には届かない。
いままさに振り下ろそうとしたその手を、バルログの手が押さえていた。スタンはバルログの手を振り払おうとするが、小柄なバルログに捕まれた腕はピクリとも動かない。
「スタン、殺すと話を聞き出せない」
バルログが告げるとスタンは唇を噛んで抵抗を止めた。バルログは素早くスタンの手からナイフを奪い取る。
ボスは息を吐くと立ち上がって地面へ飛び降りた。
「仲間を裏切ったヤツは追放か死刑だ。おい、こいつらを尋問してぜんぶ吐かせろ。スタンは頭を冷やせ」
少年たちが三人を奥の廊下に連れ出していく。スタンは入り口から広場へと出ていった。
「ま、待ってくれ、ボス! 俺は見張りをすれば女を抱かせてやるって誘われただけだ!」
「お、俺も何人か案内したが、仲間を売ったことは聞いてない!」
必死で訴えるサムとバクシーの声が遠ざかる。少年たちを見送ると、ボスはバルログに向き直った。
「わざわざありがとう、バルログさん。たしかに今年に入ってから小さな子と女の子が四人、失踪してる。他のチームでも被害が出てるらしいから、グレコがやったとしたら、殺さずにあいつの身柄を引き渡した方が手っ取り早い。無駄な抗争は避けたいしな」
「バルログ、で、いい……」
バルログさんなんて呼びかたをするのはユキぐらいなので、妙にむず痒い。
「じゃあ、バルログ。さっきの、リカルドのマネだよね?」
「あ……」
ボスは子どもっぽい顔でニヤリと笑った。
ばれたか。それよりいまの笑い顔はなんとなく見覚えがある。誰だっけ?
「あの人、あい変わらず怖そうだな。なんでリカルドのマネなんかしたの?」
「そ、そのほうがスムーズにしゃべれるんだ」
リカルドならこんなときどんなことを言うのかは想像ができる。それをそのまま口にする方が自分で言葉を絞り出すより簡単なのだ。さっきのグレコとのやりとりで気づいた事だった。これもリカルドに依存しているようであまり良くない気はするが、緊急時には仕方ないだろう。
「まだ、しゃべるのは苦手なんだな」
「でも、少し慣れてきた」
緊張が解ければかなり自然に話すことができる。チャオと話して自信がついたのもあるのだろう。
「バルログは、これからどうするんだ?」
「日が暮れてから檻囚棟に潜入してみる」
「悪いんだけど、わかったことがあれば情報を回してくれないか? 話せる範囲でいい。仲間を拐われて黙ってる気はないが、あそこはアルデオファミリーの管轄だからな。慎重に立ち回らなきゃいけない」
「……わかった」
いきなり檻囚棟に殴り込む、なんて話にならなくてよかったとバルログは少し安心した。いま騒ぎを起こせば警戒が厳しくなって潜入するのが困難になってしまうからだ。できることならチームが動く前にこちらで解決してしまいたいところだ。そうすれば後輩たちに余計な争いをさせなくて済む。
「こっちでできることはやってみるから、今は動かずに情報収集に努めてくれないか……ボス」
「わかった、助かるよ。ボスなんて堅苦しいな。昔みたいに……」
そこでボスは何かに気づいたように口を閉ざしてバルログをじっと見つめた。
「バルログ。俺の名前、わかる?」
「…………」
バルログは気まずそうに目をそらす。
「ええ!? 嘘だろ! 俺だよ、アルクだよ! ほら!」
そう言ってボスは金色の前髪を片手で額に押しあてて見せた。そんなことをしなくても名前を聞いた瞬間にバルログの脳裏に小さな少年の顔が浮かんでいた。そして思わずアルクを指さす。
「ああ! アルク! …………アルク……か?」
「アルクだよ! なんで疑問形なんだ!」
たしかにこれほどの美形は他に該当者などいないのだが、あまりにもイメージが変わっていたのだ。
アルクはバルログがチームを離れたときにはポルトと同じぐらいの年頃だった。その頃のアルクはバルログよりも小さく、しっかりとはしていたが控えめでおとなしい印象だった。なによりアルクにはエレクという二つ年下の妹がいたが二人は双子の姉妹のようにそっくりで、バルログの中でアルクは女の子枠に入っていたのだ。それが、こんなにも男らしく育っている姿は想像できなかった。
「ああ、アルクか……へえー」
「なんだよ、それ。バルログが俺たち兄妹を山猫に誘ってくれたんだろ。ちょっとショックなんだけど」
「うん、ごめん……」
アルクは拗ねたような顔でバルログを睨んでいたが、不意にぷっと吹き出した。そのまま大声で笑いだす。バルログは照れたように頭を掻いていた。
「俺って、そんなに変わった?」
「うん、見違えたよ」
「バルログはあんまり変わってないよね。むしろ小さくなってる」
「それは、アルクが大きくなったせいだろ」
アルクはひとしきり笑うと涙を拭いながら手を差し出した。
「こんなに笑ったの久しぶりだよ。出発まで間があるんだろう? ここは自由に使ってくれ。俺はグレコたちを見てくる」
「ありがとう。そうさせてもらう」
バルログはアルクの手を取り握手を交わした。
アルクは笑顔のまま背を向けて廊下へと歩きだす。バルログはアルクが背を向けた瞬間にその顔から表情が抜けたのを感じ取った。グレコの尋問のために気持ちを切り替えたのだろう。その後ろ姿にはボスのオーラが漂っている。
リーダーっていうのは色々とたいへんなんだろうな。
などと考えるが、数ヶ月後に自分がその苦労を味わうことになるとは、いまのバルログはまだ知る由もなかった。




