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95 ミイちゃんが立った!


 バルログは妹を拐われたという少年から事情を聞くために廃屋に戻っていた。泣き続ける少年をテーブルに座らせて、落ち着くのを待っている。

 チャオがコップに水を注いで差し出すと、少年は小さな声で「ありがとう…」と言った。


 少年の服は汚れているが、仕立ては悪い物ではない。少年の(たたず)まいから、スラムに来てまだ日が浅いのではないかとバルログは見ていた。怯えて疲れはてた目をしているが、ここに住む子ども特有のぎらぎらした強い光、あるいは全てを諦めたような生気のない光が感じられない。


 少年がコップに口をつけたのを見てそろそろ話を切り出そうかと考えたとき、『ぐうっ』と、少年の腹が鳴った。


(まあ、そりゃそうか)とバルログは思う。

 子どもが日々の糧を得るのは難しく、だからチームに所属する。チームに入ったとしても下っ端は最低限の分け前しか与えられず、バルログも冒険者になるまでは腹一杯になった記憶などなかった。


「こ……こんなものしか……ないけど」


 紙に包んだ残り少ない干し肉をテーブルに置くと、少年はひったくるように口のなかに押し込んだ。


「よく噛んだほうがいいわよ、消化に悪そうだから」


 チャオが心配そうに声をかける。


「ふむ、悪くはないが、わしはもう少し濃い味つけのほうが好みじゃな」


 なぜかついてきた長身の女もちゃっかり干し肉に手を伸ばしてくちゃくちゃと咀嚼していた。

 

 こちらは袖無しの白いワンピース一枚というこの時期にしてはいささか薄着ではあるが身なりもきれいでスラムには似つかわしくない風体だ。艶やかな長い黒髪に紅玉のような赤い瞳、思わず見入ってしまう美貌はスラム街の夜道を一人歩きしてよく今まで無事でいられたものだと思ってしまう。よく見ると鍛えられて引き締まった体をしていて体術の心得もありそうだが、チャオと比べても明らかに隙だらけで無防備な感じがする。先ほどナイフを突きつけられた少年の隣で足を組みふんぞり返った様子はどこか浮世離れして見える。この女に用はないのでどう扱ったものかとバルログは頭を悩ませた。


 女はバルログの視線に気づくと、にかっ、と豪快な笑いを浮かべた。あわてて目をそらすとテーブルの下でチャオに足を蹴り飛ばされる。


「痛っ!?」

「なにデレデレしてんのよ!」

「ええ!? べ、べつにそんなことは……」


 チャオに睨まれてこちらからも目をそらす。こういった場合にどう対応すればいいのかバルログにはさっぱりわからない。そもそもなぜチャオは怒っているのだろうか?


 そんなことをしてる間に少年は干し肉を完食してしまいもの足りなそうな顔をしている。バルログの認識では干し肉は腹を満たす物ではなくしつこく噛み続けて空腹をごまかすための物だ。最初に教えてあげればよかったかと少し後悔した。


「まだ足りぬようじゃな」


 少年を眺めていた女の手の上に人数分の竹皮の包みがいきなり出現した。


「「!?」」


 いま、どうやって出した!?

 女は腰紐に小さな皮袋を提げているだけの軽装だ。それがマジックバッグだったとしても取り出すような動作はバルログにはまったく見えなかった。


「これは『たこ焼き』という食べ物じゃ。おまえたちの分もあるぞ」


 集まった視線の意味を理解していないらしく、女は得意そうにみんなの前に包みと竹箸を並べていく。


「わあ、ありがとうございます! あ、わたしチャオっていいます」


 胃袋を刺激する濃厚なソースの香りに釣られて、チャオは疑問より食欲を優先することに決めたらしい。


「チャオ、か。わしは、ルシアじゃ」

「あ……、バルログ……です」

「ぼくは、ポルト……」

「バル……バルバルにポルトじゃな」


 ちょっと違うけど、まあいいか。名前なんてものは戦闘においてはユニットを識別するための記号みたいなもので──

 そこまで考えてバルログは思いとどまる。

 いや、いまの俺は戦闘機械ではなく自立した人間を目指してるわけだから、こういう考えはよくないのかな?

 とはいえ自分の名前に思い入れがあるわけでもなく実際に気にもならないので結局はそのままスルーすることにした。ともかく少年の名前を聞き出せたのは一歩前進だ。


「この食べ物に関わったすべての命に感謝を捧げる」


 なにかの宗教儀式なのかルシアは神妙な顔で手を合わせる。ご馳走になる手前、バルログたちも見よう見まねで手を合わせた。


「それでは、いただきます!」


 それを合図にみんなが一斉に包みを開いてたこ焼きに箸を伸ばす。


「おいしい!」


 チャオとポルトの歓声があがるが、バルログは並んだ丸っこい物体をしばし観察した。たっぷりの黒いソースがかけられたそれは緑の粉末に木屑のようなものが散りばめられ白っぽいソースが絡んでいる。


「これ、なにかの卵?」

「小麦粉を水で溶いたものだけど」

「ああ、小麦粉か……」


 チャオの返答でようやく安心したバルログはひとつつまんで口に放り込んだ。


「!」


 ヤケドしそうなぐらい熱いが、たしかに美味い。バルログは冷ましながらゆっくりと味わうがチャオとポルトははふはふ言いながら熱さと戦い必死に頬張っている。


「まだまだあるから、遠慮なく──」

「おかわり!」

「おねがいします!」

「お、おう」


 あっという間に一舟をたいらけたチャオとポルトが食いぎみにおかわりを要求するとルシアの手の上にまた包みが出現する。


「ふふふ。食べるがよい、飢えた子どもたちよ」


 ルシアは悪役令嬢のような笑いを浮かべながら楽しそうに包みを手渡した。


「バルバルも遠慮することはないぞ。たくさん食べねば大きくならんからな」

「あ……ありがとう。お、美味しい……けど、た……食べ過ぎ、たら、う……動き……が、鈍る、から……」

「ルシアさん、こいつチビだけど、もう二十歳だからこれ以上は大きくならないんです」


 チャオが辛辣な合いの手を入れる。


「ふうん。そういうものか?」


 ルシアはよくわからないという風に首をかしげた。

 そのとき、部屋を動きまわっていた仔猫がルシアを見上げて『ミィー、ミィー』と、鳴きはじめる。


「おお、ミイちゃんもお腹が空いたか」


 ルシアは仔猫を抱き上げると愛しそうにほおずりをしてテーブルの上に乗せた。チャオが箸を止めてキラキラした目でミイちゃんを見ている。


「ミイちゃんにもたこ焼きをやろう」

「猫にはタコとかイカは良くないそうですよ」

「む、そうなのか? ミイちゃんは何が好きなんじゃろうか」

「ミルクとか、あとはお肉とかお魚じゃないかな」

「なるほど……チャオは物知りじゃな」


 するとルシアはどこからともなくミルクの入った大きな金属容器を取り出した。



 ミルクを飲み終えたミイちゃんはルシアの取り出した干し魚を夢中で貪っている。みんなも食事を終えて一息ついたところだ。

 ルシアのことも色々と気になるが、いまはポルトから話を聞き出すのが先だった。


「ポルト……い、妹が、さ、拐われたとき……のこと、を、聞きたい……」


 子どものポルト相手なら普通に喋れそうなのだが、ルシアが居るせいでどうにも緊張してしまう。どうにか落ち着いた様子のポルトはぽつりぽつりと話しはじめた。


 ポルトは市街地のアパートで家族と暮らしていた。父は行商人で旅をしているのでほとんど家に居ることはない。実質、母と妹の三人暮らしのようなものだった。


 だが母が熱病に罹りあっさりと他界してしまう。葬儀は大家さんが手配してくれたが兄妹は身寄りもなく途方に暮れていたところ、家賃の未払いを理由にアパートを追い出されてしまった。そしてポルトと妹は雨露を凌げる場所を探してスラムの廃屋に住み着くことになった。それが一ヶ月ほど前の事だという。


「ちょっと、なにそれ! ひどすぎない!?」


 怒りの声をあげるチャオを制止してバルログはポルトに続きを促す。ポルトの状況には同情するし腑に落ちない部分もあるが、いま聞き出さなければいけない話はそこではない。ポルトはまた話を続ける。


 ポルト兄妹は町で残飯を漁ったり時には盗みも働いてなんとか食い繋いでいたが、ある日スラムの路地裏を歩いていたときにローブを着た男たちに襲われた。

 ポルトはどうにか逃げ延びたものの、妹は連れ去られてしまった。

 だが男たちのなかに見覚えのある青年が一人混じっていた。それは町で食べ物を盗んだときに現れた青年だった。青年はチームに所属しているらしく、「ここは俺たちの縄張りだ」と言ってポルトを殴り、食べ物を奪って立ち去っていったのだ。

 ポルトはスラム街を探し回り翌日には青年を見つけて「妹を返せ!」と詰め寄った。

 そのときに出された条件が「若い女を連れてくれば妹と交換してやる」ということだった。約束の時間は今日の朝7時。もうすぐその時間だ。


 ポルトは話し終えると涙をこらえて下を向いた。


(やっぱりチームが絡んでいるのか)

 バルログは今後の方針を考える。いきなりチームに乗り込むより、まずはその青年に接触して証拠を押さえるべきだろう。


「なるほど、それでわしを妹と交換しようというわけか。悪くない案じゃな。ならば、そうしよう」

「!?」


 ルシアは片手でミイちゃんと戯れながらなんでもないことのように言った。


「で……でも!」

「いいんですか、ルシアさん!?」

「ポルトの妹さえ戻れば、あとは好きにしてよいのじゃろう? ならば、なんの問題もない……おっ!?」


 目の前で揺れるルシアの指を目で追っていたミイちゃんがいきなり立ち上がって、前肢でルシアの指をパシン!と挟み込んだ。


「見たか!? ミイちゃんが立った!」


 なんなんだろう、この人……

 子どものようにはしゃぐルシアを、バルログは不思議な生き物を見るような目で見つめた。


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