94 チャオの套路
ルシアは人通りの少なくなった夜道を仔猫を抱きながらとぼとぼ歩いていた。
すでに現在地もわからず迷子状態なのだが、ルシアは心ここにあらずといった感じでぼんやりと歩き続ける。
(あんた、男にでも捨てられたのかい)
老婆の声が繰り返し頭に響いてくる。
「捨てられた……のか?」
そんなわけはないと思いながらも魔王という自分の立場を考えると、まったくありえない話だと笑い飛ばすことができなかった。加えて初めての大都市で迷子になっているという孤独と不安のせいで妄想に歯止めがかからない。
(連れて帰ったものの、飼うことができなかったんだろうね…)
「飼うことが……できない……」
捨て猫と自分の境遇をつい重ねてしまう。その仔猫はルシアの手の上で安心したように眠っている。その温もりとわずかな重さがルシアの心にほんの少しの癒しを与えていた。
「お嬢さん、こんな時間にどちらへ?」
「む?」
気付くと甲冑に身を包んだ騎士に声をかけられていた。
「ここから先は治安が悪いのです。失礼ですがこの町の方でしょうか?」
騎士たちは丁寧なことば遣いで話しかけてくる。
「いや、わしは………」
ルシアは身分を尋ねられたら冒険者証を見せるように言われていたのを思い出した。
ルシアの手の中にどこからともなくカードが出現し騎士は少し驚いた顔を見せたが、それが冒険者証だと気付くと黙って受け取った。
「ルシア・ジェノン………Dランクの冒険者ですか」
冒険者なら女性だからといって夜中に町中を歩いていて咎める理由にはならない。それなりの武力を有しているであろうしクエストの途中だという可能性もあるのだ。
「ご苦労様です。ここから先はスラム地区となっておりますので、気をつけてください。とくにあなたのような美しい女性は」
若い騎士はルシアに冒険者証を返すと誠実そうな顔で敬礼をした。
「うむ、気遣い痛み入る………」
ルシアはうわのそらで返事をすると、ふらふらと橋を渡っていく。若い騎士はその後ろ姿を心配そうな顔で見送った。
◇◆◇◆◇
テーブルに突っ伏して眠っていたチャオは、ぱちりと目を覚ました。
体内時計では朝の四時半、いつも通りの起床時間だ。日の出まではまだ時間があり、月光石の青い光を眺めながらどうしてこんなところで眠っているのかと記憶をたどる。そして盛大によだれを垂らしていたことに気付くと、ハンカチで顔とテーブルをゴシゴシこすり始めた。
「おはよう」
「わあっ!」
背後から声をかけられて思わず声をあげる。驚いて振り返るといつのまにかバルログが立っていた。
「ちょ…ちょっと! 気配を消してレディの背後に立つんじゃないわよ!」
「うん、ごめん……」
バルログは眠そうに欠伸をすると朝食の準備を始める。朝食といっても干し肉だけの簡素なものだ。チャオは木製のコップに注がれた水を飲み干すと立ち上がって店舗のあった部屋へ移動して体を動かし始めた。
「明かりは要る?」
「だいじょうぶよ、慣れてるから」
チャオは薄暗い部屋の中で技の練習をしている。月光石を手に見学するバルログにもチャオの腕がかなりのものだというのは分かる。すばやい攻撃と防御の動きが淀みなく繰り出され、ときおり呼気に合わせて拳や足がオーラを纏い青白い光の軌跡を描く。
一連の動作が一段落したところでバルログはチャオに声をかけた。
「それは、拳法の型なのか?」
「これは套路って言って、型とはちょっと概念が違うんだけど…、まあ似たようなものね」
「ふうん」
型となにが違うのかバルログには分からなかったが、そこにそれほど興味があるわけでもない。干し肉をかじりながら眺めているとチャオは次の套路を始めた。
さきほどとは打って変わってずいぶんとゆったりした動きだった。見えない球体を抱えているような動きはバルログの想像する拳法とは違いどこか神秘的な舞踊のようにも見える。球体は大きくなったり小さくなったりするが、それをなぞる手の動きは攻撃を受け流す動作なのだろうか。動きはスローだが攻撃を受け流しながらするすると体の位置が変わっていく。そうかと思うと時おりぞくりとするほど鋭い動きが差し込まれ、見た目よりも実戦的なものなのだと認識できる。眺めているうちに攻撃者の位置と自分の位置をコントロールして自在に攻撃するための高度な動きだというのが分かってきた。
いつしかその動きは早くなり軸足を変えながら目まぐるしく立ち位置が変わっていく。チャオは最後に両足を前後に開きながら大きくジャンプして頭上で両手を合わせた。
パン! と、乾いた音が響いて着地すると、チャオは胸の前で手を合わせて一礼をした。
チャオが顔を上げるとバルログは思わず拍手をしていた。
「どうだった?」
チャオは少し照れたような顔でバルログに感想を尋ねる。
「きれいだった…」
「え?」
およそ武術の練習を見た感想としては似つかわしくない言葉にチャオは驚いた顔をするが、バルログは他に言葉が見つからなかった。チャオの套路にはたしかに心を揺さぶられるものがあったのだ。
武術を通して心と体を鍛えるという麗句をよく耳にするが、それは厳しい修行に耐えることで自動的に精神力も鍛えられるということだと単純にバルログは考えていた。だがいま目にした套路には、さらなる高い次元を目指すなにかがあるように思えたのだ。
「なんだか不思議な動きだったな。最初は舞踊かと思ったんだけど、かなり実戦的な動きだ」
「初見でそれがわかる人って、けっこう少ないのよ。それに……」
「ん?」
「きれいって、言ってくれたわね。わたしが初めてお祖父様の套路を見たときも同じことを思ったわ。わたしなんかまだまだなんだけど、少しはお祖父様に近づけたのかな」
そう言ってチャオはうれしそうに笑った。
それからチャオとバルログはテーブルで干し肉をかじりながら今後の方針を話し合っていた。
「あんまり気は進まないんだけど、前に俺が居たチームで情報を集めようと思うんだ。人拐いなんてここじゃ日常茶飯事だけど、組織的にやっている事ならチームにもそれなりの情報が入ってると思う。と言うか、チームが関わってる可能性もあるんだけど」
「まあ、人が運び込まれてるそれらしい建物の目星くらいはつくかもね。のんびりもしてられないし、知ってそうな人に聞くのが手っ取り早いか」
涼しい顔で言うチャオをバルログは「誰のせいでこうなったのか」と思いながら見つめる。
「なによ、なんか文句ある?」
「い、いえ、ないです!」
ジロリと睨まれてバルログは慌てて首を振る。どうやら顔に出ていたらしい。糸目のせいか普段は表情を読み取られることが少ないので油断していた。
「ん?」
そのとき廃屋の前の寂れた通りを生気の無い足どりで歩く人影がバルログの目に入った。
△▼△▼△
ルシアは仔猫を抱きながら薄暗い町をさ迷っていた。
歩いていれば見覚えのある場所に出るだろうという当初の考えはすでに消え去り、物思いに耽りながら目的もなくただ徘徊しているだけだ。実際はカイトの帰りが少し遅かったというだけなのだが、孤独と不安のせいでそこに自分の帰る場所があるのかすらもはや確証が持てなかった。
いつの間にか華やいだ町の景色は寂れた下町に変わっていることにも気付いていない。
「おい、おまえ」
とつぜん後ろから声をかけられたがルシアは気付かずにふらふらと歩き続ける。
「おい、止まれ!」
「……む?」
ルシアはようやく足を止めてゆっくりと振り返った。後ろをついてくる気配に気付いてはいたが、さして気にも留めていなかったのだ。
「なんじゃ、子どもか」
そこにはナイフを突き出してルシアを睨む十二、三歳ぐらいの少年が立っていた。
「こ、子どもじゃない! いいから、黙って連いてこい! に、逃げたら殺すぞ!」
少年は追いつめられた獣のような目でナイフを突きつけてくる。
「まあ、べつに構わぬが……」
ルシアは困惑しながらまだ幼い顔立ちの少年を見下ろした。
「動くな」
男の声が少年の耳もとで囁き、首筋に冷たいものが押し当てられた。
少年は「ひっ」と小さく悲鳴を上げて動きを止める。
「武器……を、捨てろ」
男の声に少年は涙目になりながら素直に従った。その手からナイフが落ちる。
バルログは開いた扉越しに雑貨屋だった廃屋の前をふらふらと通り過ぎるスラリとした女性を目にした。仕事帰りの娼婦か酒場女なのだろうが、若い女がスラムの裏通りを一人で歩くのは危険だ。まして夜明け前の暗い夜道である。案の定、少しの間を置いて一人の少年が廃屋の前を通り過ぎる。その様子から少年が女性を尾行しているのがすぐに分かった。スラムでは幼い子どもでも犯罪に手を染めて生きている。
少し迷ったが、このまま見過ごすと後悔しそうだったのでバルログは立ち上がると少年を尾行し始めた。
ルシアにナイフを突きつけていた少年は、背後に立った糸目の少年に首筋にナイフを押し当てられて震えている。ルシアはその様子を不思議そうな顔で見下ろしていた。
「ケ、ケガ……が、なければ……い、行って……ください」
糸目の少年がルシアに告げる。
ルシアは目線を上に向けて少し考えた。
「しかし、その子どもはわしに用があるようじゃが?」
「え?」
予想外のことばにバルログは背の高い女を見上げた。薄闇でもわかる美貌に思わずどきりとする。
「い、いや……用って言っても……」
おそらくは強盗か、場合によっては強姦もある。バルログは返事に困った。
「子ども。わしにしてほしいことがあるのじゃろう?」
ルシアが声をかけると少年はぽろぽろと涙を溢して崩れ落ちた。
「ごめんなさい、……ごめんなさい! 妹が拐われて……こうするしかないんです! ごめんなさい!」
拐われた?
バルログは驚いて泣き崩れる少年を見つめた。
「どしたのー?」
距離を置いて連いてきていたチャオが追いついたらしく、呑気そうな声をかけてきた。
「手がかりが、見つかったみたいだ」
「ん?」
事態がわかっていないチャオは不思議そうに首をかしげた。




