93 調査官だからってなんでもかんでもできると思ったら大間違いだ!
ほとんど人も通らない薄暗い路地の片隅で、辻占いの老婆は並べたカードをめくっていた。
「何回占っても同じか。まったく、今からでも逃げ出すべきかねぇ……」
外見にそぐわない若い女の声で老婆は呟いた。カードを並べた小さなテーブルの片隅には幾何学模様の球体の上に座った猫を模した香炉が置かれ、白い煙が細く立ち昇っている。老婆はなにかに気づいたように通りの奥に目を向けると、いそいそとカードを仕舞い座りなおした。目線はテーブルに被せた光沢のある黒い布にぼんやりと落とされている。
やがて一人の男が老婆に近づいてきた。
「よお、ライラ婆さん。なんか新しい情報はねえか?」
ライラ。それが老婆の名前であった。
「なんだ、またあんたかい。夕方に来たばっかりだろ」
ライラは顔を上げると嗄れた声であきれたようにつぶやく。
「そう言うなよ。いまは少しでも情報が欲しいんだ」
男はよれよれのコートから煙草を取り出すとオイルライターで火を点ける。三十過ぎの冴えない顔をした男はへらへらと笑いを浮かべながら煙を吐き出した。
「目新しい情報と言やあ、さっき城の方で凄い音がしたろ。庭でなにかが暴れたらしくて、森が半分無くなったらしいよ」
「なにか? ただの崖崩れじゃねえのか。城の様子はどうなってる?」
「警戒は強めてるみたいだけど、さしあたってどうこうってのはなさそうだね。あとは、あんたの相棒のお嬢ちゃんがアルデオファミリーのアジトで大暴れしたくらいかね」
「マジかよ………目を離すとすぐにこれだ」
冒険者ギルド調査官のレイクは片手で顔を覆い嘆息した。
「で、チャオは無事なのか?」
「ああ、あんたが雇ったアサシンといっしょにスラムに逃げ込んだよ」
「逃げ込んだっつーか、そっちが目的なんだが。あいつは、目の前のものを破壊しなきゃ進めねえのか?」
「あんたがついて見てたほうがよかったんじゃないのかい?」
「俺は戦闘はできないからな。潜入もまあ、俺ひとりならなんとかなるんだが……。だから腕のいいアサシンをつけといたんだ」
「よくそれで調査官なんか務まるもんだねえ。血の気の多いやつら相手じゃ、荒事なんかしょっちゅうだろうに」
「まあ、俺は頭脳派だからな。そういうのは得意なやつに任せることにしてるんだ」
「頭脳派ねえ……」
ライラは疑わしそうな目でレイクを眺めまわす。
「だから戦闘が強くてとびきり優秀な美女を相棒につけてくれって頼んでたんだ。それを、よりにもよってあんな暴力装置を押しつけやがって……」
「そんな優秀なのが来たら、アンタがいらなくなっちまうだろ」
「ぐっ………!」
痛いところを突かれてレイクは言葉に詰まる。それは、まったくの正論で返す言葉が見つからない。なので、レイクはキレた。
「う、うるせー! 調査官だからって、なんでもかんでもできると思ったら大間違いだ! 俺だって好きでこんな仕事してるんじゃねえんだよ!」
大人にあるまじき態度でわめき散らすレイクを横目にライラは涼しい顔でカードを並べ始める。
「はいはい、適性は疑わしいけど頭脳派ってのは認めるよ。フランベルド王国国立魔法学院主席卒業、だったかい?」
「……!」
レイクは咥えた煙草をぽろりと落として今度こそ絶句する。
「本名はブラム・ローウェン。古代の秘術を手にいれて魔術師ギルドの引き渡し要請を拒否したせいで呪文書を取り上げられる。その後に死亡したことになってるが、ちょっと前に冒険者ギルドに匿われてるって噂が流れたね」
「…………驚いたな。西方諸国の話だってのによく調べたもんだ」
レイクは震える手で煙草を取り出すと、ライターで火を点ける。
「おや、否定しないんだね」
「そこまでバレてちゃ、しょうがねえ。あんたが知ってるってことは、魔術師ギルドにも俺の素性は割れてるのか?」
「いいや、たぶんだがまだ気付いちゃいないね。アンタのことは秘匿情報に指定しといたから、変に目立たなけりゃあしばらくは大丈夫さ。ジプシーは口が固いんだよ」
「そりゃ、どーも。そこまでしてくれるってことは、なんか目的があるんだろ?」
レイクは浮かない顔で煙を吐き出した。
「そんなたいしたことじゃないさ。あんたを探してるヤツが居てね、時間があるときに話だけでも聞いて欲しいんだよ。それまであんたが生きてりゃ、だけどね」
ライラは横目でちらりと通りの奥に目をやる。
「ありゃ、尾行けられたか。伯爵の特殊部隊か、マフィアの暗殺部隊か……かなりの腕利きだな」
レイクは目をほそめて通りの奥から近づく三人の人影を確認すると、顔を引き締めて不敵な笑いを作る。
「荒事しかできない三下だろ。さっきからこっちを窺ってたよ。調査官なら、これぐらい気付きなよ」
「だから、調査官だからってなんでもできると思うな! 経歴を消すには上級調査官が都合がよかったってだけなんだよ!」
「なんでもいいけど、こっちに迷惑はかけないでおくれよ。まあ、アンタにいま死なれちゃあ、ちょっとだけ都合が悪いんだけどね」
「へへ、あんまり見くびるなよ。これでも逃げるのは得意なんだ」
レイクはそう言うやいなや、手近な建物の間の細道にどたどたと駆け込んだ。
「あ、アンタ、そっちは……!」
ライラの言葉は届かず、すぐに走り出した男たちが足もとの木箱を蹴飛ばしながらレイクの消えた細道に飛び込む。
「おい、居たか!?」
「いや、行き止まりだぞ!」
「居ねえ! どうなってる!?」
そのとき、通りの奥から声が響いた。
「おーい、ノロマども! こっちだ、こっち!」
レイクが遠く離れた場所で大きく手を振っている。
「いつの間にあんなところに!?」
「野郎、なめやがって!」
「逃がすな!」
男たちは怒声をあげながらレイクに向かって走り出す。レイクは男たちを引き付けると路地裏に続く横道に飛び込み、男たちもそれを追って姿を消す。
路地にはいつもの静寂が戻っていた。
「へえ、こっちにあいつらの気が向かないようにしてくれたのかねえ。魔法を取り上げられた魔法使いか……頼りになるんだか、ならないんだか……」
そう言ってライラは並べたカードの一枚をめくる。
「『旅人』のカードか。暗示は新しい風、噂の流布、舞い込む厄介事………今日はもう店じまいするか」
そう呟くとライラはてきぱきと片付けを始め、イスとテーブルをマジックバッグに放り込んだ。最後にマントを羽織ると目深にフードを被る。背筋を伸ばして歩きだした足どりはことのほかしっかりしていた。
「あの猫ちゃん、かわいかったなぁ……」
見知らぬ女が連れ去った黒い仔猫をふと思い出して、ライラはぽつりと呟いた。




