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91 書状


「父上……」


 ミハエルはベッドに横たわる痩せ細ったナダン・グレイフィールド伯爵の手を取り優しく語りかけた。


「今日は顔色がよろしいようですね。もう庭園のミザクラが実をつけ始めていましたよ。庭師がよく手入れをしてくれています。熟せば、母上の墓にもお供えをせねばなりませんね。母上は、あれが大好きでしたから……」


 ナダンは目を閉じたまま静かに呼吸を続けている。投与している薬物の影響でナダンはほとんど目を覚ますことなく眠り続けていた。稀に目覚めることがあっても意識が混濁しているらしく、意思の疎通はかなわない。


 ミハエルはナダンの手を自らの額に押しあて、祈るように目を閉じる。やがて開かれたその青い瞳の奥には(くら)い光が灯っていた。


「父上をこのような目に合わせた者共には、必ず報いを受けさせますよ。そのための準備も着々と進行中です。父上が立ち上がる頃には王の座を用意しておきますので、それまで御安心してお休みください」


 眠り続けるナダンの手にわずかに力がこもり、その目が薄く開かれる。わなないた唇がなにかを伝えようとしているようにミハエルには見えた。

 

「父上!」


 ミハエルがさらに声をかけようとしたとき、城の外から大きな地響きの音がして部屋がグラグラと揺れ始めた。


「な、なにごとだ!」


 ナダンの看護をしている魔族の女たちが小さく悲鳴をあげる。揺れが収まるとミハエルは窓に駆け寄り外の様子を窺った。


「な………なんだ、これは!」


 どのような天変地異が起こったのか、ミハエルが目にしたのは眼下に広がる月明かりに照らされた庭園と、その奥にあるはずの森が半分近く消滅した光景だった。


「ミハエル様、ご無事ですか!」


 扉が叩かれ兵士が呼びかける声がする。


「だいじょうぶだ! 城の被害を調べて報告しろ! すぐに庭園に部隊を出せ! 第一級警戒態勢だ!」


 扉を開けてミハエルは兵士に指示をだす。


「父上を頼む!」


 看護士たちに言い残すとミハエルは部屋を出て執務室へと急いだ。






「城の損害は軽微。食堂の皿や一部の調度品が落下して割れた程度です。城下町にも大きな被害の報告はありません。ただ外は………東の森の三分の一が消失、森の中の庭園から北に向かって木々が薙ぎ倒され、崖にも崩落が見られます」


 ミハエルは執務室で部下の報告を聞いていた。


「なにが起こったのだ?」

「それは………現在調査中でありまして、瓦礫の下から出てきた魔族二人が何かを知っていると思われますが、一人は怪我の治療中です。無傷であった一人に聞き取りを試みたのですが、『ウゴ?』としか言わず、どうにも意思の疎通が……」

「あれか………」


 ミハエルはゼノギアの部下の異様な大男の姿を思い浮かべた。


「こんなことができるのは、魔族かSランク級の冒険者ぐらいだろうが、この町にSランクの力を持った者はいないはずだ。だが被害を受けたのは魔族の方か……。冒険者ギルドに流れ者の冒険者のリストを問い合わせねばならんが、険悪なこの状況で素直に応じるかはわからんな。まてよ、被害の中心はあの庭園か………まさか、封印の迷宮から厄介な魔物が抜け出したのではあるまいな」


 ミハエルは眉間に皺を寄せて考えを巡らす。


「ミハエル様、捕らえている冒険者に関する書状が届いております」


 扉を開けて入ってきた文官がミハエルに告げる。


「またか。いまは忙しい、後にしろ」

「ですが………少し事が大きくなっておりまして」


 いまは非常事態中なのだが文官は引き下がらない。


「なんだ、まったく………申してみよ」

「は、例のジュノーという神官ですが、教会からの再三の質問状を無視していたところ、王都の大教会より大神官様から直接書状が届いております。同時に大神官様がガレオンに向けて出立されたそうで、到着するまでジュノーに手出しは無用と、警告のような文書も届いております」

「なんだと! なぜ大神官が自ら動くのだ……?」


 王国に於ける教会の影響力は大きく、王都の大神官ともなれば大貴族でも頭を下げるほどだ。


「それなのですが、密偵からの報告によりますとあのジュノーという少年は『聖人』の資質を持つ特別な者なのだそうです」

「聖人だと? 報告書ではタッカーが橋の下で拾ってきた子と書かれていたが?」

「そのあたりの経緯(いきさつ)は分かりかねますが、未確認の情報ながら今回の動きを見るに信憑性は高いかと存じ上げます」

「面倒だがあの神官に手を出す気はない。報告はそれだけか」

「次の書状ですが、『リズFC(ファンクラブ)』なる女性団体からの抗議声明文です」

「またか! そんな得たいの知れない集団を相手にしている暇はない!」


 ミハエルは嫌そうに顔をしかめる。


「それなのですが、今回は会員筆頭としてガノン侯爵のご息女であらせられるリゼリア様とゴードン伯爵婦人のステイシア様の連名で抗議文が届いております」

「なんだと!?」

「『リズ様への不当な罪状、及び圧力を即刻取り下げよ。事態の改善が見られぬ場合は政治的報復も辞さない』と、あります」

「馬鹿な! 政治的報復だと!? たかが平民の出の者だろうが! ガノン侯爵とゴードン伯爵は承知しているのか!?」

「それは現時点ではわかりかねますが、ガノン侯爵は子煩悩で知られており、ゴードン伯爵も勇猛にして名だたる恐妻家です。何らかの影響力はあるものと考えた方がよろしいかと」

「ぐぬぅ………」


 ガレオンにただ一人の忍者であるリズの捕縛が難航するのに業を煮やし武力行使を許可したものの、もしこのまま殺しでもすればどのような事態になるのか予測がつかない。

 ガノン侯爵とゴードン伯爵は二年前に即位した新国王に不満を抱いており、なにかと冷遇されているグレイフィールド家にも同情的でナダンとは良好な関係を築いていた。今後のミハエルの計画により敵となる可能性は高いのだが無駄に関係を悪くするのは避けておきたいところだ。


「武力の行使は撤回せねばならぬか………」

「それでは次の書状ですが──」

「まだあるのか!」


 ミハエルは悲鳴に近い叫びをあげるが部下である文官は淡々とした口調で無慈悲に報告を続ける。


「魔術師ギルドガレオン支部からの質問状です。現在、賢者ユキを拘束しているのか否か、その罪状と今後の扱いに関する質問です。賢者は貴重な人材であり、また過去に例がないほど年若い賢者の成長を魔術師ギルドは静かに見守っており不透明な罪状によりこの賢者を拘束、処罰することに当ギルドは深い憂慮の念を示す、とのことです」

「よりにもよって魔術師ギルドだと………」


 魔術師ギルドは冒険者ギルドに並んで巨大で強力な組織だが政治的には中立を保っている。

 その活動は多岐に渡り魔法使いの人材斡旋や最先端の魔法技術研究、それらを利用した商品開発、各種工事作業やイベントのサポートなど数え上げたらキリがない。

 ガレオンの観光名所であるエルネアの滝やグレイフィールド城のライトアップも魔術師ギルドに任せているし城で雇っている魔法使いのほとんどが魔術師ギルドの紹介である。町の公共事業にも深く関わっており、仲を違えるのは不味い。


「なぜ弟のところには、こうも面倒なやつらが集まっているのだ!」

「そういえば、タッカー様と言えば仲間の戦士と庭園の捜索に加わっていたようですが、いまは部屋に戻られました」

「タッカーを外に出したのか? 見張りは何をしていた!」


 イラついたミハエルの声に怒気がこもる。


「いえ、その………ベランダから飛び降りたそうで、兵よりも早く現場に駆けつけておりました」

「三階の部屋だぞ!?」

「はあ………タッカー様が言うには、『二階のベランダに飛び降りれば、たいした高さではない』と」

「逃げようと思えば、いつでもできたというわけか………」


 ミハエルは諦めたような顔でため息をついた。


「まあ、いい。それで、なぜタッカーが捜索に加わるのだ?」

「どうも、仲間である例の二人を探していたようです」

「ここに来ていたのか? ならあれは賢者の仕業か!?」


 タッカーと連絡を取るために侵入したところを魔族と戦闘になったと考えれば状況的には説明がつく。だがユキは冒険者としてはまだ駆け出しでゼフトでの活躍も信憑性としては疑わしい。これまでの活動の報告書を見てもあれほどの破壊をもたらす力を持っているとは考えにくいのだ。Bランク冒険者であるリズも同様だ。他に強力な仲間が居るのかもしれない。


「いずれにせよ、もう時間がない。力押しで捕獲するのは無理のようだな」


 ミハエルは眉間を揉みほぐしながら呟いた。


「ジルベドを呼べ! あの二人の捕縛は諦める」


 ここにきてミハエルは方針の転換を余儀なくされていた。




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