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90/118

90 無理です


 廊下を走り抜けて扉を開けるとバルログは夜のスラム街に飛び出した。


 見通しの良い川沿いの道をフルスピードで駆け抜けて大通りを曲がりながら追っ手を確認する。

 ここでチャオを引き離してしまっているのに気づいて慌ててスピードを落とす。


 どうやら追っ手はないようだ。チャオが追いつくのを待ってから人気のない大通りへ入ると念のために路地裏を駆け回り空き家を突っ切りながら奥のブロックへ移動する。


「ここまで来れば、だいじょうぶだ」


 マフィアのアジトを突破してからスラム街を走り続けていたバルログはスピードを落として歩きだした。


「ちょ、ちょっと休みましょ」


 チャオが荒い息をつきながらバルログの肩に手を置く。

 

 バルログは寂れた路地を眺めて空き家と思しき一軒屋に近づいた。以前は老人が一人で雑貨屋を営んでいた家だが、今は表の木戸が壊れたままで荒れ果てている。


「もう人は住んでなさそうだな」


 バルログは真っ暗な屋内を観察しながら気配を探る。

 そのとき、遠くで地響きの音がした。少しの間を置いて地面がわずかに揺れ、古びた家がミシミシと音をたてる。


「な、なに? 地震?」


 チャオが不安そうにキョロキョロと辺りを見回す。

 いくつかの家から人の声がして窓を開ける音が聞こえた。


「とりあえず、ここに身を隠そう」


 バルログが空き家に踏み込むとチャオも後に続く。


「うわ、暗っ! 地震の最中にボロ家に入るってどうなの?」

「追っ手があるかもしれないから、人目につきたくないんだ」


 二人は入り口辺りで一息つくと、揺れが収まったのを確認してから奥へと向かった。


 バルログはベルトポーチから青色の水晶のような石を取り出すと軽く息を吹きかけた。すると石は光を放ち始めて辺りを淡く照らしだす。


「月光石ね…」


 これは魔素を含んで発光する鉱石を魔法で強化した魔道具だ。ダンジョンを進むには心許ないが、手もとを照らすぐらいなら十分な光量がある。


 かつて店舗であった場所は商品棚が破壊され何も残っていない。カウンターの奥の扉は開いたままで、厨房らしき部屋の中にはテーブルと倒れたイスがあった。

 バルログはテーブルの上に月光石を置くと倒れたイスを二脚立たせて腰を下ろした。チャオは向かいの席に置かれたイスを無視して倒れたイスを立てるとバルログの隣に腰を下ろす。


「あー、疲れた。あんた、足早すぎんのよ」


 伸びをするチャオとの距離の近さにバルログはなんとなく落ち着かない。


「それよりさっきの拳士、達人よ。わたしじゃ、たぶん勝てなかった」

「……ああ、強かった」


 勝負は一瞬でついたが、こちらが殺されていてもおかしくはなかった。


「バルの動きもすごかったわ! ゴキブリみたいできもち悪かったけど!」

「ゴキ……………」


 心にダメージを負ってテーブルに突っ伏すバルログには気づかず、チャオは興奮した様子で浮かせた足をぶんぶん振っている。 


「あのクラスがゴロゴロ居るならマフィアも侮れないわね」


(侮っていたのか……)


 腐っても大都市を牛耳っているマフィアだ。そこらじゅうから腕利きをスカウトしているので相手にするならそれなりの覚悟が必要だ。


「そういえば、チャオの槍もすごかったね。拳法だけじゃないんだな」

「武道全般に精通するのが武道家本来の在り方だからね。他にも剣術、棒術、弓術………一通りは学んでるわよ」

「それはすごいな……」


 チャオの流麗な槍捌きは手数が多くまるで曲芸のようだった。バルログがこれまでに見たこともない動きだ。


「ひと休みしたら例の建物に向かおうと思うんだけど、チャオは場所を知ってるんだよね?」

「それなら、地図を書いてきたわ」


 チャオは腰に提げた袋をごそごそすると取り出した一枚の紙切れをテーブルの上に置いた。

 それを覗きこんだバルログの顔色が変わる。


「これは………!」


 紙切れに書かれた手書きの地図には長い縦線が引かれ『川』とある。その中心あたりに短い横線が引かれ『橋』と書かれ、少し離れた左側に四角い図形が大きく記され矢印つきで『ココ!』と書かれていた。


 それだけである。


「バルはここに住んでたんだし、これでわかるでしょ?」

「いや、無理です!」


 そもそもこれは地図と呼べるシロモノなのだろうか。まず町の中なのに道がどこにも書かれていない。


「ちょっと距離感が判りづらいかしら。橋から寄り道したりして二、三十分ぐらいかかったんだけど」


 まだなんとかなると思って無駄な説明を続けるチャオにバルログは戦慄する。


「……えーと、チャオは一人でこの場所には行けるのかな?」

「現在地だってわからないのに、行けるわけないじゃない。兵士の居た橋からなら、だいたいの方角は分かるわよ」


 レイクさーん! これ、あなたの不手際なんじゃないですか!?


 心のなかで叫ばずにはいられない。

 チャオは目的地の場所をまったく把握していないのだ。橋から歩かせたところでたどり着かないのは明白だ。バルログは頭を抱えた。

 マフィアのアジトを突破してまでスラム街にやってきたのに行き先がわからないとは………


「だいたい、『ひと休みしたら』って、もう夜遅いのよ。わたし、9時までには寝るようにしてるんだから」

「!?」


 眠たそうに欠伸をするチャオにバルログは驚いた顔を向ける。普通に立ち入ることのできない建物への潜入調査は基本、動き回る人が少なく姿を見られにくい夜に行う。そして夜に出発したのだから夜に潜入するに決まっている。追っ手のこともあるし、できれば今すぐにでも出発したいところだ。


「ちょ、ちょっと待って! どんな建物だったかはわかる?」

「うーん、ボロっちくて大きな建物ね。まあ、見ればわかるんだけど、たぶん」


 大きな建物? チームの少年たちがねぐらにしているような廃工場、軍施設跡、放棄された役場、廃病院、ダメだ、絞り込めない。


「そ、それじゃあ………あれ?」


 右肩に重みを感じて目を向けると、チャオはバルログの肩に頭を乗せてもたれかかってきた。


「あ、あの………チャオさん?」


 驚いて声をかけると、すーすーと寝息が聞こえてくる。


「……………寝てる!?」


 少し様子を見てみるが、完全に寝入っているようだ。


「チャオ? お、おい!」


 揺すってみても、まったく起きる気配はない。

 そしてバルログは途方にくれた。







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