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89 強敵


「まさか。正面突破よ」


(ああ、やっぱり)


 予想通りのチャオの言葉だった。あまりに迷いのない答えっぷりにいささかの不安を感じる。果たしてチャオに強行手段以外の選択肢は存在するのだろうか?

 最短でスラムに行くとなればやむを得ないのだが相応の危険を伴う選択だ。今後の事を考えると頭が痛い問題だった。


 バルログは即座に決断を下すと先導する案内人の男に付き従って廊下に進む。少し距離を置いてチャオが続いた。


 案内人が現れるまでのわずかな時間にどれだけの人員を用意したのかとバルログは考える。

 調査官の捕獲を目的にしていたのなら多くの構成員は町に出ているのではないだろうか。こちらからノコノコとアジトにやって来るとは予想していなかったはずだ。

 酒場には剣呑な視線をこちらに向ける連中もいた。いま思えばチャオに絡んだ男たちもファミリーの構成員の可能性がある。バルログたちを尾行する気配はなかったので、今頃は一人になったレイクが標的になっているのではないだろうか。


 マフィアの連中は荒事に慣れているが、戦闘力で見ればその多くは普段から魔物を相手にしている冒険者には及ばない。だから冒険者を相手にする場合はそれなりの人数を用意する。だが中にはかなりの凄腕が居るのは確かだ。夜とはいえ、アジトにはそういった腕利きが常駐している筈だった。未知の強敵との戦闘はできる限り少なくしたいところだ。


 薄暗い廊下の左側は明かり採りの窓が並び、川に面したバルコニーに通じている。こちらに人の気配はなく、右側に並んだ扉の前を通過するがこちらにも敵が潜んでいる様子はない。

 

 廊下の中間辺りまで来ると右手に階段が現れる。下りは川の真ん中にある船着き場に繋がっていて、上りはバルログも使ったことがない。


(居るな……)


 階段の踊り場に息を潜めている複数の気配がある。チャオは気づいているだろうか。


 しばらく進むとドカドカと階段を駆け下りてくる音が響いてそれを合図に案内人が走り出した。入れ違いに奥の詰所から三人の男が飛び出してこちらに走り込んでくる。 


 肩越しに振り返ると武装した十人ほどの男たちが背後からこちらに迫っていた。先頭に並んだ二人は槍を構えている。


「チャオ!」

「だいじょうぶ! こっちはまかせといて!」


 狭い通路で槍を並べられるとかなりやっかいだが迎え撃つチャオの声は弾んでいる。ここはチャオを信じるしかない。バルログは前方の三人に集中した。


 ナイフを手に先頭を切って走ってくる二人はたいしたことはない。その後ろでゆっくりと歩を進める素手の男がバルログを値踏みするように鋭い視線を向けてくる。


「あいつが本命か……」


 バルログはベルトに挿したナイフ二本を引き抜き両手に構えた。

 背後では派手な打撃音と男たちの悲鳴が飛び交っている。どうやらチャオが優勢のようだ。


 バルログは先頭の男の胸元に飛び込むとナイフの柄頭で喉元を打ちつける。男はろくに反応もできないまま崩れ落ちた。

 もう一人がナイフを突き出してくるが、軽くかわしながら同様に喉元を打つと喉を押さえながら倒れてもがいている。


 手加減はしたのでしばらくは動けないだろうが死にはしないはずだ。いまは仕事の都合で敵対しているが、互いの依頼が終わればマフィアとはこれまで通りの関係は続く。だが殺してしまうとそれも保証の限りではない。要は必要以上に恨みを買わないことが肝心なのだ。

 向こうがこちらを殺すことに躊躇がないのは大きな組織の強みからだろう。リカルドを贔屓にしている幹部がこの場に居れば対応も変わるかもしれないが、話し合いになるとそれはそれで面倒だ。立場が低いバルログは、わずかな見返りで大きな譲歩を迫られる可能性が高い。それを思うと有無を言わさぬ強行突破は悪い作戦ではないのだ。もちろん、それが可能な実力があればの話だが。


 ちらりと後ろを見るとチャオは敵から奪った槍を使い、華麗な槍捌きで男たちを散々に打ちのめしている。穂先の側ではなく石突きの部分を使っているので死人は出ていないようだ。

 既に男たちの半数はチャオの前に倒れて足の踏み場がない。


「ほら、かかってきなさい!」


 チャオが挑発するように石突きの先を揺らして見せるが男たちは槍の攻撃範囲に入ることを諦めて退路を塞ぐことに専念しているようだ。

 さらに厄介な相手が現れる前に速やかにここを突破するべきだろう。


 バルログが前に出ると前方に一人残った男は腰を深く落として構えをとる。左拳と左足を前に出した半身の構えで右の拳はみぞおちをカバーしている。急所の集まる正中線を隠した隙のない構えだ。ただ者ではない威圧感にバルログは舌を巻いた。


 うかつに手を出せばやられるという確信があった。軽く突き出しただけの拳がやけに巨大に見える。


「バル、そいつ本物の拳士(・・・・・)よ! 〈システム〉の武闘家とは動きがぜんぜん違うから気をつけて! なんなら交替しようか?」

「……だいじょうぶ」


 腕を買われて雇われた身としては依頼人の女の子に強敵を押しつけるわけにはいかない。


 動きが違うと言われてもバルログは武闘家をほとんど見たことがなかった。

 高レベルの武闘家が凄まじい戦闘力を有するのは周知の事実だが、それでも武闘家の冒険者の数は少ない。その理由は低レベル時の極端な生存率の低さである。

 戦士であれば素人同然の駆け出しでも鎧と盾に身を包み、剣を手に戦う。だが武闘家はほとんど防具を身に付けぬまま素手で前線に立つことになる。経験の浅いパーティーではそれをフォローする余裕もない。故に武闘家のほとんどは経験を積む前に命を落とすことになる。武闘家はその性質上、冒険者よりも街中や城中での要人警護に多いクラスなのだ。


 チャオの言う本物の拳士(・・・・・)の意味はなんとなく解る。剣術にも数多くの流派があるらしいが、一般人がそれを学ぶことは禁じられている。正式な武術を学べるのは基本的に貴族かそのお抱えの家柄の者だけだ。〈システム〉で戦士系のクラスになれば武器の扱いや基本動作、レベルに応じた技などがダウンロードされるが、これらは画一的な知識である。スキルなどの成長方向で個性が発生するが、基本的に流派のような差異はない。


 バルログが知る中で正式な剣術を学んでいるのはタッカーだ。あれも天才の(たぐ)いらしいが、まだFランクのころに酒場で喧嘩になったBランクの冒険者をこてんぱんに叩きのめした話は有名だ。基礎からみっちりと体に叩き込まれた技術は単純なレベルだけでは判断できない強さがあるのだろう。


 このままにらみ合っているわけにもいかないので、なにか仕掛けようとバルログが身をかがめて前足に体重を移した瞬間、目の前に拳があった。


(え?)


 そこに凝縮された圧倒的な闘気に“死”の一文字が脳裏に浮かんだ。これを喰らえば頭部は跡形もなく砕け散るのではないか。


 刹那の(はざま)に思考と映像が走馬灯のように駆け巡る。

 気づいたら目の前にある死の拳。だがその始動の構えは確かに記憶の中にある。拳士は両腕を交差しながらさらに身を低くして数メートルの距離を一気に跳躍しながら拳を突き出してきたのだ。

 何千回、何万回と繰り返しその身に刻みつけてきたであろうそれは、流れるように自然な動きであった。必殺の一撃でありながら、その優美とすら言える所作は一切の警戒心をバルログに抱かせなかったのだ。


 大昔に大賢者が創り出したとされる〈システム〉の目的は人類全体の強化。その核となるのは知識の共有である。この拳士の技も〈スキル〉として他の武闘家が習得するのかもしれないが、この動きを再現するには少なくとも拳士と同じ時間の鍛練を必要とするだろう。


 強い。最初から全力を出さずに勝てる相手ではなかった。


 ドン!


 爆発するような音が響いた。着弾と同時に拳士が激しく床を踏み込んだ音だ。『震脚』という名のついたこの独特の動作は踏み込んだ力と地面の反発力を強力な拳にさらにそのまま上乗せする。


 だが、その拳の先にバルログの姿はなかった。

 拳士に動揺が走る。拳士からすればバルログがいきなり消え失せたように見えたのだ。


 拳士は視線だけを忙しなく動かし、気付く。低い位置から突き出した拳のさらに下、地面すれすれの高さからバルログが拳士を見上げていた。


(腹這い!?)


 奇妙な姿勢で地面に寝そべっていると判断した拳士が頭を踏み潰そうと足を上げかけた瞬間、バルログが姿勢を変えないままいきなり真横に動いた。

 信じられないスピードで軌道を変えたそれは大きく開いた拳士の足の間を一瞬で通り過ぎる。

 なにが起こったのか理解できないまま、ふくらはぎに鋭い痛みを感じて拳士は膝を落とした。

 足はバルログのナイフによって深く切り裂かれている。気配を感じて顔を上げると振り返ったチャオの槍の石突きが目の前に飛んできて、拳士の記憶はここで途切れた。



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