88 こっちでも抜け道
「カイトさん!」
ガレオンの手前で行動を別にしたのはつい二日前のことなのに、ずいぶんと懐かしい感じがする。ユキはカイトに駆け寄ると思わず抱きついていた。
「あら………そういうこと?」
リズがきょとんとした顔で呟く。
「ごめん、遅くなった」
「いいえ……来てくれて、ありがとう!」
ユキは泣き出しそうになるのをどうにかこらえる。
「ええと、いまどういう状況? とりあえず攻撃しといたけど、あいつら敵でいいんだよね?」
カイトは頭を掻きながら何事もなかったように起き上がるゴルデアに目を向ける。
「はい。できれば穏便に退却したいんですけど……」
「オッケー、まかせといて」
倒してしまうならいざ知らず、魔族二人を相手にユキとリズを連れて退却となると簡単ではない。無茶な要求だろうかとユキは心配したが、カイトは軽く承諾する。
「じゃあ、ちょっと離れてて」
カイトは魔族たちに向かって歩きだすと腰の後ろに提げた短剣を逆手に引き抜く。
すっと身をかがめたかと思うと、瞬間移動のように短剣を振り抜いた姿勢でゴルデアの前に出現していた。
「瞬迅剣!」
魔族たちの頭上を鋭いなにかが走り抜け、その後ろの森が線を引いたように寸断される。切り離された木々の上半分が一斉に浮き上がった。
「ウゴ?」
「きゃあああー!」
一瞬の間を置いて凄まじい突風が吹き荒れ、木々もろとも魔族二人を吹き飛ばし空中に舞い上げていた。
ゴルデアとエルギナーデは激しい風にもみくちゃにされながら舞い上がった木々と共に飛ばされていく。
それらはブライエ山の切り立った断崖にぶつかるとその足下にうず高く積み上がっていった。
「おお、リアルロケット団か!?」
感慨深げに意味不明の言葉を呟くカイトの後ろにいるユキとリズにも暴風の余波は及び、二人は抱きあって互いの体を支え合う。
風が収まりユキが顔を上げると眼前の光景は激変していた。
「あらー、ずいぶん見通しがよくなっちゃったわね」
リズが他人事のように呟く。
カイトの前方の木々は薙ぎ倒されるか吹き飛ばされて森が消失している。
「えと…、穏便……に……」
ユキは変わり果てた光景に茫然としていた。
「召喚英雄の魔技ってエグイわね。あいつら、生きてるかしら」
「あのシチュエーションで死んだヤツは見たことないよ。まあ、魔族だしだいじょうぶなんじゃない?」
たいした根拠もなくカイトはリズに軽い返事を返した。
そのとき、瞬迅剣の傷跡を残す崖の一部が崩落して岩の塊が積み上がった木の上にドカドカと降り注いだ。その衝撃で地面がグラグラと大きく揺れる。
「わわわ! あの人たち、潰れちゃったんじゃないですか!?」
「…………よし、これでしばらくは追ってこれないな」
「…………そうね、急いで撤退しましょう」
慌てるユキをよそにカイトとリズは無表情に言葉を交わした。やってしまったものは、もう仕方がないのだ。
ぶっちゃけ、正体もよくわからない敵の生死なんてどうでもいい。領主と繋がっている可能性が高いのでできるだけ穏便に済ませておくのに越したことはないのだが、ここまで派手にやらかしてしまうとそんなことはもうたいした問題ではない。むしろ、領主の居城周辺の大破壊という蛮行の目撃者は消えてしまったほうが都合がいいぐらいだ。
「脱出路は?」
「ユキの魔法で崖から下りられるらしいけど、人目につくから最終手段ね。そこに入ってきた抜け穴があるから、崩れてなければそっちを使いましょう」
「了解。さあ、ユキ、急ごう」
「は、はい」
三人は速やかに脱出を果たし、兵士が駆けつけたときには既にそこには人影はなく崩れかけた石柱がひっそりと佇むのみであった。
◇◆◇◆◇
バルログとチャオは一般市街区とスラム地区を隔てる橋の前に来ていた。
橋の脇には武装した四人の兵士が立っている。
「やっぱり見張りがいるわね。わたしは顔を覚えられてるから、面倒なことになるかもしれないわ」
そう言いながら、チャオはマントのフードを被る。服装が目立つのでバルログが無理やり身につけさせたものだ。
「もう少し上流に、スラム地区に入れる建物がある」
バルログは橋には向かわずに川沿いの道を進んでいく。
しばらく歩くと川を跨いだ大きな建物が見えてきた。
「あれのこと? ずいぶん立派な建物ね」
「あれは、アルデオファミリーのアジトだ。スラムに居たころは、橋に見張りが立つときは、いつもここを通らせてもらってたんだ」
「アルデオファミリー………この町の裏を牛耳っているマフィアね。………ところでバル、あんた普通にしゃべれるのね」
酒場でのバルログの言葉は南方人か東方人のようにたどたどしかったが、集合住宅のバルログの部屋で一騒ぎしたあとからバルログは普通にしゃべるようになっていた。
「うん………なんでだろう? たぶん、チャオだとあんまり緊張しないからだと思う」
「へえ、そう……」
しゃべる度に苛々しなくて済むが、緊張しないと言われるとなんだか複雑な気分だ。と言うか、ちょっとイラッとした。とりあえず尻を蹴飛ばしておく。
「痛っ!」
完全に油断していたバルログが驚いた顔でチャオに目を向ける。
「な、なんですか?」
「べつに、なんとなくムカついただけ。それより、ここを使ってたのは昔の話でしょ。いまでもそのツテは通用するんでしょうね?」
「うん。冒険者になってからも、リカルドと何度か来てるから」
リカルドがちょくちょく持ってくる儲け話の中には、後のトラブルを避けるためにマフィアに話を通しておく必要のある場合もある。そうして上納金を納めておけば、大抵は丸く納まるのだ。
アジトの前に到着すると、バルログは見張りの男に頭を下げて分厚い木の扉を開けた。
中は長椅子の並んだ待合室になっており、夜のせいか誰も座っていない。正面のフロントには正装した二人の男が座っていた。これだけを見ると一流商社のフロントのようにきっちりとしている。
フロントの男たちは近づいてくるバルログたちを訝しげに見つめていたが、白髪混じりの痩せた男が何かに気づいたように目を見開いた。
「ん? おまえ、バルログか?」
「は、はい…。ひ、久しぶりです、フォルゴさん……」
フォルゴは長年ここのフロントを勤めていてバルログが子供の頃からの顔見知りだ。
「おめえ、普通に歩けるのかよ。声を聞いたのもいつ以来だ? まあいい、今日はリカルドはいねえのか。また妙な商売でも始めんのか? そっちの嬢ちゃんは誰だ?」
「い…いえ、今日は、ギルド、の仕事、で………。こ、この娘は……ギルド、の……関係者……です。ス、スラムに………行きたいんですけど………」
とたんに口ごもるバルログにチャオは不機嫌そうな目を向ける。
「なるほど、警備に見つからねえようにここを通りたいってわけか。あいにく、ここは関係者以外は通れねえ決まりなんだ」
バルログは黙ってカウンターの上に小金貨を置いた。
「そういや、おまえは関係者だったかなあ。最近、物忘れが激しくてな。付き添い一人ぐらいは大目に見てやるか」
もう一人の男がフォルゴになにか耳打ちをして立ち上がると、奥の部屋に姿を消した。
「ああ、ちょっと待ってろ。いま案内を連れてくる。最近、なにかとうるさくてな」
「案内?」
その言葉にバルログは違和感を覚える。奥の廊下は橋の向こうまでまっすぐに伸びていて迷いようがない。昔の事とはいえバルログは何度もここを通っているのだ。
そのとき、フォルゴが小さな声で囁いた。盗賊が密かに情報を交換するときに使う指向性の強い特殊な話法だ。受け取り側にも鋭い聴覚がなければ聞き取ることは不可能だ。
「そっちの嬢ちゃんな、捕らえるように命令が出てる」
「!」
バルログは眉間にしわを寄せただけで、なに食わぬ顔で壁に掛かった絵画を眺めているチャオを盗み見る。こちらの話には気づいていないようだ。
「嬢ちゃんを拘束した後、お前は魚の餌だ。でも俺はリカルドを敵に回す気はねえんだ。お前一人なら逃げ出すぐらいできるだろ。リカルドによろしく言っといてくれ」
リカルドの懐刀と呼ばれているバルログが消されるようなことがあれば、たしかにリカルドは黙ってはいないだろう。リカルドは以前に仕事の上前を跳ねようとしたファミリーの構成員の腕を躊躇なく切り落としている。
リカルドが侘びを入れたという体でこの話は収まったが、実際にはその件での上納金を免除されている。バルログを連れて帯剣したまま話し合いの場に赴いたリカルドは言葉こそ下手に出ていたが、その態度と表情からは「そっちがその気なら戦争でもなんでもとことんやってやる」という狂気が滲み出ていた。結果的にアルデオファミリーが非を認めてリカルドの行為を不問としたことになる。
腕利きの冒険者と事を構えるよりも、それなりに金と情報を運んでくるリカルドとの関係を維持するほうが得策とファミリーは判断したのだろう。それどころか、それ以来リカルドの引き抜きをしようとファミリーは何度もリカルドに使者を送ってきている。リカルドはその気があるのかないのか、かなり無茶な条件を提示して使者を追い返していた。
ともかくこの事件は、リカルドの逆鱗に触れればファミリーの一員といえども枕を高くして眠ることはできないのだという認識を深める結果になったのだ。
そしてフォルゴはリカルドが本気でファミリーに敵対した場合、顔をよく知られている自分が標的となる可能性を危惧しているのだ。その判断は間違っていないとバルログは思う。
もしリカルドがその気になれば宣戦布告として適当な構成員を殺すか、いきなりボスの暗殺を企てる、あるいはバルログが想像もつかないことをしでかすだろう。
おそらくこうした報復行為にリカルドは何らかの自分ルールを設けていて、自分の感情よりもそのルールを優先しているとバルログは感じていた。先刻のアパートでの一件も、バルログの返答次第では殺すつもりだったに違いない。あのとき一瞬だけ感じた殺気はいま思い出しても身震いがする。
カウンターの奥からさっきとは別の若い男が出てきて「ついてこい」と、二人に声をかける。
「チャオ」
バルログが鋭い声で呼びかけると、それだけでチャオは状況を理解したらしく顔つきが変わった。
「どうする? もどって別の手を探すか……」
こちらに歩み寄りながら静かに戦闘体勢に移行するチャオに小声で話しかける。
「まさか。正面突破よ」
チャオはどこか楽しそうに不敵な笑いを浮かべていた。




