87 おまたせ!
夜の森の庭園で、ユキとリズは二人の魔族と向かい合っていた。
隠し穴のある石畳まではおよそ二十メートル、魔族たちの目の前だ。
「まずいわね」
魔族の女が剣を抜いたのを見てリズも両手にクナイを持って構える。
「投降……できますかね」
「城の兵士ならまだよかったんだけど、正体不明すぎるでしょ。向こうは完全に殺る気よ」
ユキはいくつかの魔術回路を起動して魔法を発動待機状態にしておく。前唱と呼ばれるテクニックだ。
女はゆっくりと歩き出すと剣を高く掲げた。その周囲に庭園の照明を映してキラキラ光るものが発生する。
それは無数の小さな水の雫だった。それらが集まり剣の周りを水の塊が渦を巻きはじめる。
「普通に魔技を使ってくるわね。さすが魔族……」
魔族は魔力の扱いに長けており、直接的に魔素を操って魔法のような効果を作り出す。これらは魔術と呼ばれ、術式を組み上げて発動させる魔法とは正式には区別されている。魔術と戦技を組み合わせた技は魔技と呼ばれ、〈システム〉のクラスでは上級職でなければ扱うことはできない。
なかでも戦士系の上級職でAランク冒険者がようやく手が届く〈ロード〉のクラスは魔技を得意とするが、このロードをもってしてようやく魔族と同等のポテンシャルを持つとされている。
その魔族二人を同時に相手にするのはあまりにも分が悪い。
どうにか逃げ出す算段はないかとユキが思考を巡らせていると、リズが構えを解いて女に話しかけた。
「ねえ、きれいなお姉さん。ボク、お姉さんとは戦いたくないんだけど見逃してくれないかな」
「え?」
女は驚いた顔で足を止める。
「き、きれ……い……?」
「お姉さんとは、こんな場所じゃなくてもっと別のところで逢いたいな」
「ちょ……ちょっと、なに言ってるのよ! そんなこと、できるわけ………ないでしょ……」
女は頬を赤く染めて、明らかに動揺した様子を見せていた。
「ボクはリズ。お姉さんの名前を教えてくれる?」
手応えありと見たリズは穏やかな口調で攻勢をかける。
「わ、わたしは………エルギナーデ……」
「エルギナーデ………優しそうな名前だね」
リズが輝くような笑顔を見せると、エルギナーデは面食らったように口をぱくぱくさせてリズから目を逸らせた。いまにも振り下ろさんと高く掲げていた剣はいつの間にかずいぶんと低い位置に下がってしまっている。
「リズさん………」
じと目でこの行いを見ていたユキは、リズが女だとバレはしないかと気が気ではない。もし真実が露見したときのエルギナーデの怒りを考えると、それは恐ろしいことになるに違いない。
「ウゴ………?」
「! わ、わかってるわよ、ゴルデア!」
巨躯の魔族、ゴルデアがうめき声のようなものを発するとエルギナーデは我にかえったように叫んだ。
「悪いけど、こっちにも事情があんのよ! 烈渦槍瀑流!」
エルギナーデが再び剣を掲げて勢いよく振り下ろすと、水量を増した渦がまっすぐ二人に向かって迸る。
リズは素早くしゃがみこみ地面に片手をついていた。
「土遁、金剛障壁!」
目の前の地面が盛り上がり、石畳を吸収しながら岩の壁が勢いよく飛び出すとエルギナーデの水流を弾き返す。
「に、人間のくせに魔術を!? やだ、かっこいい………」
エルギナーデはなぜかうっとりした表情で剣を振り下ろした姿勢のまま立ち尽くしている。
「ウゴ!」
ゴルデアが拳を振り上げながら岩の壁に向かって走り出す。その拳に集中した闘気が蜃気楼のように空気を歪ませた。
「あいつヤバイよ! ユキ、止められる!?」
リズはバックステップで戻るとユキを守るようにその前で身構えた。
「ウォール!」
ユキは前唱分と合わせて同時に三つのウォールを発動させた。以前より改良されたウォールは形状に自由度を持たせ強度も増している。三枚のウォールを組み合わせた三角形の不可視の柱が二人の前に出現した。
「ウガア!」
ゴルデアが金剛障壁に拳を叩きつけると岩の壁は粉々に爆散する。
無数の岩の破片がショットガンのように三角形の柱を叩き、凄まじい音をたてた。
「三枚のウォールが……消滅しました!」
その威力にユキが青ざめる。三角形の頂点を相手に向けて攻撃を受け流すように角度をつけていたのだが、それでも一瞬しかもたなかった。
「無傷で済んだんだから、上出来よ!」
頭ぐらいの岩がいくつも飛んできたのを見た瞬間にリズは致命傷を覚悟したのだが、それでもユキのウォールはすべてを防ぎきった。以前の強度なら貫通していたはずだ。
「私が足止めしておくから、ユキは逃げなさい。城の兵士に保護してもらうのもアリよ」
「! だめです! わたしだけ逃げのびたって、なにもできませんよ! それならリズさんのほうが………」
「あんたじゃ足止めにならないでしょ。おねえさんの言うことを聞きなさい。私だってやられるつもりはないから、後でちゃんと逃げるわよ」
「う………わかりました」
それが二人が生き残る確率がもっとも高い作戦だということはユキにも理解できた。ユキがいなければリズはとっくに逃げ出している。現状で自分が足手まといになっていることを痛感せずにいられない。
「FFFを使えば崖の上から城下町まで一気に下りられると思います。森の端でしばらく待ってますから!」
「わかった! さあ、ここは任せて早く行きなさい!」
「はい!」
リズはゴルデアにクナイを投げつけるが、ゴルデアの全身を覆う角質が乾いた音をたててクナイを弾き返す。
ゴルデアはリズの攻撃を防御しようともせずに前進を開始した。
ユキが魔族の動きを見ながら後ろに下がり、一気に駆け出そうとしたとき、いきなり頭の中で声が響いた。
『ユキ!』
「あ…………」
ユキは棒立ちになって城の方に顔を向ける。
ユキはそれを声と認識したが、正しくはユキを探し求める感情の塊のようなものだった。召喚士と喚びだした者との精神的なネットワーク。いままで意識もしていなかった繋がりがはっきりとわかる。
「リズさん………」
「なにしてんの、早く行きなさい!」
「もう……だいじょうぶです。すぐそこまで、来ています」
「え……なにが?」
迫ってくるゴルデアが石畳の一つを踏んだ瞬間にその目前の石畳が跳ね上がり、太い丸太が飛び出してゴルデアの腹を直撃した。
「ウゴ!?」
ゴルデアは歩みを止めて両手で丸太を押さえ込む。
「おっと、けっこう丈夫だね。じゃあ──」
黒い影が森から飛び出して庭園の中に駆け込んできたかと思うと一気に跳躍する。
「これならどうだ!」
人影が音をたててリズとゴルデアの間に着地すると、今度は太い鉄柱が地面から飛び出してゴルデアを吹き飛ばした。
「え………この子、たしか………」
リズはあっけにとられて目を丸くしている。この後ろ姿と光景には見覚えがあった。
「おまたせ!」
少年はいつもの眠たそうな顔で振り向いた。




