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86 それは、愛よ


 星空には薄墨(うすずみ)色の雲が流れ、水底に沈んだような月は滲むように光を放っていた。

 夜の闇が帳を下ろしても町は華やかに賑わい、溢れる光がここは人間の領域なのだと主張している。人間の力で切り取った世界を誇示するように高台にそびえるグレイフィールド城は絢爛な光でライトアップされ、旅人たちは夢の中のような光景を陶酔したような目で見上げていた。




「美しい城だな。人間などにはもったいない。そうは思わぬか、ゼノギア」


 艦橋(ブリッジ)の大型スクリーンに映ったグレイフィールド城を見上げて女が呟いた。


「はっ! キルラメディナ様にこそふさわしい城であると思います」


 すぐ後ろに控えた藍色の軍服の魔族の男、ゼノギアが答える。


「ふふ、いずれはこれを私の居城とするのもよいな。まずは、計画を進めるのが先決だが………準備はどうなっている?」


 スクリーンの映像が各都市のものに次々と切り替わっていく。その時間帯は夜のものもあれば明るい昼間のもの、夕暮れと思しきものなど様々だ。

 

「準備は万端、主要都市の天候をシュミレートした結果、三日後が最適かと存じます」

「例の者たちはまだ捕らえていないと聞いているが? ミハエルも、存外手ぬるいな」

「些細な事でございます。間に合わねば、この町の人間どもを皆殺しにすればよいだけのこと」

「まあ、たしかにその方が手っ取り早いかもしれんな。いずれこの国も傘下に納めれば、ミハエルとの契約も、有って無きも同然」

「船倉の魔獣を放っておけば、この町の人間では手も足も出ないでしょう。どうなろうと計画の支障にはなりますまい」

「うむ、人間どものことは貴様に任せる。私はそれまで退屈な日々を送るとしよう」


 そう言うとキルラメディナは自動扉を抜けてブリッジを後にするのだった。



◇◆◇◆



 グレイフィールド城の中庭に面した森の端で、リズとユキは城の尖塔を見上げていた。


「お、出てきたわね、脳筋コンビ」


 リズの視線の先、尖塔の三階部分のベランダに見覚えのある人影が姿を現した。

 なぜか上半身が裸のカイゼルとタッカーである。


「ほんと仲いいわね、あいつら。どうやら、ふたりでくんずほぐれつの肉弾戦を終えたところみたいね」

「なんだかいかがわしい言い回しはやめてください。まあ、血が出るまで殴りあった直後に普通のテンションで会話できる感覚はわたしにはわからないですけど」

「それは、愛よ」


 リズはまじめな顔できっぱりと断言する。


「それよりも、さっそくやってくれる? ちょっと遠いけど、だいじょうぶかしら?」

「はい。あれからレベルも上がってますから、効果範囲内ですよ」


 ユキは答えると目視で魔法の効果範囲を設定し、無詠唱で発動させる。


「あー、あー、こちらユキです。タッカーさん、カイゼルさん、聞こえますか?」


 ユキが発声するとタッカーとカイゼルは驚いたように周囲を見回し、お互い顔を見合わせると両手で大きく丸の字を作った。


「目立つでしょ、あの馬鹿……」


 リズが呆れたように呟く。

 ユキの〈腹話術〉(ベントリロキズム)の魔法は習熟度が高く、実際に発声しなくてもイメージした音を効果範囲に発生させるレベルに達しているが、精神の揺らぎでノイズが混じることがあるのでやはり実際に発声してイメージを固めるほうが確実なのだ。


「リズさんと一緒に近くの森に来ています。そちらの状況が知りたいので、エディさんを呼んでもらえますか?」


 ユキが言うと、タッカーが大きな身振りでベランダの隣の小窓を指し示した。そして、なぜかここにまで届く声で「エディー!」と叫ぶ声が聞こえる。


〈魔法の矢〉(マジックミサイル)で黙らせなさい。だいじょうぶ、あいつらなら死なないから」

「さすがにそれは………。あの………ちょっと静かにしてもらえますか? こちらは隠密活動中なので………」


 腰に手をあてて親指を立てるカイゼルに苦笑いを浮かべながら、ユキは小窓の周囲にまで効果範囲を広げた。


「エディさん、聞こえますか? こちらユキとリズです」


 すると、明かりの漏れる小窓に人影が映った。


「エディさん、いま森の中にいます。一瞬だけ光を灯すので──」

「それには及びません。魔力の流れを探知しました」


 すぐ耳もとでエディの声がした。わずかな時間で魔力を辿り、この位置を割り出したようだ。


 〈腹話術〉は第一離界紋章の呪文書に載っているいわゆるレベル1魔法で、なりたての魔法使いでも習得が可能だ。しかし戦闘での即戦力に重きを置く冒険者の傾向に加え、習得してもある程度の習熟がなければ使い物にならないという理由でこの魔法を習得する者は少ない。呪文書との契約により習得できる魔法の数は契約者のレベルにより制限されており、貴重な枠を費やす魔法の習得にはどんな魔法使いでも慎重に吟味をする。そのため〈腹話術〉は一般にはその存在すらあまり知られていないマイナーな魔法である。

 だがユキが様々な場面でこの魔法を活用するのを見たエディはその有用性を認めて自らも習得し、すでに無詠唱で使えるまでに習熟度を上げていた。


「ふぁ!? さすがですね、エディさん」


 ユキではここまでピンポイントで術の発生源を特定するにはかなりの時間を要する。


「いえ、それよりもあなたが無事でなによりです。あのときは見捨てるような形になってしまい、申し訳ありません」

「いえいえ、たまたまそういう役回りになっただけですし、おかげで穏便に話ができましたので、大正解ですよ。そっちの状況はどうなってますか?」

「そうですね……丁重に扱われていますので、魔法の研究がはかどっています。隣の部屋が騒がしくてキレそうになる以外は、(おおむ)ね有意義な時間を過ごしていますよ」

「こっちでは処刑されるんじゃないかとか噂になってまして、ギルドと伯爵家が険悪な空気になってるようなんですけど」

「タッカーが言うにはミハエルさんは優しい方なので心配は要らないそうです。それでも先が見えないので、あの二人と同室のジュノーのストレスが心配ですね」

「そちらでも拘束されている理由は分からないってことですね。わたしとリズさんは無理やり連れ去られそうになって逃げ出したんですが……」

「ふむ………力押しが難しいとなると、そのうち向こうから何らかの交渉を持ちかけてくるかもしれませんね」

「交渉ですか?」

「ええ。単に捕まえて処刑するのではなく私たちを拘束しておきたい理由があるのなら、十分に考えられます」

「なるほどね。逃げ回って時間を稼げば、こっちに有利な条件が引き出せるってことね」


 会話を聞いていたリズが呟く。


「あ、リズさんの言葉もそのまま向こうに送っちゃいますね」

「お? どんどん便利になってくわね」


「ああ、リズですね。きれいに聞こえてますよ。そうですね、当面は捕まらないように、でも刃傷沙汰(にんじょうざた)になりそうなら素直に投降することをお勧めします」

「兵士に怪我でもさせたら、後々面倒そうだしね。じゃあ当面は今までどおり、身を隠しながら情報を集めていくわ」

「苦労をかけますね。よろしくお願いします」

「まかせといて! あんたらがいないと話にならないからね。んじゃ、お互いの無事も確認できたし今日のところは引き上げるわ」

「わかりました。気をつけてお帰りください」

「わたしも微力ながらがんばります。では、お元気で」


 ユキは魔法を停止するともう一度ベランダに目を向けた。

 大きく手を降るタッカーにジュノーが蹴りを入れているところだ。

 みんなの無事が確認できてひとまずは安心することができた。


「じゃあ、帰りますか。敵地のど真ん中に長居は無用よ」


 リズは庭園に続く小道へと向かいかけてぴたりと足を止めた。


「どうかしましたか、リズさん?」

「しっ! なにか………近づいてくる」


 森の奥に目を向けて気配を探っていたリズは、いきなり小道とは別の方向に走り出した。


「こっちよ、ユキ!」

「わわっ!?」


 ユキも慌ててリズの後を追って走り出す。暗い森の中をリズはかなりのスピードで駆けていくが、その背中が常に目の前にあるということはユキがギリギリついてこれるように加減をしてくれているのだろう。ユキも一人なら木々が立ち込めるなかをこれほどの速さで走ることはできないが、目の前のリズの動きをトレースすることでなんとかついていくことができる。


「追っ手ですか!?」

「ええ、こちらの位置まではまだ分かってないようだけど………凄く嫌な感じ。道を使うのはまずいわね。森の中を通って抜け穴を目指すわよ!」


 しばらく走ると魔法の光に照らされた庭園へとたどり着いた。庭園に飛び出したリズはまっすぐ抜け穴へ向かうと思いきや、そこで足を止める。


「リズさん?」


 リズは低い姿勢で正面の木立ちをにらんだまま、手でユキの動きを制した。


 やがて木々の間にゆらりと人影が現れた。


「あらあら、ずいぶん逃げ足が早いのね。もしかして、例の逃亡者かしら? だったら、殺しちゃっても問題ないわね」


 森の中から現れたのは藍色の軍服に身を包んだ若い女だった。腰に細身の剣を提げ、ウェーブのかかった金髪からはねじれた二本の角が天に向かって伸びている。


「魔族!? どうしてここに………」


 森の中からもう一人、身長二メートルはある巨躯が姿を現す。こちらも藍色の軍服を着ているが、その皮膚の表面は樹皮のような固そうな角質で被われていて性別どころか人であるかどうかもよくわからない。その額からは一本の太い角が生えている。


「じゃあ、死んでもらいましょうか」


 魔族の女は剣を抜き放ち、冷たい笑いを浮かべた。


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