84 バルログの選択
バルログは緊張した面持ちで席に着くと、青い顔で手もとのテーブルの木目を見つめていた。こうしていてもチャオの鋭い視線が突き刺さるのを感じて顔を上げることができない。チャオの機嫌はいたって悪く、目が合うといきなり飛びかかってくるのではと心配になる。
コミュ初心者であるバルログにこの場の空気を和ますような技術はない。ゆえに、何がいけなかったのだろうかと自問しながら嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだ。
だがレイクはイスを引き摺りながらやってきて席に着くと、場の空気など知らぬ気にへらへらした口調でしゃべりはじめる。
「おっと、そういや自己紹介がまだだったか。一年前に名乗ったっけ? まあいい、俺はレイク・ブレンダー。ギルドの調査官で監察官だ。こっちが調査官見習いのチャオ・ハーミー」
「…よろしく」
チャオがバルログを睨みつけたまま、ドスの利いた低い声で挨拶をする。
「バ、バルログ……です。……よ、よろしく……」
バルログは目をそらしながら挨拶を返した。
「バーくんはAランクパーティーのアサシンで、現在二十歳の好青年だ」
レイクがてきとうな紹介を追加する。
「は? 二十歳!? 嘘でしょ、絶対わたしと同じくらいだと思ってたのに! きもっ!」
チャオがバルログの年齢に反応する。バルログの顔は目が細いという以外にこれといった特徴がなく、年齢不詳である。加えて小柄なせいでまだ体のできていない一五、六歳だとチャオは見当をつけていたのだ。
「きも………」
バルログが肩を落としてズーンと落ち込む。以前は気にしなかったことだが最近は他人の罵りが心に刺さる。
「あ………そ、そんなに落ち込むことないでしょ! いまのは勢いというか、その………わ、悪かったわよ」
さすがに悪いと思ったらしく、チャオはばつが悪そうに謝罪をする。
「だ、だいじょうぶ……です」
「悪いな、バーくん。うちの子はちょっと血の気が多くてな。いきなり喧嘩を売られたり暴言吐かれたり散々だが、こう見えて多少はいいところもあるんだぜ。たとえば、寝るときにイビキをかかないとかな」
「レイク! あんた、フォローする気ないでしょ! レディに対して散々な言い様ね!」
「ああ、こりゃすまない。俺の中では考えなしに野郎三人をぶちのめしたり先輩にイスを投げつける子供はレディの範疇に入ってなかった。これからは認識をあらためるよ」
レイクが芝居がかった仕草で肩をすくめてみせるとチャオが勢いよく立ち上がる。同時にレイクが素早くテーブルの下に身を屈めると、頭のあった場所をものすごいスピードで木製のコップが通りすぎた。
コップは液体を撒き散らしながら隣のテーブルを直撃する。テーブルを囲んでいた男たちは驚いてこちらに顔を向けるが、血相を変えたチャオを目にすると何も言わずに視線を戻し、青い顔で「関わるな」などと囁き合っている。
「あんた、喧嘩売ってんの? そうよね? 買ってやるわよ」
「まてまて、まずはその沸点の低さをどうにかしろ。俺は上司で、おまえはもう後がないんだぞー」
レイクが両手を上げながら顔の上半分だけをテーブルから覗かせて警告すると、チャオはレイクを睨みながら不本意そうに皿を握って振り上げた手をゆっくりと下ろした。
バルログはオロオロとその様子を見守る。チャオの怒りの矛先はレイクに向かったようだがあまり状況がよくなったようには見えない。
「依頼の話を進めたいんだが、いいか?」
「さっさと始めなさいよ!」
チャオが腕を組んでどかりとイスに座り込むと、レイクもイスに座り直しバルログに顔を向けた。どうにもこの男は火に油を注いだだけな気がする。
「そうだな……まずは、ここまで来たってことは、指命依頼を受ける意思があると受け取っていいんだな?」
「……俺にできる、ことなら………」
「それなら問題ないだろう。依頼は俺たちの調査への協力だが、当面はある建物への潜入調査をやってもらう」
情報収集なら断ろうかとも考えていたが、潜入調査ならなんとかなりそうだとバルログは思った。
「ど…どうして、……俺に……?」
これだけがどうしても不思議だった。調査官が現地の冒険者に協力を依頼するのは珍しいことではないが、たいていの仕事内容は極秘扱いなので信用の置ける者を選ぶはずだ。バルログのことも調査済みのようだが、レイクとは一年前に一度顔を合わせただけでバルログは問題を起こしたパーティーの一員であり、それ以前のパーティーの素行も最悪に近い。調査官が協力者を選ぶ際には真っ先に切り捨てられる存在ではないだろうか。
「それに関してはいくつか理由があるんだが、たいていはこっちの都合だな。まずは、バーくんの腕を買った。訓練場での動きを見る限りではAランクレベルだとギルドの職員も太鼓判を押してたよ」
「はあ………」
それに関してはバルログもそれなりの自信がある。というか、自分にはそれしかない。仲間が飲み歩いている間も一人離れて暇さえあれば技の鍛練に心血を注いでいたのだ。一年前のポイント消失が響いてまだBランクではあるが、他のAランクパーティーのアサシンやレンジャーと一対一で戦ってもひけは取らないと思っている。
「それにバーくんはスラム出身だろ? 調査してもらう建物はスラム地区にあるんだ。俺たちも何度か行ったんだが、妨害もあってなかなか難しくてな」
「妨害?」
「俺たちの調査の内容は、もうわかってるだろうがタッカーが拘束されている件だ。拘束理由の調査もあるが、ギルドとしては伯爵家と交渉するのに有利な材料が欲しい。ようするに伯爵家の弱みだな。で、ちょっと調べると色々とキナ臭いことが出てきたんだが、向こうも俺たちが嗅ぎ回っているのに気づいたらしくてな。少しばかり動きづらくなってきた」
「タッカーの……」
リカルドは勘づいていたようだが、情報に疎いバルログは実のところ町を包む緊張感がよくわかっていなかった。だから調査官が町に来た理由もまったく見当がついていなかったのだ。しかしタッカーの件で協力するのなら、ユキを助けることにもなるのではとバルログは思う。
生きる道を照らしてくれたユキには感謝している。リカルドの手前、あれから話すことはなかったが、顔を合わすとユキは〈腹話術〉の魔法で自分だけに聞こえるように耳もとで挨拶をしてくれたり近況を報告したりしてくれているのだ。
些細なことかもしれないが、慣れないコミュニケーションに疲れて心が折れそうなときでもユキの声を聞くとまたがんばろうという活力が湧いてくる。ユキにはいつも支えられているような気がしていた。
「ユキの………た、助けに、なるなら………」
「お、やっぱりそうくるか。さっき、減刑の嘆願書を書いたって言ったろ。あれはユキちゃんに頼まれたんだ。あの件で被害者であるはずのユキちゃんがバーくんを信用してるってのも理由の一つだな」
「ユキが………」
「そのユキちゃんだが、今日ギルドを出たすぐあとに襲われたのは知ってるか?」
「!」
バルログは思わず立ち上がっていた。そこかしこで話題になっていた事だが、バルログには初耳だったのだ。
「その様子じゃ知らなかったか。まあ、落ち着け。顔を隠した誰かの手引きで上手く逃げ延びたらしい。たぶん行方をくらませているリズちゃんだろう。所属のわからない兵士たちがあちこち探し回ってるから、まだ捕まっちゃいない」
バルログは胸を撫で下ろすとイスに腰を下ろした。
「ところで、バーくんたちは最近、悪いことはしてねえのか?」
レイクは唐突に話題を変える。
「え? ……最近は……健全、です」
バルログは考えながら答える。仮に後ろめたいことがあったとしてもギルドの調査官に正直に話すはずがないのだが、これは嘘ではない。前の件が大事になったのでリカルドが自粛しているのもあるが、本業の冒険者稼業が好調で十分な稼ぎがある。昨年末にはBランクダンジョンを制覇してクエストでは二体のレッサードラゴンを討伐、年が明けてからはAランクダンジョンへのアタックを繰り返しこないだはついに中層域まで到達し生還している。そこで入手した魔道具を売れば、しばらく遊んで暮らせるほどの稼ぎになる。パーティーランクも昇格し、わざわざ悪事に手を染める必要がないのだ。
「新しく入ったメンバーがいるだろ。リムデヴォードと言ったか。あれは……どんなヤツだ?」
「………強い………ですね」
レイクが聞きたいのはそんなことではないとわかっているが、真っ先に思い浮かぶのはそれだ。それに、調査官とはいえパーティー内の情報をどこまで話していいのかとも思う。
レイクは腕を組んで少し考えてから、また口を開いた。
「実はバーくんを選んだもう一つの理由なんだが、リムデヴォードの情報が欲しい。もしバーくんがヤツとグルなら、俺たちの身が危うくなる。こっちも時間が無くて焦っててね。一か八かの選択なんだよ」
レイクは深刻な顔でそう言うと、すぐに相好を崩してテーブルの横を通るウェイターにエールと枝豆を注文した。
「それは……だいじょうぶです」
こればかりは証明のしようもなく、信用してもらうしかない。たが、レイクはもう腹を決めているらしくバルログの言葉に黙ってうなづいた。
「スラム地区はここ最近、急激に治安が悪くなっているようなんだが、特に目立つのが人拐いや失踪だ。で、その拐われた人たちがスラム地区のある建物に収容されているかもしれないってとこまでは突きとめたんだ」
「とっても苦労してね」
チャオが不機嫌そうに相づちを打つ。
「その建物の近辺で度々目撃されているのがリムデヴォードだ」
「リムデヴォードが………」
リムデヴォードが普段なにをしているのかはパーティーの人間も知らない。
「ヤツはグレイフィールド城の中もうろついてるらしいぜ。つまり、人拐いと伯爵家が関係してる可能性がある。俺も人を雇って何度か探りを入れてるが、何日かすると連絡がとれなくなっちまう。実は、俺たちも既にどうなるかわからない身の上なんだよな」
「リ………リムデ、ヴォードに、関しては……よく……わからないです。プライベートでは誰とも、交流は……ないから。リカルドも………知らなくていいこと…を、知るよりは……放って、おけと………」
「リカルドか………」
レイクはその顔を思い浮かべるように眉間にしわを寄せる。
「リカルドは、何かを知ってるんじゃないのか?」
「それは………わから、ない」
十分にあり得る話だ。そう考えるとリムデヴォードを探ろうとしたブラッドたちに釘を刺したのにも納得がいくし、最悪リカルドとリムデヴォードがグルだという可能性もある。
「場合によれば、リカルドを敵に回すことになるわけだ。それでも、依頼を受けるか?」
「………受けます」
バルログは強くうなづいた。自分はもうリカルドの影でいる気はない。リカルドに恭順してユキの助けになるかもしれない道から目をそらすわけにはいかなかった。それが自分に恥じない選択だと確信している。
「じゃあ、さっそくだが今から動けるか?」
バルログが契約書へのサインを済ませるとレイクが訊ねた。
「はい、…だいじょうぶ、です。部屋に、装備を取りに戻って、すぐに……出掛けます」
「あ、わたしも同行するから。こっちはいつでも出れるわよ」
「………え!?」
バルログが驚いてチャオに顔を向ける。
「な、なによ、その反応は! 足手まといだとでも言いたいわけ!?」
「い……いや、あそこは、女の子には……ちょっと………」
「だいじょうぶよ! もう何回も足を運んでるし、わたしより強いやつには会わなかったわ」
「…………」
正直、不安要素しかない。スラム地区に派手な服を着た女の子というだけでトラブルのもとであり、チャオの性格的にも隠密活動ができるのか大いに疑問だ。
「あの………」
「はは……ま、まあ、調査官の目で確認しないとなにか見つけても証拠としては弱くなっちまうからな。俺は、これからべつに調べなきゃならないことがあるんだ。んじゃ、チャオのサポート、しっかり頼むぜ」
レイクは目をそらしながら曖昧な笑いを浮かべている。
バルログはチャオがじっと睨んでいるのに気づいて、漏らしかけたため息をぐっと飲み込んだ。
◇◆◇◆◇
バルログは集合住宅の狭い階段を上がり、自分の部屋へと向かった。
ついてきたチャオは集合住宅の前に待たせてある。
部屋の鍵を開けると扉を薄く開いて体を滑りこませる。
部屋は質素なワンルームで、とくに貴重品が置いてあるわけでもないが、念のためにブービートラップを仕掛けてあった。
扉の上部にロープを取り付け、ロープの端は壁に打ち込んだ崖登り用のハーケンを経由して入り口に向けて固定した弩の引き金に結ばれている。一定以上に扉を開けると侵入者に向けて弩の矢が発射される仕掛けだ。致命傷にならないように足もとを狙うようにはしてある。
いつものように部屋に入ったバルログは首筋にぞわりとした寒気を感じ、床を蹴った。ベッドと小さなテーブルの間に頭から飛び込むと、一回転して立ち上がりながら後ろを確認する。
扉の横に、腕を組んで壁にもたれながら、じっとバルログを見ている人影があった。
人影から視線を外さないように低い姿勢でテーブルの影に移動しながら、バルログは声を漏らしていた。
「……リカ……ルド!」
人影は組んでいた腕をほどきながらゆっくりと壁から離れる。
「よお………。ちょっと、おまえに確認したいことがあってな」
リカルドは薄笑いを浮かべながらバルログを見下ろしていた。




