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83 バルログ、試される


 通りを行くレイクの後ろをバルログは黙って歩いていた。指命依頼を受けるかはまだ決めていないが、場所を変えて話がしたいというレイクにギルド酒場から連れ出されたのだ。

 リカルドは、「好きにしろ」と今まで通りバルログの個人行動には関わる気はないらしく、むしろレイクを早く厄介払いしたいのを隠そうともしない態度だった。


 都会の繁華街は日が沈んでも街灯の魔法の光で明るく照らされ人通りも多い。すれ違う人々は一様にバルログを見るとぎょっとした顔を向ける。以前のバルログは極端な前傾姿勢で暗がりだと魔物に間違われる有り様だったが、今は人目を気にして他の人と同じように直立して歩いているつもりだ。それでもこれだけ奇異の目を向けられるのは、やはり自分の外観に問題があるのだろうかと思ってしまう。

 最近はこれまで見ることもなかった鏡で自分の顔をまじまじと観察してみたりもするのだが、糸目という以外はごく普通の顔だと思う。なぜこれほど注目を浴びるのか、バルログには皆目見当がつかなかった。


 通行人の視線に気づいたレイクが立ち止まり、うんざりした様子で振り返る。とたんに、「うおっ!?」と叫んで近づいてくるバルログから飛び退った。

 以前なら人目など気にしなかったのだが、こういうのは地味に傷つく。


「……なぜ、驚くんだ?」

「そ、そりゃあ、おまえ、不自然すぎるだろ」

「……不自然? ………なにが、だ………ですか?」


 バルログは不思議そうに自分の体を見下ろした。これ以上どうすればいいのか、自分ではもう分からない。


「とにかく、その歩き方はやめろ。足音がしないのはいいが、体が揺れないのは気持ち悪いんだよ!」

「……揺れない?」


 バルログは首をかしげて聞き返した。試しにゆっくりと歩いてみる。一歩目、つま先はほとんど地面に接地したような摺り足で、流れるように二歩目を踏み出す。さらに体の向きを変えずに左右、後ろへと移動してみる。


「それ! なんで足が前に出てるのに後ろに動くんだ!? それと上半身、安定しすぎだろ! まわりを見てみろよ、みんな歩くときに頭が上下してるだろ」

「頭?」

 

 前後左右、バルログがどう動こうと安定した上半身は氷上を滑るように移動していき、左右や後ろに動くときも足の動きは前に進むときとほとんど変わらない。その動きはまさしくマイケル・ジャクソンのムーンウォークである。

バルログは行き交う人々に目を向けた。あらためて確認するまでもなくみんな大なり小なり体を揺らしながら歩いている。ごく普通の光景だ。


「そんな………ことか?」


 今まで気にもとめなかった些細なことだ。本当にそんなことで無駄に注目を浴びていたのか? あの前傾姿勢は効率を追求したバルログが自然に行き着いたもので、突然の襲撃に逢っても全方位にすばやく動くことができ二歩目にはトップスピードでの活動を可能とする。直立歩行を始めた現在でもそのコンセプトは保っているが、姿勢の変化で効率が落ちてしまったことへの心許なさを常に感じていた。

 その独特の歩方(ほほう)が周囲から浮いてしまう原因だと言うなら、緊急時意外は封印しておくべきだろう。


「なるほど………勉強に、なる」


 バルログは感心したように何度もうなづいた。もとから異様だったバルログに慣れているせいか、リカルドたちはこういう指摘はしてくれない。 

 さっそく歩きながら頭を上下に揺らしてみるが、なにか違う気がする。通行人の注目は相変わらず、なかには立ち止まって見物する者も出始めた。

 頭を上下させるタイミングの問題か?

 歩く人の動きを見ながらタイミングを合わせてみるが、端から見ればふわふわと宇宙遊泳しているようにしか見えない。やがて立ち止まった観衆から口笛を吹かれたり銅貨が投げ込まれたりし始める。


「ど、どうすれば……いい?」


 途方に暮れたバルログは拍手と歓声を浴びながらレイクに助けを求めた。

 レイクは顔に手をあてて盛大にため息をつく。


「一応、極秘調査中なんだがな……。歩くだけで目立ってどうする」

「ご、………ごめん、なさい……」


 人並みに歩くことすらできない自分に嫌気がさすよりも申し訳なさのほうが先に立った。


「膝を上げて、足を地面から離せ。階段を上がる要領だ。とにかく、ここから離れるぞ!」

「か、階段……」


 レイクは言い終わると同時に走り出す。バルログもぎこちない足どりでレイクの後を追った。




 表通りから路地に入った奥の寂れた酒場にたどり着くと、レイクが扉を開けて中に入る。バルログもスキップするような奇妙な動きで後に続いた。

 店内は店構えから想像するよりも広く、意外にも多くの客で賑わっているのだがどいつもこいつもまっとうな人間には見えない。雰囲気はギルド酒場に似ているが、素行の悪い荒くれ者を選りすぐって集めたような感じだ。そのなかにはバルログが見覚えのある男たちもいた。たしか、リカルドが違法ポーションを売り捌くときに手を組んだCランクの冒険者だ。


 その店の奥でなにか騒ぎが起きているのか、こちらに背を向けた人垣から歓声と笑い声が起こっている。


「ああ、嫌な予感がする」


 レイクは呟くと人垣をかき分けて輪の中を覗きこんだ。

 輪の中心に居たのは水色のチャイナ服を着た長い黒髪の少女だった。


「もう終わりなの? かかってきなさいよ! ほら!」


 かわいらしい顔を怒りに歪ませて仁王立ちする少女の前には三人の男がぶっ倒れている。


「わ、悪かった。降参だ、勘弁してくれ」


 座り込んだ男が片手で血まみれの顔を押さえながらもう片方の手を上げて降参の意思を見せる。野次馬が「情けねえな!」、「根性みせろ!」などと囃し立てるが、よほどひどい目にあったのか、もう戦意を失っている。


「おいおい、なんの騒ぎだ、チャオ」


 レイクが輪の中心にいるチャイナ服の少女に声をかけると、チャオと呼ばれた少女は、きっ、とレイクを睨みつけた。


「レイク! もとはと言えば、あんたがレディをこんなとこに放っていくのが悪いのよ!」


 チャオは叫びながらテーブルに備えられたイスをレイクに向かって振り上げる。


「うおっ!?」


 レイクは反射的に身をよじってかわそうとするが、チャオはいったん動きを止め、回避行動をとったレイクの背にあらためてイスを投げつけた。


「ぐはっ!」


 直撃を受けたレイクがうめき声をあげて崩れ落ちる。野次馬からはなぜか感嘆の声と拍手が起こった。


「だ、だい、じょうぶ………ですか?」


 バルログが心配そうに声をかけるとレイクはゆっくりと体を起こした。


「くっ………容赦ねえ……。あのアマ、俺を上官と思ってねえだろ」

「あら、あんたが例のアサシン? アシダカグモみたいなのを想像してたけど、思ったより普通じゃない」


 バルログに気づいたチャオが声をかけてくる。


「ふ、普通?」


 普通と言われると安心してしまう。だが、それも一瞬のことだった。


「じゃあ、勝負よ!」

「は?」


 意味がわからずにバルログは思わず聞き返す。「じゃあ」ってなに?


「ずいぶん気の抜けた顔してるから、使い物になるか見てやるって言ってんのよ! 早く構えなさい!」


 そう言って構えをとるチャオの目には怒りの炎が燃えている。もちろんバルログにはまったく身に覚えのないものだ。これは八つ当たりに違いない。

 助けを求めるように座り込んだままのレイクを見ると、レイクは神妙な顔で手を合わせて頭を下げる。


「いくわよ!」


 うむを言わさずチャオが間合いを詰める。バルログは下がろうにも人垣が邪魔をして距離をとれない。


 足もとから跳ね上がった鋭い蹴りをバルログはのけぞってかろうじてかわした。間を置かずに放たれる後ろまわし蹴りの連続攻撃を横っ飛びでかわしながらオープンスペースに転がり込む。

 立ち上がると同時に飛んできた横蹴りをくるりと体を回していなす。そこからの激しい連続攻撃をぎりぎりのタイミングでかわしていった。

 野次馬から歓声が上がり、場が盛り上がる。


 チャオの動きは速く、手数が多い。洗練された連続攻撃はそのすべてが繋がった一つの技と呼んでも差し支えないレベルだ。なによりその拳や蹴り足に乗せられているオーラは一流の剣士が鉄よりも硬い魔物の皮膚を切り裂くときに放たれるものと同等のものだった。まともに喰らえばただでは済まないだろう。

 この状況下でバルログの意識にあったのは「直立」という言葉だった。戦闘となれば例の前傾姿勢で縦横無尽に動き回るのがバルログの本来のスタイルだが、これからは人間らしい立ち居振舞いをしなければと決意している。すでにこのスタイルで多くの戦闘をこなしてはいるが、強敵を相手にすると、つい使いなれた前傾姿勢に戻ろうとしてしまう。直立姿勢は安定が悪いうえに人間の弱点である腹を常に相手に晒しているのがどうにも不安で仕方ないのだ。だが相手の動きがよく見えるという利点も感じている。チャオの動きもいまのバルログには手に取るようにわかる。


 細かい連撃の最中、チャオが溜めを作るようにすっと左手を引く。そちらに気を取られるとすでに視界の外から右の拳が飛んできている。これは左に惑わされずに視点を定めて視界を広く保っていれば見えるフェイントで、バルログは少し上体を引いてかわす。大振りの右が通り過ぎた後に隙だらけの右半身がある。吸い込まれるように手が出そうになるのを堪えると、チャオの体がいきなりコマのように回って鼻先を左の裏拳が掠めていった。続けて襲ってくる右の手刀、その竜巻のような回転のなかにバルログは無造作に踏み込むと片手でチャオの右肘を押さえながら親指をチャオの首筋に軽く押し当てた。


「あれ?」


 チャオは何が起きたのか理解できずに不思議そうに目の前にあるバルログの顔を見つめる。あと出しのように勢いで繰り出そうとした膝蹴りもバルログの膝に太ももを押さえられ封じられていた。


 バルログは一歩下がると、茫然と立ち尽くすチャオと床に座ったままねじれた煙草に火を点けるレイクに不安そうな目を向けた。


「こ、これで、いい……ですか?」

「はい、バーくんの勝ち」

「え………うそ……」


 チャオが信じられないといった顔で呟く。

 あっけない決着にパラパラと微妙な拍手が起こり、野次馬たちがざわめく。


「あの女からあっさり一本とりやがったな。あのガキ、何者だ?」

「わからねえか? あれぁ、リカルドの飼ってる人喰い蜘蛛だぜ」

「あの全身黒づくめの不気味なヤツか! 魔物だって聞いてたが、人間じゃねえかよ」


 野次馬の話す声を聞きながら、あらためて「人間と思われてなかったんだなあ」と、バルログはしみじみ思う。


 放心していたチャオは我に返るとバルログを一睨みしてからくるりと背を向けてテーブルに戻り、荒っぽい仕草で席についた。


「なにしてんのよ、あんたも早く座りなさい!」

「は……はい!」


 不機嫌そうな声で言われてバルログも慌てて席につく。 


「レイクも! いつまでそこに座ってるのよ」

「はいはい。誰のせいだよ、ったく……」


 レイクはぶつくさ文句を言いながら立ち上がり、転がったイスを片手に席に戻る。

 丸テーブルには三人が等間隔に距離をとりながら席につくことになった。



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