82 変わりゆく者
ギルド酒場のテーブルを囲んでリカルドのパーティーは一同に会していた。
メンバーはリカルドにブラッド、マリー、バルログ、そして──
「では、あと二、三日休みをとってよさげなクエストの依頼を探すということでよろしいですね」
厳かな低い声で確認をするのは一年前に加入したアークプリーストのリムデヴォードだった。
「ああ、こないだのダンジョンは実入りが良かった分ハードだったしな。しばらくはクエストも緩めでいいだろ」
「わかりました。では、私はこれで失礼します。私がいなくても問題なさそうであれば、あなたたちだけで依頼をこなしてくれて構いません。用があるときはフロントに言伝てをしておいてください」
そう言うとリムデヴォードは席を立つ。身長が高いので痩せて見えるが、実際には腕も太くよく鍛えられた引き締まった体つきだ。面長で彫りの深い顔はいつも眉間にしわを寄せてしかめつらしい表情を刻んでいた。
リムデヴォードは一同に礼をするとカウンターで代金を払い静かに出口へ向かう。
「あい変わらず無愛想な野郎だな。宿に行ってもまず捕まらねえし、普段なにやってんだ、あいつ?」
リムデヴォードの後ろ姿を見送りながらリカルドがぼやく。
「僧侶はオフの日でも教会に詰めて奉仕するらしいし、いろいろあんじゃない? きっちり仕事してくれるなら文句はないわよ」
一年前、三週間の活動停止処分を受けたリカルドのパーティーにとってリムデヴォードは救世主だった。同じギルドの仲間を食い物にしたとあってリカルドたちの心象は最悪で、もはやガレオンで活動を続けるのは不可能かと思われたのだが、そのリカルドのパーティーの欠員募集に応じたのが流れ者のリムデヴォードだった。
戦神を信仰するというリムデヴォードは非常に優秀で、当時Bランクではあったが間違いなくAランク以上の強さがあった。強力なメンバーを加えたリカルドのパーティーは快進撃を始め、ついにAランクパーティーとなるまでに至ったのだ。
「…………」
酒場から出ていくリムデヴォードをバルログはぼんやりと眺めていた。以前なら自分も用の済んだこのタイミングで席を立っていたはずだ。他人とのコミュニケーションに意味を見いだすことができず、ただ無意味な時間が流れていくばかりだと思っていたからだ。正直、今でもその認識が消えてなくなったわけではなくリムデヴォードの気持ちもわかる。それでも今こうしてこの場に残るようになったのは、一年前の事件がきっかけだった。
物心がついたころにはスラムで一人だったバルログは、地べたを這いずるように生きてきた。将来になんの希望もなく、だが死ぬのは嫌なので、ただいつか死ぬ時まで時間稼ぎのように今を生きるというだけであった。意味もなく産まれ、生き、死んでいく。そんな自分にはなんの価値もなく虫けらと同じだと考えていた。
だが、リカルドの企みに嵌められたユキを救おうとしたときにかけられた言葉がバルログには衝撃的だった。
その行動はバルログにはふとした気の迷いに過ぎなかったのだが、ユキはそれを「自分に恥じない選択」と言ったのだ。その意味はそのときよりも時間が経つほどに深く実感する。バルログにとってはリカルドに逆らいユキを逃がすことは何の得もなくデメリットでしかなかったはずだ。しかしその選択に今でも後悔はなく、むしろ流されるままに悪事に手を染めてきた人生のなかで唯一、泥水を啜るような記憶ではなく僅かな誇らしさすら感じる思い出になっていたのだ。
そして「自分の崇高さを知るのは自分一人だけでいい」という言葉は、自分一人の世界で生きていたバルログにとって、ストンと腑に落ちるものであり、暗闇に突如として光明が射したような気分だった。自分はユキの言うような崇高な人間ではないが、それでもそういった『選択』を積み重ねていけば、いつか魔物にでも敗れて死ぬとき、自分なりに満足した死を迎えることができるのではないだろうか。それは、無意味に生きて死んでいくという、ある種の絶望のなかにいたバルログにとって、心が震えるような気づきであった。
今までは何の意味もなかった『今、生きている』という現実に対する重みと感謝の念が溢れてくる。生きている限り、いつか死を迎えるそのときまでに自分にはまだできることがあるはずだ。たとえ誰かに知られることがなくとも自分は自分の納得する道を歩めばいいのだ。
そうは言っても、今の自分にできることは少ない。さしあたってバルログが目標に掲げたのは自立であった。そして今の自分に必要なのは他人とのコミュニケーションだと思い至った。
バルログは他人とのやりとりをリカルドに丸投げして、ただ戦闘での優秀な駒になることだけに専念してきた。善悪は別にして、欲望のままバイタリティーに溢れた生き方をするリカルドにはある種の尊敬すら感じるが、自分の人生を捧げて従う人間かと問われれば少し違う気がする。自分の道を歩くには、まず自分の足で立たなければならない。自分一人でも生きていけるようになるには、まず他人とのコミュニケーションは必須なのだ。
まあ、いきなり赤の他人はハードルが高いので、まずは努めてパーティー内でのコミュニケーションを取るようにしている。なかなか思うようにはいかないが、それでも以前よりは会話が増えたように感じる。最近では何度か一人でクエストを受けたりもしているが、まず受付でのやりとりから苦労していた。それでも大きな進歩だろう。あとはパーティーのための情報収集にも着手し始めた。
情報収集はもともとバルログのような盗賊系クラスが行うのが一般的なのだが、今までそういった活動はまったくしてこなかった。リカルドとブラッドはスラム出身の伝手で独自の情報網を持っているので特に不便を感じていないのだろう。それでも一人前の冒険者として自立するには当たり前の仕事はこなさなければならない。
まずは情報屋とのコネを作っておきたいのだが、バルログにそんな伝手はない。そこでスラム出身の顔見知りに情報屋を紹介してもらおうと考えた。
Cランクで勢いのあるパーティーのなかに知った顔を見つけたので、バルログはそのガリフというレンジャーに教えを乞うことにした。
とはいえ、ガリフとは仲が良かったわけでもなくどちらかと言えば馬鹿にされていたはずだ。バルログは今でこそ『システム』の恩恵でアサシンとなったが、もともと体が小さく非力であった為、スラムのチームにいた頃は抗争があると争いには参加せずに真っ先にその場から逃走していた。それに腹を立てた仲間からリンチを受けることもあったが、敵チームとの抗争のように殺されることはないのでそのぐらいは甘んじて受け入れていた。ガリフも散々バルログを殴った一人だ。そうなると簡単に情報源を教えてくれるとは思えないし、まずどう話しかければいいのかもわからない。
バルログは声をかけることもできず、何日かガリフを尾行するだけだったが、このままでは埒が開かない。そこで、尾行の際に敢えて気配を漏らしてガリフが気づくようにしてみた。
最初のうちガリフは後ろも見ずに駆け出したりしていたが、ある日の夜に路地裏に駆け込んだガリフの背後に立つと、彼はゆっくりと振り返りバルログを見た。
黙って睨みつけてくるガリフにどう切り出したものかと途方に暮れていると、ガリフはいきなり土下座をして謝りだしたのだ。どうやらガリフは昔にバルログを殴ったことを気に病んでいたようだ。
仲間が何人も命を落とすような戦いから逃げていた自分に腹を立てるのは当然のことだと思うのだが、ガリフは涙を流すほど自分の行いをずっと悔いていたのだろう。狂ったように「許してくれ!」と、泣きわめいている。
それでも他人とほとんど会話をしたことがないバルログは何と言っていいかわからず、ただ自分の用件を伝えることしかできなかった。
「……情報屋、教えろ………ください」
なんとかバルログが言葉を絞り出すと、ガリフは二つ返事で快諾してくれた。
正直、ガリフがこんなにいいヤツだとは思っていなかったので拍子抜けした気分だ。話してみなければ解らないこともあるものだとバルログは思うのだった。
「──おい、リムデヴォードのやつ訓練所には顔出してんのか?」
「? ………! あ、………いや、見たこと………ない」
うわの空だったバルログは話を振られているのに気づいて慌てて返事をする。話題はリムデヴォードの休日の動向に関してあることないこと推察する方向に流れていた。雑談中に話かけられるなど以前ならなかったことなので、つい油断して他のことを考えたりしてしまう。
「じゃあ、教会か、それとも女か………」
「あいつが女に夢中になってるとこなんか、ちょっと想像できないわね」
「面白そうだし、バルログに尾行させてみるか」
「……………」
「ヒャハハッ! やめとけやめとけ、藪を突っついたらなんとやら、だ」
ブラッドとマリーの悪ノリにリカルドが制止をかける。
「あんたがそんなこと言うなんて、珍しいわね。なんか知ってんの?」
「いや、なにも知らねえ。だがよ、あいつはあれだけの腕があって、なんで俺らみたいなはぐれ者の集まりみてえなパーティーに居着いてるんだ? あいつは自分のことは一切話さねえし、俺らも余計な詮索はしない。もう、そういう決まりになってるんだ。雰囲気でわかるだろ、あいつは俺らと同じ悪人だ。裏で何をやってるかなんて、知らねえほうがいいんだよ。あいつは俺らを利用してるし、俺らも必要なところだけ利用して後は放っときゃいい。なにしろ、あいつが抜けたらBランクに逆戻りだからな」
「ああ、まあ………そうか」
マリーは少し考えて神妙にうなづいた。
リカルドはスラムのチームにいた頃は年端もいかぬ年齢もバラバラな悪童たちを纏める小隊長的な役割をこなしていた。人間を見抜き上手く使いこなす能力はバルログには無いものでいつも感心する。
今のパーティーもブラッドは最初は反抗的だったがリカルドが徹底的にボコボコにして力の差を教えると従順になった。マリーはプライドが高いが、我が儘はてきとうに聞き流してちやほやしてれば機嫌よく動くとリカルドは言っていた。リカルドはバルログと二人のときはそういったことを漏らすが、それはバルログが余計な他言をしないと見切った上でのことだ。
いま現在バルログがいろいろと模索していることにも気づいているだろうし、本来なら相談もしたいところなのだが、リカルドは自分でも公言するように基本的に悪人である。自分の得にならないことはしないし、何らかのアドバイスがあったとしてもそれは自分に利益があるような誘導が含まれていると見るべきだろう。
そんなことを考えていると、バルログは一人の男がテーブルに近づいてくるのに気づいた。
「よお、久しぶり。Aランクに昇格したんだってな。たいしたもんだ、おめでとう」
よれよれの外套を羽織った男が気さくな感じで声をかけてきた。
「てめえは………!」
リカルドが男に警戒の目を向ける。
「そう睨むなよ。こっちも仕事だったんでな。一応、減刑の嘆願書も書いたんだぜ」
「知るかよ! 何の用だ、監察官!」
その男は一年前にリカルドの企みを調査した監察官だった。名前はたしか………バルログは記憶を探ったが思い出せない。
「レイク・ブレンダーだ。今回は調査官としてガレオンに派遣された」
「ちっ、この時期に調査官と言やあ、あの件か……。俺らは何も関わっちゃいねえぞ」
「わかってる、わかってる。ちょいと頼み事があってな」
そう言ってレイクはすっと人差し指を突き出してバルログに向ける。
「!?」
他人事のようにリカルドとレイクのやりとりを眺めていたバルログは驚いて確認するように自分を指差した。
レイクはニヤリと笑ってうなづく。
「バルログだったか。あんたに指命依頼だ」




