75 リカルドへの反抗
昼休みの時間になり、ユキは個室から酒場のホールへと移動した。その後ろをバルログが音もなくついてくる。
バルログは極端な前傾姿勢で、だらりと下げた両手の先が地面に着きそうだ。そのシルエットは異様で、斥候としてパーティーに先んじて薄暗いダンジョンを単独で移動する役割なのだが他のパーティーに遭遇すると魔物に間違われることが多い。いきなり攻撃されたことも一度や二度ではないが、大抵はバルログの方が先に相手を見つけて警戒しているので攻撃を食らうことはなかった。
ホールに出ると、近くのテーブルにリカルド、ブラッド、マリーの三人がそろっていた。
「よお、お疲れさん。ちょっと来てくれるか」
リカルドが軽い調子で手を上げるが、怒ったような顔をしている。
「こんにちは。みなさんおそろいなのは、珍しいですね」
ユキはリカルドの前に立った。
「それより、ちょっと困ったことになってな」
リカルドがしかめっ面でテーブルの上の書類の束を指でトントン叩く。
「困ったこと、ですか?」
「ああ、鑑定の件でトールセンからクレームがきてるんだ」
ブラッドがエールを飲みながら答える。
「トールセンは一週間前に鑑定の品を受け取ってすぐに遠征に出たんだが、今朝戻ったところだ。なんでも、鑑定に出した指輪が一つ、足りねえんだとよ。ユキ、おまえちゃんと確認はしたんだろうな?」
「トールセンは俺たちが猫ババしたと思ってる。弁償しろって、えらい剣幕だ」
「トールセンさんは、46番と197番ですね。指輪は197番に二つ、プロテクションリング+1、レジストリング+1です。確認しました、間違いありません」
三人はぎょっとした顔でユキを見た。
「あ、あんた、なんでそんなの覚えてんのよ?」
マリーが呆然とした顔でユキを見る。鑑定依頼一件につき通し番号の振られたリストの書類を作るのだが、昨日の時点で依頼の数は五百件を越えている。さっきまでそのリストを見ていたのでユキが口にした情報が正確であることが分かったのだ。
リカルドがマリーを睨みつけて黙らせる。
「だが、指輪は三つあった筈だ。おまえ、残りの一つをどうしたんだ?」
リカルドは低い声で言った。静かな表情だが目の奥には凶暴な光が揺れている。大の男でも震え上がる迫力だが、ユキは動じなかった。
「いいえ、二つだけです。リストにも、そう書いてありました」
こいつ、なんだってこんな自信たっぷりなんだ?!
リカルドはユキの態度に言い知れぬ不気味さを感じた。ユキが今まで鑑定したアイテムの数は五千個にも及ぶ。リカルドの常識から考えれば一週間も前の依頼など覚えているはずがない。
だが、これを見せればその自信も揺らぐ筈だ。
「これがそのリストだ……」
リカルドが束になった一番上の書類をユキの前に突きつけた。書類は左側に依頼者の手で鑑定に出すアイテムを書き、右側にはユキが鑑定結果をそれぞれのアイテムの横に書いていく。同じ書類が二枚作られ、一枚は依頼者に渡されて残る一枚はリカルドたちが保存している。
リカルドが突きつけた197の通し番号が記されたリストには何種類かのアイテムが書かれた中に『指輪』と書かれた行があった。その下には『同上』を示す『〃』の記号があり、さらに下の行にも同じ記号があった。
つまり指輪は三つあるという意味だが右側の鑑定結果部分には上の二つ分しか記入されていない。
「リストには、指輪が三つあると記載されてるぜ。でも二つ分しか鑑定結果が書かれていねえな。間違いがないように、篭に移すときに俺たちは何度も確認している。じゃあ、あとの一つはどこに消えたんだろうな?」
リカルドは自分たちの責任ではないと言い切ったことになる。こう言っておけば、反論は全員を敵に回すということに繋がる。冒険者とはいえまだダンジョンにも潜ったこともない田舎娘は黙るしかないと見越してのことだ。
ユキはしばらくリストを眺めてから顎に手をあて、こう言った。
「いえ、わたしが見たときは確かに二つでした。あとから書き足されていますね、これ」
「なにを言ってやがる! 俺たちを疑ってんのか! あぁ?!」
リカルドが激昂してテーブルに拳を叩きつけると、ユキがびくりと肩を震わせる。
「おい、そいつは聞き捨てならねえな」
「あんたの勘違いでしょ。なんでそこまで言い切れるのよ」
ブラッドとマリーも剣呑な目でユキを睨みつける。
引き渡すときにリカルドたちのチェックをすり抜けたということでもあるのだが、そもそもまともに議論をする気はない。圧力をかけて反論を封じ、無理矢理にユキに責任を押し付ける腹積もりなのだ。
ユキは怯えた顔で後退りしかけたが踏みとどまった。ここで引くわけにはいかない。どのみち今日すべてを変えると決めたのだ。ごくりと唾を飲み込み、ゆっくりとまばたきをすると目には強い光が宿っていた。
「勘違いじゃありません。誰の仕業かは知りませんけど、そのリストが改竄されたのは確かです。わたしがトールセンさんと話をしてみます。それと、もう鑑定の仕事はしません。わたしはギルドの依頼をやりたいんです」
「な、なにを勝手なこと言ってやがる!」
思わぬユキの強気な姿勢にリカルドは驚いた。押しに弱く遠慮がちな態度から気が弱いのだと決めつけていたが、それは間違いだった。
リカルドにユキを手放す気はない。一日で金貨十枚を稼ぎ出す金の成る木だ。ほとぼりが冷めたころを見計らって何度でも仕事をさせれば、この先、金に困ることはないのだ。
そのユキはリカルドの目論みを外れ、いま反旗を翻している。
「勝手に仕事を引き受けてきたのはリカルドさんですよ。これはわたしのしたい仕事じゃありません。わたしはパーティーを抜けます!」
「なめてんじゃねえぞ! ガキが!」
リカルドは立ち上がるとユキの胸ぐらをつかんだ。驚きはしたが焦りはない。暴力と恫喝で心をへし折るのは慣れたものだ。すでに話をつけてあるトールセンのところで散々に脅しをかけるつもりだったが、少し予定が変わっただけだ。
胸ぐらをつかんだリカルドの腕を押さえるユキの手から震えが伝わってくる。多少気が強くてもまだ十六歳の少女だ。殴りつけて戦意を失ったところで個室に押し込めばなんとでもなる。
リカルドは拳を見せつけるようにしながらゆっくりと後ろに引いた。
女、子供だろうが容赦はしない。そこにはリカルドが子供だった頃に手加減などしてもらったことがないという屈折した感情が入り雑じっている。
「リカルド、やめておけ」
リカルドは、ぎょっとして手を止めた。ユキの後ろにバルログが立っていた。いつもの前傾姿勢ではなく、背筋を伸ばし顔を上げたバルログが、じっとリカルドを見ている。
「てめえ……」
リカルドの顔が怒りで朱に染まり、拳を振り下ろそうとしたときに声が響いた。
「そこまでよ、リカルド!」
振り返るとリズを先頭にタッカーのパーティーがズンズンとこちらに歩いてくるところだった。
バルログさんが直立するところは、ガウォークフォームからヴァルキリーフォームへの変形をイメージしました。
いや、わからんか。




