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74 バルログの苦悩


「おい! ぜんぜん足りねえじゃねえか! なめてんのか、テメエ!」


 通りにリカルドの怒声が響き渡り、突き飛ばされた若い冒険者が尻餅をつく。

 ギルド前のエントランスでリカルドは若い冒険者を睨みつけた。


「すまない! 今はそれしか手持ちがないんだ」


 冒険者は物騒な目で見下してくるリカルドに涙目で頭を下げる。


「残りの金貨二枚ぐらい、パーティーの装備を売り払えばどうにかなるだろ!」


「そ、それだけは勘弁してくれ! クエストが受けれなくなる!」


「知ったことか! 借りた金は返さなきゃいけねえだろ?」


「あ、あんたが鑑定品を売れば元が取れるって言うから……」


「まあ、運がなかったな。あれだけの数で当たりが出ないってのは、逆に感心するぜ。ツキに見放された冒険者は死ぬのが決まりだ。まだ命があるだけ感謝するんだな。いまからお前の仲間の身ぐるみを剥ぎに行ってもいいんだぜ?」


 冷たい目で見下ろすリカルドに冒険者は震え上がった。スラムで育ったリカルドは恫喝も堂に入っている。


「待ってくれ……明日ダンジョンに潜るから、いくらかは返せる! 頼むからもう少しだけ待ってくれ!」


 リカルドは顎に手をあてて、しばし考え込む。


「………ふん、まあいいだろう。ただし、今日払った分から銀貨25枚は利子として引かせてもらう。一週間で一割ずつ利子を上乗せしていくからな」


「お、おい、いくらなんでも高過ぎないか?」


「嫌なら今すぐ払うんだな」


 リカルドは突き放すように言い放った。


「くっ…………わかった……」


 がっくりと項垂れる冒険者に背を向けて、リカルドはギルド酒場の扉をくぐった。


 個室に近いテーブルにはブラッドとマリーが待っていた。酒場の片隅ということもあり、近くには空のジョッキに囲まれて酔い潰れて眠っている男が一人いるだけだ。


 リカルドがイスに腰を下ろすとブラッドが話しかけてきた。


「で、ユキのやつが休みをくれって言ってきたって? とうとう音を上げたか」


「ギルドの依頼をやりたいんだとよ。渡した金だと宿に泊まり続けるのは無理だからな。それでもギルド補助の利く宿で月借りすれば、かなり安く済むのも知らないようだぜ」


「田舎者で話し相手があのバルログだけじゃあねー。まだ前向きなのがやっぱりムカつくわ」


 マリーはあきれた顔でイスにふんぞり返っている。


「そろそろ立場をわからせてやらねえとな。てきとーにふっかけて借金でも背負わせてやる。それでスラムに住ませたあとにあそこのガキどもに襲わせたらおとなしくなるだろう。まあ、あいつはなかなか美人だし、あとは俺が可愛がってやるよ」


 リカルドがニヤリと顔を歪める。


「やっぱり、あんたに目をつけられたのは不幸よね」


「おかげで俺たちは幸せだろ? 世の中、そういう風にできてんだよ。あと一週間ほど荒稼ぎしたら、ちょいとペースを落とすか。あまり目立ちすぎるのもよくねえ」


 慎重を期するならもっと早くに切り上げるべきなのだが、あまりにも簡単に大金が転がりこんでくる。リカルドはすでに冷静な判断ができなくなっていた。監査部が動き出して処分が下されるまで一ヶ月ほどという甘い見積もりを立て、そのギリギリまで荒稼ぎをしてやろうとリカルドは決めていた。



◆◇◆◇◆



 バルログは壁を背にしてイスに腰かけながら、いつものようにユキの話を黙って聞いていた。

 前屈みで片膝を立て、いつでも動き出せる体勢なのは幼い頃から身に付いた習慣だ。


 ユキは今までと変わらぬ態度で……むしろ、機嫌が良さそうなのが不思議だった。昨日の忠告をちゃんと理解しているのか不安になる。


 他人の考えていることなどわかりはしない。それでも他人が自分に対してあまりよい感情を抱かないことをバルログは理解していた。大抵の者はバルログを見ると恐れか侮蔑の視線を投げかける。もし話しかけられても言葉は出てこないし無理に返事をしたところで良いことがあるわけでもない。黙っていれば相手はバルログに興味を失い、リカルドなどの手近な者に話を振る。その方が楽で都合がよかったので、バルログは影に徹している。影は喋らないし目立つ必要もない。そこに存在していないのと同じだ。

 だから、言葉というものは自分を素通りして違う誰かに向けられるものだった。


 だがこの部屋では、とりとめもなく喋り続けるユキの言葉は常に自分に向けられていた。最初は独り言のようなものだろうと思ったが、バルログが他の事を考えているとユキは敏感に察してこちらの様子を伺いさりげなく話題を変えてみたりしてくる。

 バルログは身動(みじろ)ぎひとつせずにじっとしているだけなので、どうしてわかるのかいつも不思議に思う。


 ユキは勝手に自分のことを喋るだけで、とくにバルログに意見を求めることもないので楽ではある。おかげで興味もなかったユキのことを色々と知ることになった。


 たとえば、賢者というぐらいなので魔術学校出のエリートだと思っていたが、どうやらただの田舎娘らしい。実家は山羊の乳や肉を売って生計を立てていたが、ユキが産まれる頃に農場の規模を縮小してチーズ作りを始めたために小さい頃は貧乏だった。今はそれなりに軌道に乗ってちゃんとご飯も食べられるそうだ。あとユキの国ではファミリーネームに男形と女形があり、ユキ・ヴァルツスカヤという名が同じ家族でも父親や弟ではヴァルツスキーになるらしい。


 バルログにとっては関係のないどうでもいい情報ばかりなのだが、それらを知ることにより、バルログにとってユキという人間が現実味を帯びた存在になっていた。

 バルログは自らを影のように存在しない人間とすることで他人との接触を絶っている。すると、バルログから見た他人もまた存在しない影のようなものになっていたのだ。

 目の前のすべての人間は興味のない紙芝居の登場人物のように薄っぺらく希薄な存在だった。ただ一人、小さな頃から知っているリカルドだけがバルログにとって唯一この世界に存在する人間だったのだ。

 目の前を通りすぎる影の一つにすぎなかったユキにそれらの情報が入力されることにより、いつしかユキは影ではなくなっていた。

 リカルドの意に反してユキに助言をしたのは、影ではない人間を害することに初めて罪悪感を覚えたからだ。

 だがそれはリカルドを裏切ることになり、どちらを優先すべきかバルログは苦悩する。決め手となったのは、ユキが口にした質問だった。


 わたしは仲間なのかとユキは問いかけた。

 そのときにバルログは気づいてしまったのだ。


 バルログにとっての仲間はパーティーのメンバーだ。普段行動を共にする分、他の影に比べて多少の色はついている。だが、ただそれだけのことだ。

 メンバーがバルログに向ける侮蔑の目は他の影と大差はない。リカルドですらバルログをただの道具としか見ていないのも知っている。べつに構いはしない。バルログ自身もリカルドという存在に寄生するように利用していることを自覚していた。他のメンバー同士も互いに利用し合っているだけでそこにそれ以上の感情は存在していなかった。

 僧侶のベンギッドが死んだとき、リカルドがわざとそう仕向けたことをメンバーの誰もが気づいていたが、それを咎めることはなく、ただ活動に支障が出ることに不満を漏らしただけだ。


 つまりバルログたちにとっての仲間とはそういうもので、おそらくユキの言う仲間とはまったく違うものなのだろう。ユキはバルログに対して仲間として接していたのだ。

 ユキがバルログを見る目には恐れも嫌悪も侮蔑もない。ただ純粋に対等な仲間として歩み寄るため、話をしないバルログに配慮してまずは自分をさらけ出しているのだろう。

 ユキは仲間となるために精一杯の努力をしているのだろうが、ユキの考えている仲間とこのパーティーでの仲間という認識があまりにもかけ離れている。

 バルログたちとユキとでは住む世界が違う。ユキはここに居るべき人間ではないとバルログは思ったのだ。


 事実を伝えることにより、ある程度のことはユキもすでに理解しているはずだ。

 自分に向けられるユキの目が嫌悪に変わることも覚悟していたのだが、ユキの態度は変わっていなかった。

 だからこそ、本当に理解しているのかとバルログは(いぶか)しんでいた。


「………ユキ」


 バルログは世間話をするユキの言葉を遮るように呟いた。ユキが目を丸くしてバルログを見る。


「今日、か、明日、には、町、を、出ろ」


 念を押すように告げる。


「ありがとうございます。バルログさんは、優しいですね」


 穏やかな笑みを浮かべて頭を下げるユキに、バルログは戸惑う。こんなふうに礼を言われることなど今までなかった事なので、どう対応していいのかわからない。


「……優しく、は、ない。おまえ、仲間、でも、ない」


 バルログはあえて突き放す言い方をした。バルログが影なら、ユキは陽の当たる世界の人間だ。近い場所にいるようでも相容れることはない。


「優しいですよ。わたし、考えたんですけど、仲間がダメでも友達ならいいですよね?」


「…………は?」


 なにを言ってるんだ、こいつは?

 バルログは頭を悩ませた。自分の状況がわかっていないのだろうか。頭の中がお花畑なのはよくわかった。やはりバルログとは住む世界が違うのだ。


「俺、と、ユキ、は、違う。俺は……影、だ」


「だいじょうぶですよ、わたしはバルログさんを尊敬してますから」


 ユキはなんでもないことのように言うが、友達も尊敬もバルログには縁遠い言葉に思われた。


「俺、は、嫌われて、いる。尊敬など、される、こと、も、ない」


「バルログさんは、自分が正しいと思ったことをしたんですよね? お金も受け取らず、リカルドさんにも従わずに。それって、すごいことだと思います。自分の思いを通すのは難しいことなんです。そうやって自分に恥じない選択ができる人は、強い人なんです。誰かに嫌われたっていいじゃないですか。これは師匠の受け売りなんですけど、『自分の崇高(すうこう)さは、自分一人だけが知っていればいい』んですよ。わたしは、バルログさんの崇高さを知ってますけどね」


 最後にいたずらっぽく笑ったユキにバルログは言葉を失った。

 ユキの言葉はバルログの過去から未来までを覆い尽くす深い闇に切り込み、なんの希望もなかった世界に一筋の光を射し込ませたのだ。自分はただ目を閉じて自ら闇のなかに沈んでいるのだと気づかされる。

 眩しく微笑むユキを見ながら、目を開いて自分の足で踏み出せば、いつかあそこに届くのだろうかとバルログは思った。


「それと、ごめんなさい。今回のことではいろんな人に迷惑をかけてると思うので、わたしだけ町を出ることはできません。リカルドさんとちゃんと話をしてみます」


 ユキは打って変わって真剣な顔で宣言する。話し合いが通じると思っているようだが、リカルドはそんなに甘くはない。ここはおとなしく町を出る方向で動いてほしいのだが、ユキは「もう決めました」と一人で頷いている。

 無駄に意思の強い光を湛えた目を見て、バルログはため息を漏らした。





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