64 隊商のベギンズ
蹄鉄の音を響かせ、三騎の人馬が月明かりを頼りに夜の街道を駆けていた。
「お、見えてきた。あれじゃないかな」
先頭を走るカイトが遠くに見える夜営の明かりを指さす。
「よかった、なんとか町に着く前に追いつけましたね」
「村を出てから強行軍じゃったからな。わしは眠いぞ」
ルシアが口を大きく開けてあくびをした。
ゼフトからガレオンまではフルベ、クラコスの二つの村を通り、およそ二週間の道程になる。フルベでは成り行きで魔物討伐の依頼をこなすことになったが、旅は順調であった。
クラコスの村に到着すると、一日前にキャラバンの隊商がガレオンに向かって村を発ったと聞き、急いで後を追ってきたのだ。
馬を飛ばし、二日かけてようやく追いついたところである。ガレオンまではあと、一日半ほどの距離だ。
カイトの案で、ユキと、カイト、ルシアの二人がガレオンに着く日程をずらすことにしたのだが、隊商の存在は都合がよかったのだ。町に入る前にユキが隊商と合流できればユキが一人であるという証人ができて、道中の安全も確保できるという訳である。
三人は馬の速度を落とし、ゆっくりと隊商の夜営地に近づいていった。
「じゃあ、ここで一旦ユキとは別れよう」
隊商まで二百メートルほどのところでカイトは馬を停めた。
「わかりました。カイトさん、ルシアさん、ガレオンで会いましょう」
「ユキ、気をつけるのじゃぞ。なにかあれば、すぐに助けに行くからな」
ルシアは心配そうに声をかける。
「ありがとうございます。でも、だいじょうぶですよ。この辺りは魔物も野盗も少ないですから」
笑顔で手を降るユキに、ルシアも寂しそうに手を振り返した。
月明かりに浮かぶキャラバンの幌馬車は三、四台ほどで、隊商の規模としてはあまり大きくはない。焚き火の周りに何人かが座り込んでいて、馬車の周りにも人影が動いている。何かの作業をしているのか、木の板をドンドンと叩く音が響いていた。
ユキは焚き火の方へ馬を向けると、近づいたところで馬を降りる。そのまま手綱を引いて火を囲む男たちのところへ歩いていった。
「すいませーん、旅の者なんですが、ガレオンまで同行させて……」
ユキは息を呑んで立ち止まる。振り返った屈強な男たちは猫のように爛々と光る目をユキに向けた。豚のような突き出た大きな鼻に、大きく裂けた口からは鋭い犬歯が覗いている。
「オ、オーク!? どうして……?」
オークたちは血に濡れた剣やこん棒を手に立ち上がると、ユキに向かってのそりと動き出した。
『ブヒィッ!』
『グアッ?』
『グオオッ!』
一匹の声に呼応するように、馬車の辺りからもゾロゾロとオークが姿を現す。炎に照らされて、揺らめく影を引く資材だと思っていたものや、オークが腰を掛けていたものが血まみれで倒れる人間だと気付き、ユキは後ずさった。
「あっ!」
つまずいて倒れそうになったユキは手綱を強く引っ張ってしまい、驚いた馬が暴れだす。
馬を静めようとするユキにオークが駆け寄り、剣を振りかぶった。
「きゃあああっ!」
手をかざして目を閉じたユキに、暖かい液体が降り注いだ。
「まったく、どこが『だいじょうぶ』なんじゃ?」
ルシアの声に目を開くと、目の前のオークは顔の上半分を吹き飛ばされて血を噴き出しながら倒れるところだった。
「あ、ルシアさん……」
いつの間にかユキの横にはルシアが立ってオークを睨みつけていた。
『グホォッ!』
ルシアは駆け寄ってくる二匹のオークの横に一瞬で移動すると、一蹴りでまとめて吹き飛ばす。そのまま驚いて足を止めたオークの群れに飛び込み、あっと言う間に四匹を薙ぎ倒した。
黒い革鎧を着たカイトが二人の横を矢のように駆け抜けて幌馬車へ突っ込むと、オークたちは血を噴き上げてばたばた倒れていく。
ユキが呆然と立ち尽くしている間に馬車の向こうからもオークの悲鳴があがり、しばらくすると幌馬車の間からカイトが姿を現した。
「ぜんぶ片づいたよ」
「うむ、ご苦労」
短剣を布で拭いながら歩いてくるカイトに、ルシアが腰に手をあてながら応える。
「……なんか偉そうだな」
「痛い痛い、引っ張るな!」
いらっとしたカイトがルシアの髪をぐいぐい引っ張った。
「えーと、これはどうすればいいんでしょうか……」
血まみれの惨状を見渡してユキが呆然と呟く。
「奥の馬車に生き残った人たちが居るみたいだから、計画は続行で」
「え、続行するんですか?」
「もう問題は排除したし、俺とルシアが居てもここの状況は変わらないからね。ああ、それよりもユキはだいじょうぶ? 目の前であんなの見ちゃったけど……」
頭が無くなればオークの姿はかなり人間に近い。精神的なダメージの方が心配だった。
「だいじょうぶです。わたし、初めてのダンジョンでオーガに食べられる冒険者さんを間近で見てしまったので、あれに比べたら……」
「ああ、なるほど……」
並の神経ならそれでリタイアしてしまいそうなものだが、それでも冒険者を続けているということは、ユキも他の冒険者同様に、どこかぶっ飛んでいるのだろう。
「じゃあ、俺とルシアは近くにオークが残ってないか探しておくから、あとは手筈どおりでいこう」
「わ、わかりました」
「よいか、なにかあれば、すぐに大声を出すのじゃぞ」
「はい、もうだいじょうぶです」
「ユキのだいじょうぶは、どうも頼りない気がするのう」
ルシアは心配そうにぶつぶつ言いながら、カイトを追って夜の闇に消えていった。
一人残されたユキは、深呼吸をすると手綱を引いて歩きだした。ルシアが間に合わなければ、命を落とすところだった。次はもっと冷静に対処しなければと反省点を振り返る。致命的なミスを犯してなお次の機会があるというのは、冒険者にとってはすごく幸運なことなのだ。この経験を決して無駄にはしないと、ユキは静かに強く、心に刻みつけた。
幌馬車の列の向こうに、寝台付きの馬車が一台停まっている。荷台の部分が部屋になっていて板バネ式のサスペンションが組み込まれた高級タイプだ。
扉の下には据え置きの階段が設置されている。扉は傷だらけで、閉ざされた窓も攻撃を受けて壊れかけていた。
ユキはノックをしようか考えたが、中に居るのが人間とは限らないと思い、少し距離をとった。
「すいませーん、どなたかいらっしゃいますか?」
呼びかけると、中で人の動く気配があった。
『誰だ? オークどもはどうなった』
扉越しに警戒したような男の声が返ってきた。
「あ、オークなら、もうだいじょうぶですよ。わたしは、旅の冒険者です」
『冒険者だと? ちょっと待ってろ…… おい……』
しばらくすると、ガタガタと音がして窓が薄く開いた。男が隙間から辺りのようすを伺っている。
「たしかに、オークはもういねえようだ。お嬢ちゃん一人だぜ」
男が誰かに話しかけると、扉がゆっくりと開いた。
剣と鎧で武装した冒険者らしき男が二人、注意深く階段を降りてくる。奥にはまだ人が居るようだ。
「ゼノ、あっちを見てこい」
年輩の男に指示され、三十歳ぐらいの男が剣を抜いて焚き火の方へ移動する。四十過ぎと見えるランタンを手にした体格のいい男がユキに話しかけた。
「もうだめかと思ったが、冒険者パーティーが来てくれるとは、俺の運も捨てたもんじゃねえな。ずいぶん手際が良かったようだが、もしかしてあんたらAランクか? なんにしても助かったぜ、ありがとうよ」
「あ、……いえ」
「リーダーを紹介してくれるかい、お嬢ちゃん?」
「えと……それは……」
すると、幌馬車の方からゼノと呼ばれた男が声をかけてきた。
「おい、ボルトフ、こっちには誰もいねえぞ。オークと仲間の死体だけだ」
「なんだと!?」
ボルトフと呼ばれた男は、驚いた顔でユキに向き直った。
「お嬢ちゃん、まさか、あんたが一人でやったのか?」
「え? いや……その………あはは…」
ユキはそこらじゅうに倒れているオークをちらりと横目で見た。ルシアとカイトのことを喋る訳にはいかない。すると、必然的にそういうことになってしまう。なにかよい言い訳はないかと考えたが、そんなものは浮かんでこなかった。仕方がないので笑ってごまかしてみる。
「ん? 紫色のローブだと? あんた、もしかしてゼフトから来たのか?」
「あ、そうです。いまガレオンに戻る旅の途中で……」
「やっぱりそうか! ゼフトが魔族に襲撃された事件で、ガレオンの賢者の少女がオーガを百匹も狩り倒したって聞いたが、あんたのことだな!」
「あわわ……! それは誤解というか、過剰な演出がありまして……」
親指を立てるギリアンの顔が頭に浮かんだ。
「おい、ベギンズ! もう大丈夫だ! こないだ話してた賢者さま御本人だぜ」
ボルトフが馬車に声をかけると、扉から小さな男がのっそりと姿を現した。
立派なあご髭をたくわえた鋭い目つきの男はユキよりも背が低く、丸っこい体型をしていた。だが決して太っているわけではなく、全身が筋肉の塊なのが分かる。男はドワーフだった。
逞しい腕の筋肉は綱のように盛り上がり、その両腕と顔には多くの古傷が刻まれている。片手にぶら下げた薪割り用と思われる手斧はオークの血で濡れていた。
ベギンズの後ろから商人らしき男が二人、恐々と外に出てくる。
ベギンズは手斧を投げ捨てるといかつい顔を凶悪そうにほころばせ、節くれだった右手を差し出した。
「まずは礼を言わせてくれ。ありがとうよ、血濡れのお嬢ちゃん」
ユキは差し出そうとした自分の手が真っ赤に染まっているのに気付いて動きを止めた。そういえば、頭からオークの血を被っていたのを思い出した。商人の方に目を向けると、青い顔でさっと目を逸らされてしまう。
ベギンズは引っ込みかけたユキの手をとり、強く握った。
「俺ぁ、商人のベギンズって者だ」
え? 商人なんですか? このなかで一番強そうなんですけど。
「おぅ、てめえら! さっさと水とタオルをもってこい! 水は明後日の朝まであれば十分だ、お嬢ちゃんにたっぷり使ってもらえ」
困惑するユキをよそにベギンズが大声をあげると、商人たちは慌てて幌馬車の方へ走っていった。




