56 幕間⑤
のどかな田舎道を一人の女が軽快な足どりで歩いていた。歳の頃は二十歳ぐらい、身長は170センチといったところだ。ショートカットにした黒いくせ毛の下に活発そうな目を輝かせている。白いシャツの上に革のベストを重ねショートパンツに通した革ベルトには使い込まれたポーチがぶら下がっていた。動きやすさを重視した服装は武装こそしていないが一目で冒険者だと知れる。
向こうに見える共同炊事場では女たちが昼飯の準備をしていて、その前の通りでは子供たちが声をあげて遊んでいる。
この村はつい先日、大規模な魔物の襲撃を受けて大きな被害が出たという。それでも日々の営みは止まることなく続き、村は逞しく活気に満ちていた。
女はやがて田舎にしては洒落た外観の宿の前で足を止めた。
「ここね、銀のたてがみ亭!」
看板を見上げてうなずくと、花壇に挟まれたアーチを潜って玄関へと向かう。ふと花壇の脇の立て看板に目を止め、女は足を止めた。
「なに、これ?」
立て看板には『犬賢者ユキ様御一行の泊まる宿!』とある。
女は何か思案するようにしばらく看板を見つめていたが、おもむろにポーチから筆ケースと墨汁の入ったガラス壜を取り出した。そして看板の前にしゃがみこむと、神妙な顔でなにやら筆を走らせ始めた。
◇◇◆◇◇
ユキは身仕度を整えると部屋を出た。散歩がてらに市場を覗いてみるつもりだ。旅に必要な物もぼちぼちと買い揃えていかなければならないからだ。今回はマジックバッグがあるので重量やスペースを気にせずにすむというのは助かる。本来マジックバッグはレアで高価な魔道具である。大量の荷物を用意しながら手ぶらに近い状態で旅ができるというのはかなりの贅沢なのだ。
ユキは本格的な調理道具を揃えようと考えていた。そうすれば野営中でもルシアとカイトにそれなりの料理を出すことができる。テントだって、荷馬車でも用意しない限りは出来る限り軽量で小さなものを選ぶのが普通だが、マジックバッグがあればゆったりサイズでも問題なしだ。そういったことを考えていると、なんだかわくわくしてくる。
ユキは食堂を抜けると玄関の扉を開けて外に出た。そこで、立て看板の前にしゃがみこむ女に気づいて足を止める。ユキはその女に見覚えがあった。
「あら? リズさん……ですか?」
ユキは困惑しつつも声をかけて駆け寄る。それは、タッカーをリーダーとするユキのパーティーのメンバーである、忍者のリズだった。
リズはユキに気づくと立ち上がり、笑顔を浮かべた。
「ユキ、久しぶり! 元気そうでよかったよ!」
「どうしたんですか? 今ごろはガレオンを目指していると思ってたんですけど……」
パーティーの仲間たちは、パンデモニウムで魔王と遭遇したという報を持って、いま全力でガレオンに向かっているはずだとユキは思っていた。
「いやー、さすがに私たちもパニクってたからね。 フルベの村でちょっと冷静になってさ、ここらへんは駅馬車もないからユキ一人じゃ帰ってこれないでしょ。 それで、私が迎えに来たってワケ。 置いてっちゃって、ゴメンね」
「いえ、あれは仕方ないですよ。 馬を残してくれたので、本当に助かりました」
「うーん、ユキはいい子だねえ。 ところで、ずいぶん大変なことになってたみたいだね。 ガレオンの犬賢者が魔物相手に大暴れしたって噂になってるけど」
「いえ、あれは誤解です! わたしはただ………犬賢者?」
ユキはリズが手にした筆に気づいた。そして、リズがしゃがみこんでいた例の立て看板に目を向ける。
「ああっ!? なんですか、これは!?」
立て看板の例の文句が書かれた下にはけっこうなスペースが空いていたのだ。さっきまでは。そこにはディフォルメされた絵で、犬の耳と鼻をつけた女の子の上半身が描かれていた。単純な線ながらも特徴をよく捉えていて、一目でユキだと分かる。ご丁寧なことに吹き出しには『犬賢者だワン!』というセリフまでつけられていた。
「ぷははっ、会心の出来映えよ! そっくりでしょ?」
リズは屈託なく笑った。
「に、似てないです! どうするんですか、これ!」
ユキが顔を赤くして抗議する。
「あ、やっぱり胸はもっと大きかったか」
「そういうことじゃありません!」
「あはは、これはそっくりだ。 お姉さん、上手だね」
いつの間にかカイトがリズの横で立て看板を見ていた。ユキははっとして青ざめる。リズはカイトの顔も魔王であるルシアの顔も見ているのだ。ギルドやパーティーへの報告の件はこれから考えるということで、まだ方針が決まっていない。いまリズと二人が顔を合わせるのはマズイ。
「あはは、そうでしょう」
カイトはそのまま歩いて宿のなかに入っていく。リズは後ろを振り返って、辺りをきょろきょろと見回した。
「あれ? いまここに、誰かいなかった?」
「さ、さあ? 宿のお客さんが通ったみたいですけど……?」
カイトが気配を消したようなので、ユキはしらばっくれることにした。
「ふーん……?」
リズは納得がいかないような顔で首をひねっている。
「まあ、いいわ。 それよりも、まさか魔王が出てくるとは思わなかったわよね。 本当に無事でよかったわ。 あの後、どうなったの?」
そのとき、白い大型犬であるコジローが走ってきたかと思うと、それを追ってきたルシアと子供たちが宿の前で矯声をあげて騒ぎはじめた。
「え、えと………あ、あのあと、アイテムの鑑定を……た、頼まれまして………」
ユキは冷や汗をかきながらルシアの方を見ないように目を泳がせている。
「んん? アイテムの鑑定? 魔王のアイテムって、なんか凄そうね」
「よ、よくわかりませんけど………山のようなオーブを、ひとつひとつ………」
「わはは! いけ、コジロー!」
ルシアが叫ぶとリズがちらりと後ろに目をやる。
「あわわ……! そ、それが終わったら、すぐに帰してくれました!」
リズはワンワン吠えながら通りを走っていくコジローとそれを追う子供たちを花壇越しに見つめている。アーチの前で仁王立ちをしているルシアは視界に入っていないようだ。
「そっか、ちゃんと約束、守ってくれたんだ。 けっこういいヤツじゃん」
リズがこちらに向き直ったのでユキは胸を撫で下ろした。ルシアは子供たちを追って向こうに走っていく。
「そ、そうなんです。 話してみると、けっこう気さくな感じで……」
「ユキ、なんか顔色悪いよ、だいじょうぶ?」
「は、はい、だいじょうぶです。 ちょっと疲れてるのかも……」
「……まあ、昨日は本当に大変だったらしいし、しょうがないか。 これから出かけるの?」
「えと……そう思ってたんですけど、もうちょっと休んでからにします」
「わかった。 いろいろ話を聞きたかったけど、また出直すわ。 いつごろ出発できそう?」
「えと、ギルドの人の手が空いたら聞き取りをしたいって言われてるので、まだ数日はかかると思います」
「そっか……しっかり休んで出発までには体調を戻しときなよ。 私は宿場筋の踊る子山羊亭ってところに泊まってるから。 じゃあ、また来るわ」
「はい、ありがとうございます」
ユキが頭を下げるとリズは軽く手を振って踵を返した。
その後ろ姿を見送りながら、ユキは頭を悩ませていた。
「マズイ……どうすればいいんだろう」
一方、リズは呑気そうに数日間の時間の潰しかたを考えていた。
「観光って雰囲気でもないしなあ。 ギルドの酒場で、忙しそうな冒険者を肴に酒でも呑むか……ん?」
リズは不意に立ち止まり、遠くなった銀のたてがみ亭を振り返った。
「そういえば、犬賢者ユキ様御一行って………?」
リズは腕を組んで、しばし空を見上げてみる。
「あの子、誰と泊まってるんだ?」
リズは当然の疑問を呟いていた。




