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40 村人救出


 白銀の月明かりの下、ルシアは疾走する。夜の闇に溶け込むように長い黒髪が風にたなびいていた。

 ただ自分の思いに、欲求に従い走っている。ただそれだけの筈なのに、まさに今、自分のなかで何かが目まぐるしく変わっていくのをルシアは感じていた。頭の中を、これまでの人生が走馬灯のように駆け巡っている。

 気がつけば、今まで心を殺して機械のようにひたすら戦い続けてきた。泣いたことなどない、そう思っていたが、ユキに叩かれた夜、息を殺して泣いていたときに思い出した事がある。おそらく、初めて奴隷頭のところに連れていかれたときの事だ。薄汚い地下牢のような部屋で自分と同じ年頃の子供が何人も泣いていた。

 鉈を手にした大きな男がやってきて「だまれ」と、言った。

 誰も泣き止まなかった。すると男はルシアの目の前の男の子を鉈で叩き殺し、もう一度「だまれ」と、言った。子供たちがさらに激しく泣きわめくなか、ルシアは体を震わせながら男に背を向けて横になった。

 その後、子供たちが倒れる音と、男が機械的に「だまれ」と繰り返す声に耳を塞ぎながら、ルシアは泣き声を圧し殺して寝たふりを続けていた。自分が最後に泣いたのは、あのときだったのだろう。

 戦闘技術を叩き込まれたルシアは闘技場で闘う奴隷闘士になり、まだ子供だった頃に魔神との戦争が始まって戦場に送り込まれた。数十年後に戦場から戻ると、その日の夜に奴隷頭に押し倒され、必死に抵抗するうちに気付けば奴隷頭を殺していた。町から逃げ出して魔法使いに拾われ、いつの間にか魔王を目指すようになった。

 魔王になりさえすれば、望みはすべて叶う。あの頃は、そう信じていたのだ。

 だが、あの頃の自分が何を望んでいたのかは思い出せない。魔王になればすべてが変わるという漠然とした希望があっただけで、具体的な望みなんてなかったのだろう。いまだって、自分が何を望んでいるかなんてわからない。

 実際に魔王になってもルシアの心が満たされることはなかった。政治のことなどは解らないので元老院の言いなりだったし、確かに望むものは大抵の物は手に入ったが、城から出ることはほとんどなく、退屈な時間が増えた。元老院以外なら誰でも自分の命令を聞いたが、常に弱みを見せないように気を遣わねばならず、周りには大勢の人が居たがいつも一人だった。

 腹心だったベルキシューでさえ、ルシアが力を失った途端に襲いかかってきた。結局のところ、魔王の地位など自分にとっては何の意味もなかったのだ。

 もうこの世界で自分が満たされることはないのだと、ルシアは絶望した。だから力を捨て去り、死を受け入れたのだ。

 だが、最後には自分にとどめを刺すと思っていた人間のユキとカイトに命を救われた。

 ユキに叩かれて密かに涙を流していたときに、もう自分は魔王ではないのだと思った。そう思うとなぜかすっきりとした気分になった。いまの自分は、ただのルシアなのだ。

 だからと言って何かが変わるわけではないと思ったが、そうではなかった。瀕死の姿を晒して、それでもそんな自分を守ろうとした者たちが側にいるというだけで、心は不思議なぐらいに安らいだ。弱みを見せた二人には今さら気兼ねを感じることなく自分をさらけ出すことができた。

 今までにない穏やかな気持ちで過ごしていたときに、村の子供たちと出会った。魔王ではなくただのルシアとして無邪気に接してくる子供たちに、ルシアは心を許し溶け込んでいた。

 彼らと過ごす時間は新鮮でくだらなくて楽しくて、きらきらと輝いていた。生まれて初めて手にした宝物のように感じていたのだ。

 それを魔物なんかに傷つけられるのだけは我慢がならなかった。


 いまこの村には魔物が入り込んでいる。その理由なんかはどうでもいい。ただ、初めて手にしたかけがえのないものを守りたいという思いだけがルシアを衝き動かしていた。


 ルシアは協同炊事場を通りすぎて村の奥に進む。炊事場の闇の中に夜行性動物特有の小さな光る目が幾つも動いていたが、あんなものは後から来る兵士に任せておけばいい。

 村はずれの道は常夜灯もなく月明かりだけが頼りだが、ルシアにはそれで十分だった。

 民家は起伏のある道沿いにぽつりぽつりと離れて建っている。三つ目の民家の周りに幾つもの動く影が見えた。

 玄関の扉と横手の窓の前にオークが取りついて剣を振り下ろしている。その周りを何匹かのゴブリンがウロウロしていた。


 ルシアは民家の前で急停止すると、指先に魔力を集める。その爪が伸びて、鋭く硬く変形した。

 民家の横手に群がる魔物に飛び込みながら爪を一振りすると、頭部や背中を引き裂かれた魔物がバタバタと倒れる。家の中から子供の泣き声が聞こえた。

 ルシアが玄関に回ろうと移動すると、異変に気づいた玄関のオークがひょいと顔を出した。虫でも払うような爪の一振りで顔を吹き飛ばされたオークはバタリと倒れた。


「中の者、もう魔物はおらん! 出てくるがよい!」


 ルシアが呼び掛ける。深夜の田舎道に、その声は大きく響いた。暫くすると、ななめ向かいの家から住民が顔を出した。


「そのほう、ここは危険じゃ。 この先の宿にいけ」


 そちらに声を掛けると、目の前の扉がおそるおそる開いた。ランタンを手にした男はルシアと目をあわせると茫然とした顔で動きを止めた。

 薄闇に佇むルシアの立ち姿は月の光と夜の結晶が産み出した幻のように現実味がなく、そして威厳に満ちていた。

 とつぜん男のうしろから小さな影が飛び出してきて、ルシアの腰にしがみついた。


「ルシアおねーちゃん!」


「おお、ミアか!」


 ルシアは血に濡れた右手を隠し、泣きじゃくるミアの頭に左手を置いた。 

 追いついてきた騎馬兵たちが止まり、倒れた魔物を見て驚きの声をあげる。


「これは……君がやったのか?」


 ルシアは兵士に目を向けた。勢いでここまできたものの、救出した住民を順番に宿まで送っていては、奥で襲われている民家が手遅れになりかねない。今回ばかりは、ただ目の前の敵を倒せばいいというわけにはいかないのだ。ルシアは自分一人でできることの限界を感じていた。ここは、兵士と協力するべきだろう。


「それよりも、この者らをそこの宿まで送ってやってくれぬか。 ユキがかけた魔法の光を魔物どもが嫌っておるので、ここよりは安全じゃ」


「ユキ?」


 兵士は聞き慣れない名前に首をかしげた。


「ユキおねーちゃんは、賢者なんだよ」


「うむ」


 ミアがしゃくりあげながら言うと、ルシアが頷いた。


「あの宿に賢者の加護が?」


 兵士たちが顔を見合わせる。


「どちらにしろ、一ヶ所に集めた方が守りやすいしな………よし、わかった」


 兵士たちは頷くと、手分けして近くの家の住民を通りに集めはじめた。


「この奥でいちばん遠い家は、どのあたりになる?」


 ルシアは準備よく荷物を持って出てきたミアの母親に尋ねた。遠くの方でコジローが激しく吠えたてる声が聞こえていて、気持ちは焦る。


「あ、はい。 ……坂道を上りきって東門が見えるところから二軒目が一番奥の家です」


 ミアの母は、ルシアを見てどぎまぎしながら答える。


「うむ、わかった」


 ルシアは膝をついてミアと目を合わせた。


「わしは他の者たちを連れて戻る。 ミアは、先に宿で待っておるのだぞ」


 ミアはルシアの首にぎゅっと抱きついてきた。


「わかった。 気をつけてね、ルシアおねーちゃん」


 耳元でそう言うと、ミアは手を放して母親のもとに戻っていった。

 ルシアは目を丸くして、ゆっくりと立ちあがった。左の掌をじっと見つめたあと、ぎゅっと拳を握る。なぜか、力が湧きあがってくる。今まで感じたことのない感覚だった。一瞬、穏やかな顔になり、ルシアはすぐに気を引き締めた。


「きさまら、この者らのことは頼んだぞ! 無事に宿まで送り届けよ! ゴブリンごときに遅れをとるでないぞ!」


「お、おう……」


 ずいぶんと偉そうな物言いだが、妙な貫禄に兵士たちは呆気にとられながらも了承した。

 通りの奥へと走り出したルシアを見送りながら、兵士たちが言葉を交わす。


「なあ、あれって……」

「ああ、『銀のたてがみ亭の美女』、だよな………」

「あの人が隊長ならよかったのに……」

「おい」

「民間人一人に任せるわけにはいかん。 俺たちは援護につく!」

「あ、ずるい……」


 集まった兵士の中からいくつかの騎馬兵が抜け出してルシアを追って走り出した。



◆◆◇◆



 「敵の数が多すぎやしねえか?」


 次々に上がってくる報告を聞きながら、ギリアンは苛々とした声をあげた。


「近場にダンジョンが多い地形が仇になってるね。 魔物使いにとっては絶好の環境だろう。 カイトくんが本隊を壊滅させていなければ、南門から一気に制圧されていたかもしれないな」


 ヘンケンが葉巻をふかしながら地図に目を落とす。

 ナギの洞窟の魔物は、こちらに気付かれないように少しずつ集めていたようだが、そのあとはなりふり構わず近場のダンジョンから魔物をかき集めたであろうことは想像に難くない。


「結構な数が村の中に入り込んでいますね。 東南の通用門が敵の魔族に押さえられていたそうですからね。 すでに警備兵団が制圧したそうですが、入り込んだ魔物に内側から門を開けられると厄介です。 警備兵団は広場と南で手一杯ですから、北と東は我々がフォローするしかないですね。 居住区の魔物を掃討したパーティーにはそちらに向かってもらいましょうか」


 キールが地図を指差しながら思案している。


「通用門か………たしか、北東にもあったな」


 ギリアンが顎に手をあてて呟いた。通用門は近郊の農場や牧場などで働く村人が出入りするための小さな門だ。警備兵は常駐しているが、大きな門に比べると手薄だし、造りも弱いので狙われると厄介だ。北東側の丘には果樹園と牧場がある。銀のたてがみ亭のすぐ近くだったはずだ。


「では、通用門にはBランクパーティーを優先して向かわせましょう」


 そのとき、別の職員が慌てて駆け込んできた。


「南門が突破されました! 敵は冒険者殺しとオーガの群れで押し立て、警備兵団の主力部隊は敗走、残存部隊と合流して広場で敵を迎え撃つので、我々にも協力するようにとの要請です!」


 ヘンケンは顔に手をあてて天を仰いだ。ギリアンとキールは窓に駆け寄り、広場を見下ろす。すでに一番通りからは敗走した兵士や避難民が次々にやってきていて、広場はにわかに慌ただしくなっている。


「二番通りの宿場筋にガトリックのパーティー、三番通りの門前筋にレイムスのパーティーを向かわせましょう。 居住区に居るパーティーも合流させます」


「わかった、それでいこう」


 キールの提案にヘンケンが頷いて会議室を飛び出す。筋は各通りが縦の線なら、それを横につなぐ線だ。ここを押さえておかなければ、すべての通りの入り口から敵が広場に押し寄せることになる。本来なら警備兵団の仕事だが、いまのところその動きが見えない以上、一刻も早く現場に駆けつけて時間を稼がなければならない。


「俺はガトリックに同行する。 敵の主力がそっちに行く可能性もあるだろう。 安定すれば広場に戻る」


「わかりました、お願いします。 わたしもバーニーと出撃します」


 キールが立ち上がり、ギリアンに続いて部屋を出ていった。

 キールは最後に無人になった会議室を振り返った。もう一度ここに戻ってこられるのかは、わからない。あと数時間ですべての決着はつくのだろう。


「人事は尽くします。 あとは、天命を待つのみ……」


 キールは呟くとギリアンを追って階段をかけ下りた。







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