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39 ルシア始動


「……カイト…さん?」


 不意に名前を呼ばれたような気がして、ユキは目を覚ました。

 良くない夢を見ていたような気がするが、思い出せない。ユキはなんだか不安な気持ちのまま、ぼんやりと天井を眺めた。

 ランタンの僅かに開けたシャッターから漏れる魔法の光で、部屋の中は暗闇というほどではない。

 横でなにか動いた気配を感じて目を向けると、ルシアがベッドから上半身を起こしていた。


「ルシアさん?」


 ルシアはどこか一点をじっと見つめたまま動かない。目の奥に佇む鋭い光に、ユキは胸騒ぎがした。この村に来てからは見せることのなかった顔だ。


「コジローが、鳴いておる」


 ルシアがぽつりと言った。村の子供が連れていた、大きな白い犬の名前だ。

 ユキは窓に目を向け、耳を澄ます。犬の鳴き声は聞こえないが、遠くでカンカンと鐘が鳴っていることに気づいてギクリとした。非常時に鐘を鳴らして報せるのはどこでも同じだ。昨晩は、カイトたちが向かった下水道に魔物が出たということで戒厳令が出された。なにか、さらに悪いことが起きているのだろうか。

 ルシアはベッドから降りると、扉へと向かう。


「あ、あの、ルシアさん、何処へ?」


「コジローが気になる。 少し様子を見てくる」


 ルシアは扉を開けると早足で食堂に入った。食堂は明るく、スープの香りが漂ってくる。すでに厨房ではボイドさんが料理の仕込みをはじめていた。

 驚いた顔で二人を見るボイドさんには目もくれず、ルシアは食堂を突っ切り外に出る。

 その迷いのない動きには強い意志が感じられた。

 ユキはどうしていいか分からずにルシアの後をついていく。

 外はまだ暗く、風が強い。鐘の音がさっきよりもはっきりと聞こえる。風に乗って遠くから悲鳴や叫び声が聞こえてきて、ユキは青ざめた。

 村のなかに魔物がーー?

 花壇の辺りにいくつかの人影が見える。それを目にしたユキは、「あっ」と声を漏らした。

 眩しそうに手をかざしながらこちらを窺っている人影は、オークとゴブリンだった。

 ユキたちに気づいたゴブリンは興奮したようにギイギイと声をあげている。それでも入り口の両側に煌めくユキの魔法の光を嫌ってそれ以上は近寄ってはこない。

 だがオークは丸盾を頭に乗せるように掲げ、剣を構えてにじり寄ってきた。

 盾の影からこちらを見つめる捕食者の目を見て、ユキは身の毛がよだった。

 ルシアはオークが目に入らないかのように歩を進める。


「ルシアさん、危ない!」


「危ない?」


 ドン! と、破城槌(はじょうづち)で城壁を突いたような音が響き、オークの姿が消えていた。ユキには何が起こったのか見えなかったが、ルシアが高く上げた脚を下ろすのを見て想像がついた。ルシアのワンピースの裾が破れて脚の付け根あたりまで深いスリットが入っている。


「わしを誰だと思うておる」


「………ですよね」


 つい忘れがちだが、ルシアは魔王なのだ。だが、切羽詰まったような声音に余裕は感じられない。

 通りから蹄の音がしたかと思うと、駆け込んできた数騎の騎馬兵が馬上から槍を突き出してゴブリンを刺し殺した。

 騎馬兵は立ち止まると二人に声をかけた。


「外は危険だ、建物からは出るな!」


 ルシアが振り返り、その悲壮な顔にユキははっとなった。


「ユキはここで待っておれ。 わしは、皆を連れてくる」


 返事を待たずにルシアはサンダルを脱ぎ捨てて走り出すと、騎馬兵の横をすり抜ける。


「君、待ちなさい!」


 騎馬兵の制止を振り切り、ルシアは協同炊事場の方へと姿を消した。


 宿の入り口には、いつの間にかボイドさんが茫然と立ち尽くしている。


「ボイドさん、照明を持ってきてください! 宿を照らします!」


 ユキが声をかけると、ボイドさんはおろおろと通りに目を向けた。


「ニナが………、ニナが仕入れに行くと言って、市場に………」


「え!?」


 戒厳令が出てたのに?

 「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言って笑うニナさんの顔が頭に浮かんだ。ニナさんならやりそうだった。


「わたしが、ニナさんを連れて帰ります。 ルシアさんが村の人たちをここに連れてくるので、ボイドさんは準備をお願いします」


 そう言うと、ユキは急いで部屋に戻って準備を整えた。



◆◆◆◆◇



 体が重い──

 ルシアは焦りを感じていた。本来のルシアの能力なら、もっと早く動けるはずだ。だが今は角を失ったことにより体内の魔力の流れが乱れていて、身体強化が正常に機能していない。

 それでも追ってくる騎馬兵を引き離すぐらいのスピードはあるのだが、ルシアにはもどかしいぐらいに遅く感じられた。


 村のあちこちから魔物の気配を感じる。ルシアには不快に感じるぐらいで、とるに足らない存在だが、多くの人間には脅威となる。ましてや子供たちが襲われたなら、ひとたまりもないだろう。


 キリの壊れ物のような暖かい手がルシアの心を締め付ける。元気に躍動していた小さな命たちは、外敵からの脅威に対してあまりにも脆弱なのだ。


 誰かが守ってやらなくてはならない。

 誰かが──!


 自分以外の他者を守りたいという思いが自らに芽生えた初めての感情だとも気づかず、ルシアは溢れてくる激情に任せて地面を蹴った。



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