30 ギリアンの決意
次の日の朝、ギリアンはギルドの休憩室を出ると事務所に降りていった。
深夜にはガトリックのパーティーが帰還し、ダンジョンの中でディムスのパーティーの遺体の一部を発見したという報告を受けていた。いまのところ、この情報の公開は保留になっている。
強行軍で帰還したガトリックたちにはギルド内の部屋で休んでもらっていた。
ギリアンも少し仮眠をとり、いま目覚めたところだった。
本来なら今頃には村が襲撃を受けている最中のはずだったということは、さすがにギリアンも知る由もない。
事務所内ではリリーが受け付けの窓口に座っていた。
現在は新たなクエストの受け付けは停止しており、クエスト終了の報告だけを受け付けている。
「おはようございます」
ギリアンを見かけると、リリーが挨拶をする。
「ああ、おはよう。例の小僧は、まだ来てねえのか」
「まだですね。こんな状況ですし、心配ですね」
リリーは心配そうに顔を曇らせているが、ギリアンはあの少年が簡単にやられてしまうような気がまったくしない。
「どこかで油でも売ってやがるんだろ。来やがったら、すぐに連絡してくれ」
ギリアンはそう言うと酒場に出て朝食を注文し、カウンター席に座った。
殺された仲間たちのことを思うと腸が煮えくり返る思いだが、激しい怒りの感情が沸き上がると、右腕がドクン、と鼓動を打つように疼く。その感情に支配されぬよう、ギリアンは怒りを圧し殺して冷静を保っていた。
それに今は、別の心配事も増えている。
酒場にはいつもより多くの冒険者たちがたむろしていて、煙と喧騒に包まれていた。
ふと、横に座っている男たちの話が耳に入ってきた。
「おい、聞いたか? 銀のたてがみ亭の………」
「ああ、昨日はすごかったらしいな」
「俺は昨日、見に行ってきたぜ。赤目で黒い髪の魔族の女、すごい美人だった。あれは噂以上だよ」
ギリアンは、はっとして手を止めた。
赤い目で黒い髪の女──
氷のように冷たい目が熱を帯びたギリアンの脳を冷やす。ギリアンは思わず立ち上がっていた。
「おい! いまの話、詳しく聞かせろ」
知らずに声に圧力がこもっている。
男たちは驚いてギリアンを見ると、すぐに相好を崩した。
「あれ? ギリアンさんも興味あります?」
「いま噂になってますからね、銀のたてがみ亭の美女」
「昨日なんて、ストリップのサービスまでしてくれたらしいですよ」
「うわー! 俺も見たかった!」
テーブル席の女冒険者たちが白い目でこちらを見ながら、ひそひそと話している。
「はあ? なんだ、そりゃ?」
ギリアンは困惑したあと、すぐに思い直した。
よく考えれば、魔王がこんなところにいるわけがない。
「いや、もういい。俺も、少し疲れているようだ」
ギリアンはそう言うと席に腰を下ろした。
あの女の目が頭から離れない。しばらく他のことを考えたほうがよさそうだ。
ギリアンは煙草に火を点けると、昨晩のヘンケンの話を思い返していた。
◆◇◆◇
ヘンケンはステラを伴って庁舎へ赴き、理事長への面会を申請していた。
ずいぶん待たされたが、やがて職員がやってきて、庁舎の奥にある応接室に通された。
一般用の応接室とは別の、理事長への客を通すための特別な部屋だ。広く小綺麗な部屋は、質素に見えても装飾や調度品には高価なものが使われている。
大きなどっしりとしたテーブルの向かいに、小さな老人がソファーに腰をかけて待っていた。
ステラが部屋の外で立ち止まり、ヘンケンだけが中に入ると、扉を閉めた。
「ご拝謁に賜り、恐悦至極に存じます、バルドー卿」
ヘンケンが恭しく頭を下げると、老人は顔をしかめた。
「なんじゃ、気色悪い。おまえがかしこまってるときは、厭な予感しかせんわい」
理事長であるこの老人は、領主であるグレイフィールド伯爵の親族で、村では絶対的な権力を有している。
村の代表である村長は行政を任されてはいるが、理事会の役員の一人にすぎず、この老人の一言ですべてが決定してしまう。とはいえ、この老人が村のことに口を出してくるのは稀で、普段はひっそりと隠居生活を楽しんでいるようだ。
「報告書は読んでいただけましたか?」
ヘンケンは向かいの席に腰を下ろすと、話をきり出した。
「ああ、魔界の魔物使いがうろついてるやもしれんとあったな」
「なにが起こるかわからない状況です。大司祭様の安全のためにも式典は中止した方がよろしいかと」
「そういうわけにもいかんのじゃ」
老人は皺だらけの顔を歪めて口をへの字に結ぶ。
「と、言いますと?」
「なぜこの村の式典が、戦時中も王朝が変わっても、一度も欠かすことなく続けられていると思う? 多数の兵士が二百年もの間、常に配備されておるのは封印された魔王のためだけか? 我がクィンネッサ王国の正教は全智神イルスフィリアにも関わらず、ここの式典に派遣される聖職者が必ずルマート教団の者なのは、なぜじゃ?」
「それは……勇者パーティーの聖女が信仰していたのが女神ルマートなので、その伝統を重んじていると……」
老人が、すっと目をほそめた。その奥に、いつになく鋭い光が見え隠れする。
「それだけで、滅ぼした王国の正教をあそこまで厚遇はせんよ。魔物使いが近くにおるなら、あれの存在にはすでに気づいておるだろうな。ギルドマスターのお前の耳には入れておいた方が良いかもしれん……」
ずいぶんキナ臭い話になってきた。もう厭な予感しかしないとヘンケンは思った。
「そこの広場の中央には、二百年前に聖女により、ある魔物が封印されたとわしらは伝え聞いておる」
広場の中央には勇者が魔王を倒したという戦いの記念碑がある。式典では聖職者がその石舞台に立ち、祈りの言葉を捧げる。
「それでは、式典というのは……」
「うむ。年に一度、封印が緩まぬように絞め直す儀式にほかならぬ」
「それでは……魔物使いが狙っているのは………」
「真の狙いなのか、それともついでかは分からんが、そこにある以上は狙ってくるであろうな」
ついで………か。
たしかに、封印されている魔物を解放するにしても、その理由が分からない。魔界が介入してそれだけのことをするなら、人間に対する宣戦布告となるだろう。目的が宣戦布告なら、封印された魔物の解放は、それをより衝撃的にするためのデモンストレーションなのかもしれない。それでは、パンデモニウムが消滅したのはなぜなのだろうか?
なにか、すっきりしないものが残る。
なんにせよ、村の広場には勇者パーティーでも封印するしかなかったほどの魔物が眠っていて、いまその魔物が解放されてしまうかもしれないという危険が迫っているのは確かだった。
ヘンケンはことばを失った。いつも執務室の窓から見る平穏な風景のなかに、そんな怪物が眠っていたとは思いもしなかった。もしそれが目覚めてしまったら、どんな事態になるのだろうか。
「おまえのところには、パンデモニウムにおったという魔族が居たな。そいつなら、なにか知っておるのではないか?」
「ギリアンですね。戻ったら、相談してみますよ」
「そやつ………信用できるのか?」
いつもはのんびりとした老人の目に、抜き身の刃のような光が灯っていた。
「はい。私は、彼に全幅の信頼を置いています」
ヘンケンは、はっきりと答えた。ヘンケン自身も、ここに赴任してしばらくは、ギリアンを多少は疑いの目で見ていたこともあった。だが、近くで見ていたヘンケンには、ギリアンが誰よりも仲間を大切にしていて人間を愛しているのだということがわかる。
「ふむ………おまえがそこまで言うのなら、何も言うまい」
老人は疲れたように目を閉じてソファーにもたれかかった。
「魔物使いと冒険者殺しの捜索に関しては、おまえに警備兵団と同等の権限を与える。何事もないように、全力を尽くせ。もう、下がってよい」
「はっ! ありがとうございます」
ヘンケンは深く頭を下げた。これでギルドでも家屋や施設への立ち入り調査や、容疑者の拘束が可能になる。
そして、ギルドに戻ったヘンケンから一部始終を聞かされたギリアンは青ざめた。
「なにか、心当たりはあるのかい?」
「ああ、おそらくな……。噂じゃ、勇者が倒したことになっていたが、ここに封印されているのか………」
巨大な檻に入れられたまま、ベヒーモスに引かれてパンデモニウムを出ていく化物の姿を今でも覚えている。
「魔術師どもは超獣合成体と呼んでいた。キメラの一種なんだろうが、魔物使い十人掛かりでおとなしくさせるのがやっとだ。それ一匹で、数千、或いは万の軍勢を蹴散らすために野に放たれた化物だ」
「超獣合成体………」
「とにかく、警備は兵士たちに任せて、しらみ潰しに魔族どもを探すしかねえな。残念だが、村の外となると時間も戦力も足りてねえ」
まずは村の中を万全にして、どうにか式典を乗り切るしかない。
「魔王軍の置き土産か………」
どんな形にせよ、この始末はかつて魔王軍に所属した自分が取らなければならないのだろう。ギリアンは、そう静かに決意していた。
ヘンケンのパートは、もうちょっと前に書こうと思っていたのをすっかり忘れていたので、ここで無理矢理ねじ込んでおきます。




