26 黒き刃と弁士の欺瞞
昼下がりの冒険者ギルドの酒場は、ほどよい喧騒に包まれていた。
魔物の異常行動が確認されてからは、低ランクパーティーのダンジョン攻略はできるだけ自粛するようにとの通達が出ているため、普段よりも酒場に入り浸る人数が多くなっている。
とはいえ、もともと胆の座った連中でもあるので深刻になりすぎることもなく、魔王城の消えた原因や魔物の行動に関しても冗談混じりの考察に花が咲き、そこかしこで笑い声が上がっている。
特に魔物の異常に関しては、ダンジョンの構造変化が起こっているのではという説が出て場を大いに盛り上げていた。
現在、ダンジョンについてはなにも解明されていないというのが現状で、この世界にかけられた大規模な世界魔法の産物だろうというのが学者たちの一般的な見解だ。
ダンジョンは無限に魔物を産み出し、魔物を討伐した報酬(としか思えない)として時おり出現する宝箱には強力なマジックアイテムが収められているなど、なんらかの人為的な介入の痕跡が見られる。
またその構造においても生態系や自然環境を無視したでたらめなものになっていて、一つ階段を降りると突如として氷河や熱帯雨林が出現することもある。
話題に上がった構造変化もダンジョンにまつわる謎の一つで、ダンジョンの形は常に一定とは限らず、稀にその姿を変えてしまうことがある。その規模は様々で、いつの間にか通路が一つ増えているといったものや、新たな階層が出現するもの、場合によってはダンジョンそのものがまったく違うものになってしまうなどの例がある。
大規模な構造変化が起こった場合、大抵はより強力な魔物を産み出し、それに伴い強力なアイテムも排出するという冒険者にとっては望ましい変化となる。
その原因についても不明だが、竜脈と呼ばれる地中を流れるマナの変化や、討伐によりダンジョン内の魔物の枯渇が続くとなんらかの防衛機構が働くのでは、などの諸説がある。
ゼフト周辺はダンジョンの数は豊富なのだが、Aランクパーティーがわざわざ遠くからやってくるほどの難易度のものが存在しないのがネックであり、それさえ解消されれば村はさらに大きく発展することは間違いなかった。
そんな喧騒のなか、扉が開かれ一人の冒険者がよろめきながら酒場に入ってきた。
「スローンか!?」
声が上がると酒場は一瞬にして静まりかえり、次にどよめきが起こった。
「アレスのパーティーのスローン!?」
「一人だけなのか!?」
「怪我をしているぞ! 回復師を呼んでこい!」
それは未帰還のアレスのパーティーの盗賊、スローンだった。
近くの者が駆け寄り、倒れ込むスローンを抱き止めた。
「おい、だいじょうぶか!」
「なにがあった!? 他のやつらはどうしたんだ?」
「みんな……やられた……ちくしょう! なんなんだ、あいつ……赤い……鎧の女魔族だ……! みんなを、こ………殺しやがった!!」
ざわりとした空気が広がる。
「冒険者殺し………」
誰かが呟いた。
不穏な空気が冒険者たちを覆いはじめていた。
◇◆◆◆
「よう、邪魔するぜ」
ギリアンは薄汚れた扉を押し開けて店に入った。
カウンター席と四つのテーブルが並ぶ細長い造りの酒場だ。なかには7、8人の冒険者風の魔族がたむろしている。
魔族たちはギリアンを見ると露骨に顔をしかめた。
「また、あんたか」
「赤い目、赤い髪の女は来てないか」
「しつけえな、そんなやつ、知らねえよ」
「隠すと、ためにならねえぞ」
ギリアンが睨みつけると、魔族たちは青ざめた。
「ほ、ほんとに知らねえ! なんなんだよ、あんたは!」
「てめえらそんな格好してるが、ギルド管轄のダンジョンに潜ってるわけじゃねえんだろう? てめえらがどう生きようが勝手だが、こっちで生きていくことを選んだ以上、最低限のルールは守ってもらうぜ」
「あなたの口から、そんなご高説が聞けるとは、驚きですね。 ギルフォード=マクシミリアン将軍閣下」
店の奥の扉がゆっくりと開き、真っ白いシャツに折り目のついた黒いスラックスを穿いた正装姿の魔族が表れた。
ギリアンの目が剣呑な光を帯びる。
「へえ……懐かしい名前で呼んでくれるじゃねえか。ここの連中とは毛色が違うようだが、何者だ、てめえ?」
「これは申し遅れました。私はヴォルナート商会のゲーリッヒ=シュタイナーと申します。我々は未発見のダンジョンを発掘し、彼らのような同胞に探索をしていただいた上で魔物の素材やアイテムを買い取らせていただいております。法に触れるようなことは、なにもしていないと誓いますよ」
「それが本当なら、けっこうな話じゃねえか。じゃあ、赤い目で赤い髪の女は、てめえの子飼いか?」
「……さて、そんな者は知りませんね」
ゲーリッヒは薄ら笑いを浮かべながら答えた。
ギリアンは敵意の籠った目で睨みつける。この男の目が気に入らない。他人を見下した冷酷な光を放っている。魔界では貴族の誰もがこんな目をしていた。こいつは信用できないと、ギリアンの直感が告げていた。
「つきましては、あなたにも是非、我々の仲間になっていただきたいのですが」
「それは、商売仲間か? それとも………戻ってこいってことか?」
「さて………なにか勘違いをされているのでは?」
ゲーリッヒは薄ら笑いを浮かべたままだ。
ギリアンは舌打ちをして背を向けた。
「あいにく、仲間ならもう間に合ってる。今日のところは、引きあげるぜ」
ギリアンが扉を開け、外に一歩を踏み出したときに再び声がかけられた。
「ギルフォード卿」
ギリアンが振り返ると、ゲーリッヒは冷酷な目で笑いを浮かべている。
「お気をつけてお帰りください」
「!」
ゲーリッヒの言葉が終わる前にギリアンは横っ飛びに路地に転がっていた。
さっきまでギリアンが立っていた場所に、上から落ちてきたなにかが激突する。
素早く起き上がり向き直ると、酒場の扉の前に人間と蜘蛛を掛け合わせたような不気味なモンスターがいた。
全身が鶏の毛をむしったような肌色で、長い六本の脚が胴から生えている。目のない細長い頭部の先には大きな口が開き、鋭い牙を剥き出している。
「これは、キメラか! どうやって持ち込みやがった!?」
キメラは、魔族が魔導科学を用いて大規模な設備で造り出した魔物だ。
狭い路地の左右の壁にも一匹ずつのキメラが貼り付いてこちらを見下ろしていた。
「ここじゃあ、派手な魔法や技は使えねえな……」
人通りのない路地裏とはいえ、窓もあるし壁の向こうには人が生活している。
ギリアンは腰の剣を抜いた。厚みの薄い幅広の片刃で、刀身は黒く塗られている。
上から飛び込んできたキメラをかわし、ギリアンは剣を振り下ろした。
ガツン!と、音を立てて剣が頭部に食い込む。
『キシャアアーーーッ!』
キメラが怒りの声を上げる。
「チッ! なまくらじゃあ、切れねえか!」
ギリアンは壁を蹴ってジグザグに上へとかけ上がる。
キメラは速い動きで追いすがり、壁に貼り付いていた一匹が空中のギリアンに飛びかかった。
ギリアンはキメラに左手を突きだして風魔法を発動させる。
キメラは叩き落とされたように一直線に地面に激突し、ギリアンは反動でさらに上へと跳ね上がった。
高度が建物の屋上を越えると一気に視界が広がる。ギリアンはもう一度風魔法を発動させると直角に軌道を変えて屋上に着地した。
片手をつき、足を滑らせて勢いを殺しながら剣を構える。刀身からは黒いオーラが立ち上っている。
ギリアンの超感覚は視界にはいない三匹の位置を正確に把握していた。
「上級キメラ三匹とは…………俺も、嘗められたもんだな」
壁を駆け上がった二匹のキメラが空中に飛びだした。わずかに遅れて壁を這い上がってきた一匹が屋上に姿を現す。
三匹を視界に収めた瞬間にギリアンの剣が疾った。
「無幻斬舞!」
剣の動きに合わせてキメラが切り刻まれる。斬撃を飛ばしているのではない。キメラは上下左右からの不可視の攻撃に晒され、なすすべもなく小さくなってく。
細切れになったキメラはぼとぼと路地に落下して無数の肉片に姿を変えていた。
戦闘を終えたギリアンは、壁を蹴りながら路地に降り立つと酒場へと戻った。
だが中はすでに藻抜けのからで、湯気の立つティーカップが残されている。奥の扉は開かれたまま、上りの階段と開かれた無人の書斎が見えた。
歩を進めると、階段の下の床に四角く切り取ったような扉が開いている。覗くと石の壁に打ち込まれた鉄の梯子がとりつけられており、底は深い。火魔法で小さな火球を飛ばすと、地下の通路につながっているようだ。
飛び込みたい衝動をギリアンは押し止めた。深追いは禁物だ。自分が何の情報も持ち帰らずに倒れる事態だけは、絶対に避けねばならなかった。
ギリアンは煙草を咥えて火を点けると深く吸い込んでから紫煙を吐き出す。ゆっくりと気分を落ち着けると追跡を諦めて店を出た。
表通りに出ると、市場はすでにかつて勇者が勝利した復光祭の飾り付けの準備が始まっている。
ギリアンは眉間に皺を寄せて考えていた。事態はおそらく良くない方向に進んでいる。
いままで尻尾を出さなかった敵が、向こうから仕掛けてきた。もう、こそこそする必要がなくなったのだと考えてもいいだろう。
「あいつら、なにを狙ってやがる……」
そのとき、通りの向こうからギリアンを呼ぶ声があった。
「ギリアンさん!」
目を向けると、冒険者が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「ギリアンさん、スローンが! スローンが戻ってきました!」
「なんだと! 一人だけか!?」
「はい、いまギルドで治療を………」
ギリアンはすでに走り出していた。
◆◆◆◇
ルシアは相変わらず、いつもの花壇の端に腰をかけて通りを眺めている。
憂いを帯びたような表情でぼんやりとしているだけで、道行く人々ははっとした顔で立ち止まり、何度も振り返りながら通りすぎる。たったいま目にした一枚の絵画のような光景を、この先の生涯で何度も思い返すのだろうと確信しながら。
宿から若女将のニナが出てきて、ルシアに歩み寄った。手にはトレーと真っ白いつば広の帽子を持っている。
「ルシアさーん♪」
「おお、ニナか」
「飲み物とフルーツを持ってきたよ」
「おお! 気が利くではないか」
ルシアは嬉しそうに笑った。
「それと、今日は日差しが強いからね」
ニナはトレーをルシアの横に置くと、白い帽子をルシアの頭に乗せた。ピンクの花の飾りがついた、可憐な帽子だった。
「む、これはなんじゃ?」
ルシアはトレーに乗った木のお椀を持ち上げた。なかにはパンくずや雑穀が盛られている。
「それは、鳥の餌ですよ。ちょっとした時間潰しに……あああっ! 違う、違う!!」
大口を開けて中身を流し込もうとするルシアを慌てて引き止める。
「これはね……ほら、こうすれば……」
ニナがパンくずをつまんで道に撒くと、建物の屋根にいたハトが舞い降りてきた。つられるように、ハトやスズメ、鮮やかな緑色をした小鳥が次々に集まってくる。
「おお、これは……」
ルシアも餌をつまんで撒くと、小鳥たちは争ってパンくずや雑穀をついばむ。小鳥たちは体の大きなハトの目を盗むように動きまわり、そのうちルシアに向かって口を開けて『チチチチチッ!』と鳴いて餌を要求し始めた。緑色の小鳥はもっと大胆で、ルシアの膝や肩に乗って高い声で鳴きだす。
「ははっ、まてまて。そう急かすな」
ルシアは楽しそうに餌やりに夢中になりはじめた。
「うーん、絵になるねえ」
少し離れて小鳥と戯れるルシアの様子を観察していたニナは、満足そうにうなずく。
「これで、今晩も大入りまちがいなしだね。食材をたくさん仕入れとかないと」
ニナは、ちゃっかりしていた。




